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続ガラシャ夫人の宮津 最終章 八幡山城跡
更新 : 2013/3/1 21:01
写真は、織田軍の丹後侵略の際に丹後領主であった一色氏の本陣が置かれた八幡山白跡です。ここで丹後領主の一色氏は果敢に戦った丹後水軍の棟梁たちを裏切って、軍議の席で謀殺あるいは捕縛しました。一色氏は織田軍にこの八幡山城をゆずって後に府中に退きました。一色氏の当主は細川幽斎の娘の伊也と結婚しますが、本能寺の変の後で謀殺されます。一方、織田軍にてむかった丹後水軍の棟梁たちは、家族を人質にすることで水軍稼業を続けることをゆるされますが、これに従わなかった棟梁たちは陸にあがり、水軍の特技である分業をいかしてさまざまなモノづくりにチャレンジしていきます。中でも織物産業は分業が生かされる分野であったことから、後の丹後チリメンにつながる起業がなされることになります。海賊が陸にあがって繊維産業を立ち上げた事例は海外でもあって、北米ボストンの繊維産業も第二次英米戦争のあと陸にあがった海賊たちによって起業されました。この繊維産業が蓄積した財が元となって、後にアメリカの金融システムを支えることになる銀行や銀行シンジケート団、生命保険などが誕生することになります。 雅良生
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