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澄海-sky- 全室露天風呂付&365日特大のカニを愉しめる宿のお知らせ・ブログ
京丹後の伝説「丹後七姫伝説E」
更新 : 2023/7/3 7:13
7/2天候曇り♪
本日も、「丹後七姫伝説」のお話ですよ♪わおっ
本日ご登場の美女は、なっなっなんと「細川ガラシャ」で〜す♪パチパチパチ♪
15世紀〜16世紀の戦国時代から安土桃山時代にかけての話で、丹後七姫伝説の中では一番新しい話です♪イェイ
明智光秀の三女として生まれた玉子(後のガラシャ)は丹後田辺城(現舞鶴市)の細川忠興に嫁ぎました(^O^)/
玉子は2人の子をもうけ、平穏な日々を送っていましたが、父・明智光秀が織田信長を本能寺で討って、自らも滅んだため、玉は反逆を起こした者の子として、丹後の山深い味土野に幽閉されました(>_<)そして玉は幽閉中、侍女の一人から「キリスト教」の話を聞き、信仰に救いを求めるようになります(^O^)/
その後、信長の死後、天下をとった、豊臣秀吉の取り成しもあって、忠興は玉を細川家の大阪屋敷に戻しました(^O^)/
カトリックの教えに心を魅かれていた玉は、夫忠興には告げづ、大阪に滞在していた宣教師のもと洗礼を受け、「ガラシャ」の名を授かりました(^O^)/
時が流れ、忠興は徳川家康に従い上杉征伐に出陣するのを見て、西軍の石田光成は大阪の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとしました(>_<)しかし、これに抵抗しガラシャは夫の足手まといにならぬようにと、屋敷に火を付け自害したといわれています(>_<)
享年36〜37歳位(>_<)
『細川ガラシャ慰霊の碑』への案内
@ガラシャの隠妻地・味土野へは、京丹後市弥栄町黒部から野中集落を右折して川沿いを走ります(>_<)
Aしばらく進むと右・来見谷、左・味土野の標識があり、左に進みます(^O^)/
B道は急に細くなりますので、気を付けて走って下さい(>_<)
C隠妻地跡には車が5台ほど駐車出来るスペースあり(^O^)/
『細川ガラシャ辞世の句』
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
現代語訳
「花も人も散り時を心得るからこそ美しいのでしょう♪花には花の美しさ人には人の価値があります」
この辞世の句については、死に臨む悲壮感よりもむしろ開放的な何か不思議な意味を感じ取ることが・・・キリシタンのガラシャにとって、死はむしろ明るい未来であったのかもしれない・・・ですね(^O^)/わおっ
「全室オーシャンビュー&24時間入浴可能な客室」「地元で獲れた新鮮な魚介類」をご用意して、皆様からのご予約をスタッフ一同お待ちしています(^O^)/イエイ