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続ガラシャ夫人の宮津 その5 鎖国
更新 : 2013/2/26 10:27
写真は宮津カトリック教会・聖ヨハネ天主堂の内部です。さて日本におけるキリスト教の迫害の歴史は3期に分けられます。第一期は織田信長によるもので、小泉八雲の歴史評論「神国日本」によると織田信長は天下統一後のマニラ侵攻の準備としてキリスト教の迫害を計画していたのですが本能寺の変によって未発に終わりました。第2期は豊臣秀吉の切支丹禁止令です。これもマニラ侵攻の準備として行われたとする説が有力です。第3期は徳川幕府による鎖国です。この遠因となったのは1603年のマニラ大虐殺でした。中国はフィリピンの酋長たちが中国と朝貢貿易をおこなってきたことを理由に領有権を主張してきたのですが1603年になっていきなり行政官を派遣することをフィリピン在住の中国人に通告してきました。これを聞いてパニックとなったマニラのスペイン人たちは、フィリピンに住むアジア系市民の多くを虐殺しました。犠牲者の数はスペイン側の資料によると7000人、中国側の資料で13000人におよびました。東アジアの多くの国がこのときをもってキリスト教徒をテロリスト、キリスト教国をテロ容認国家と認定して鎖国しました。日本は少し遅れて島原の乱を境として鎖国します。 雅良生
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