高村光太郎記念館高村山荘
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高村光太郎記念館高村山荘の口コミ一覧(3ページ目)
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- カップル・夫婦
光太郎氏はパリでの留学体験を通して、自身の彫刻と詩の世界のスタイルを確立するきっかけとなりましたが、同時に日本の伝統的彫刻家・仏師である父・光雲氏との確執を生み出すことにもなりました。また、福島・旧安達町(現:二本松市)造り酒屋出身の芸術家・長沼智恵子さんに注いだ情熱的でぶれることのない愛情は現代を生きる私たちにも普遍的なメッセージとして有名です。智恵子さんの没後、光太郎氏が晩年独居自炊で暮らした山荘は非常に狭く質素で、こんなところで創作活動していたのかと驚くほどです。激動の人生を送ってきた光太郎氏が、余計なものを削ぎ落としてシンプルな余生を送りたい、という願いの表れだったかもしれません。光太郎氏は当時から今に至るまで地元の方にずいぶん敬愛されているようで、山荘はその地元の方が協力して建てた套屋(うわや/とうおく:建物を暑さや雨雪から保護するための建物・・・福島の野口英世記念館の生家にも見られる)によって保護されています。展示館には、私が氏の作品で個人的に好きな「白文鳥」「裸婦坐像」なども展示されていました。囲炉裏から彫りかけたウサギの頭の彫刻が出てきたそうです。素人目の私から見れば完成途中のウサギの頭でも芸術として成立する出来栄えですが、本当の美を追求する光太郎氏には半端だったのでしょう、それを火にくべたのは、過去の自身の栄華をも捨てたかのようでした。- 行った時期:2015年11月
- 投稿日:2016年7月22日
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- 家族
光太郎の晩年を知るには、最適の場所です。少し遠いですが、おススメのスポットです。光太郎が晩年をどのように暮らしたのか、どうして彫刻を止めてしまったのか、思いを馳せることができます。宮沢賢治との関係や、草野新平との関係、石川啄木との関係も記されており、当時の知識人たちの交流を知る上で大変興味深いです。- 行った時期:2016年6月29日
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 家族の内訳:親・祖父母
- 人数:2人
- 投稿日:2016年6月30日
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- 一人
自分の生活がいかに贅沢なのか、思い知らされる気がする。光太郎は智恵子がいなくなって、ここで何を考え、何を支えに、厳しい生活を選んだのだろう。- 行った時期:2016年5月1日
- 投稿日:2016年5月9日
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知っている様で知らなかった高村光太郎の疎開先での生活を知る良い機会になった
- カップル・夫婦
空いていたのでビデオで高村光太郎の花巻での生活をゆっくり見る事も出来、展示の「手」の彫刻や昨年訪れて実物を観た十和田湖畔の「裸婦像」の原型も見る事が出来た。長閑な森の中を高村山荘まで歩き、実際に住んで客をもてなした暖炉等もなかなか趣きのあるものだった。- 行った時期:2014年9月30日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2014年10月12日
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- 友達同士
到着するまで不安になりますが、記念館は、自然の中にひっそりとたたずんでいました。7月に訪れましたが、つくつくぼうしの声が響き渡り、にぎやかでした。うっそうと茂った木々のおかげで日陰ができて、これがまた涼しいことこの上ありませんでした。春夏秋冬季節折々に訪れたら、景観の美しさは格別だろうと思わされました。展示は一回りすると終わってしまいますが、記念館のスタッフの方と会話を楽しみました。- 行った時期:2014年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:2人
- 投稿日:2014年8月31日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
高村光太郎記念館には光太郎の足跡が残されていて、光太郎の多彩な才能が再確認できました。住んでいた家を見て、自然の中で生み出された作品だから心に浸みるのかなと思ってきました。- 行った時期:2010年11月23日
- 投稿日:2010年11月25日
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小中学生の子供を連れて行ったのですが、あまり興味がなかったらしく騒いでしまいました
標識をちゃんと見ないで進んだので逆周りをしてしまいました
自然がそのままなので歩きやすい履き物で行くことをお勧めします。- 行った時期:2010年10月30日
- 投稿日:2010年11月1日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
高村光太郎が60歳を越えてから「高村山荘」と呼ばれる質素な家に住み孤独な生活の中から数々の作品を生み出したことに、感動を覚えると共に、この家を2度に亘り覆い屋を作り大切に保存してきた地域の方々への光太郎への畏敬の念が伝わってきます。
150m離れた記念館には有名な十和田湖の「裸婦像」の原型や智恵子の切り絵もあり
その脇に書かれた「気ちがひというおとろしきことばもて ひとは智恵子をよばんとすらん」という言葉に胸が潰れます。志戸平ホテルから車で数分です。
写真は記念館ではなく覆い屋で被われた高村山荘です。- 行った時期:2010年10月19日
- 投稿日:2010年10月21日
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志戸平温泉の宿に早く着き、宿の方にお勧めですよと紹介されて行きました。向かう途中、林檎畑がたくさんあり、着いてみるとクマ避けの音が鳴っていました。入口を通ると栗の木があり、小川が流れ、タイムスリップしたような小道があります。
いまどきの施設ではありませんが、高村光太郎先生が住んでいらした小さなおうちがそのまま残されています。高山山荘というそうです。また、高山記念館も合わせて見ると、なんて自分は便利な暮らしに慣れ、当たり前に生活しているんだろう!と思える時間でした。
高村先生は、おひとりで自炊生活をされていたのか…きっとみる価値があるところです。
敷地は展望台もあるようで、とても広く、これぞ岩手っていう自然が感じられますし、花巻歴史民俗資料館も是非お勧めです。
こういう施設こそ郷土の宝と思いました。- 行った時期:2010年10月7日
- 投稿日:2010年10月9日
お宿ツウ たかさん 女性/40代
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