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  • 6月9日はロックの日! 中編

    更新 : 2022/6/16 15:00

    皆様こんにちは。

    今回は前回に引き続き、ロックの話です。

    ザ・フォーク・クルセダーズらの台頭により
    好きな音楽を好きなようにやる気運の生まれた日本音楽業界。
    ビートルズが1964年に来日ライブを武道館で行い、日本国内でもロックブームは当然到来していましたが、しかし商業的なグループサウンズ以上のものはなかなか生まれず、
    まず流行を作ったのは、岡林信康、高田渡ら自ら作詞作曲をするフォーク歌手達でした。

    何故60年代、ビートルズの最盛期にフォークが流行ったか。
    それは当然、アメリカにボブディランという偉大なフォークシンガーが居たことにも起因します。
    しかし、より大きな原因は、日本語という言語にありました。


    ロックはアメリカで誕生し、イギリスで醸成されました。
    そのことからロックは英語で歌うべきだ、日本語みたいな平坦で冗長なキレのない言語では到底リズムに合わない、日本語は歌謡曲やフォークにこそ真価を見出す言語だ…
    と考えられ、日本語でロックを歌うことの難しさが問われまして、これが後の1970年初めの「日本語ロック論争」へと繋がっていきます。

    この「日本語ロック論争」の渦中にいたのは、はっぴいえんどというバンドです。
    彼らは、大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の4人からなるロックバンドで、
    今では日本語ロックの父といわれています。

    日本屈指のメロディメーカー大瀧詠一と細野晴臣が曲を作り、
    ギターの天才鈴木茂がアレンジを加え、
    そして、文学の才人松本隆が歌詞を担当しました。

    松本隆は後に作詞家として大変な成功を収めますが、
    彼のルーツはこの、ロックのリズムに日本語の歌詞を乗せた、というところにあるのです。

    「日本語ロック論争」は簡単に言うと、
    それまで英語でしかロックを歌わなかった日本のアーティスト達が、
    日本語でロックを歌っていた岡林信康やはっぴいえんどに対して、
    日本語なんかロックに合わん!
    と意見したことから始まった論争でした。

    今の感覚で言うと、
    別に何語で歌ったっていいじゃないかそりゃアラビア語とかで急に歌われたらびっくりするけどサ…
    という感じですが、物事の始まり及び過渡期とはこのようなものです。
    それほどまでに情熱を傾けさせるロックという音楽は大したものです。


    ……あれ?
    また文字制限がきちゃいました。
    次回までもう少しお付き合いください。

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