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さとけんさんの東京都の旅行記

【上野駅出発】東京を歩くその1。上野・浅草・両国。両国からは電車で東京駅へ。そして皇居を歩きます【九段下駅着】

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台風が過ぎ去った10月のある日、東京を歩いてみようと出かけてきました。上野駅を出発地点とし、浅草、業平、駒形、両国と歩き、両国駅から東京駅へ電車で出た後、東京駅からは皇居外苑・皇居東御苑・北の丸公園と歩いて靖国神社まで歩いてきました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2017年10月24日(火)

JR上野駅

台東区

「JR上野駅」を   >

時刻は6時48分、上野駅を出発して、東へ、浅草方面へ歩きます。まずは伊能忠敬・高橋至時・幡随院長兵衛・谷文晁のお墓のある源空寺を目指します。

伊能忠敬の墓

台東区

「伊能忠敬の墓」を   >

時刻は7時1分、上野駅から10分ほどで源空寺に到着です。源空寺の開門は9時とのこと、まだ境内へ入ることはできないようです。このお寺には、全国を歩いて回り日本地図を作製した伊能忠敬さんと、その師匠の高橋至時さんのお墓があります。

幡随院長兵衛の墓

台東区

「幡随院長兵衛の墓」を   >

こちらは幡随院長兵衛さんの案内板です。1650年代に亡くなったお方です。昭和風に言うならば「無頼漢」の親分という感じの方なのでしょうか、侠客の祖ともいわれているようです。

谷文晁墓

台東区

「谷文晁墓」を   >

掛け軸の鑑定などで「谷文晁(たにぶんちょう)」の名前はよく聞いていましたが、谷文晁さんは旅好きで、30歳になるころまでには日本全国のほとんどを旅してまわっていたと知りました。谷文晁さんは画家ですが、連歌師の宗祇さん宗長さん、俳人の松尾芭蕉さんも旅を良くされた方たちですね。江戸時代は旅の手段も手続きも、今とは比べ物にならないほど難儀なものであったと思いますが、それでもなお旅をして、表現したものを残すというのは凄いことだと思います。

高橋至時の墓

台東区

「高橋至時の墓」を   >

源空寺の鐘楼と本堂です。高橋至時さんは江戸時代の天文学者で1764年に生まれた方です。一方、弟子の伊能忠敬さんは1745年に生まれた方で、高橋さんより19歳年上ですが、若き高橋至時の優れた能力を見抜き、弟子入りさせてもらったということ、この二人が出会わなければあの地図は完成しえなかったわけで、その出会いの妙というのも面白いものでございます。高橋さんはあまりに研究熱心であったため、体を壊して41歳・1804年に亡くなっています。続きまして、曹源寺へ向かいます。

曹源寺(かっぱ寺)

台東区

「曹源寺(かっぱ寺)」を   >

曹源寺はかっぱ寺とも呼ばれています。お寺に近づくと道端にこのような可愛らしい石像がありました。かっぱですよね?

曹源寺(かっぱ寺)

台東区

「曹源寺(かっぱ寺)」を   >

曹源寺の本堂にお参りをします。1800年代の初頭、私財を投じて治水工事をした合羽屋喜八さんという方が、このお寺に葬られて後、かっぱ寺と呼ばれるようになったとのこと、そしてその喜八さんの治水工事を河童が手伝ったと言い伝えられています。本堂前にて合掌一礼でお参りし、お掃除をされているお寺の方と朝の挨拶を交わしました。

曹源寺(かっぱ寺)

台東区

「曹源寺(かっぱ寺)」を   >

おお、こちらはご夫婦ですかね。かっぱ寺境内のかっぱの石像でございます。続きまして合羽橋道具街へ歩を進めます。

かっぱ橋道具街

台東区

「かっぱ橋道具街」を   >

こちら、合羽橋道具街、時刻は7時10分過ぎですので、まだお店は開いておりません。しかし何やら空間がありますので・・・

かっぱ橋道具街

台東区

「かっぱ橋道具街」を   >

おおお、合羽橋道具街に建っている「かっぱ河太郎」の像です。黄金色に輝く、とてもリアルな像ですね。合羽橋道具街から一つ西へ入った通りの矢先稲荷神社へ向かいます。

矢先稲荷神社

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「矢先稲荷神社」を   >

時刻は7時13分、矢先稲荷神社へやってまいりました。江戸の昔に存在した「浅草三十三間堂」の弓の射術稽古場の的の先にあった神社のために付いた名称とのこと。境内は落ちた銀杏の実の甘い残り香がしていました。二礼二拍手一礼でお詣りをします。続きまして近くの聖徳寺へ向かいます。

玉川庄右衛門・玉川清右衛門の墓

台東区

「玉川庄右衛門・玉川清右衛門の墓」を   >

7時19分、聖徳寺にやってまいりました。こちらのお寺には1650年代に玉川上水を開削した玉川兄弟のお墓があります。

玉川庄右衛門・玉川清右衛門の墓

台東区

「玉川庄右衛門・玉川清右衛門の墓」を   >

お兄さんの玉川庄右衛門さんは1695年に、弟の玉川清右衛門さんは1696年に亡くなっています。松尾芭蕉さんとだいたい同じ時代を生きられた方たちですね。続きまして、合羽橋道具街を東へ少し入った浅草・東本願寺へ向かいます。

東本願寺

台東区

「東本願寺」を   >

時刻は7時26分、浅草の東本願寺にやってきました。このお寺は彰義隊にもゆかりのあるお寺です。

東本願寺

台東区

「東本願寺」を   >

浅草・東本願寺の立派な本堂です。関東大震災で焼け落ちた本堂を1939年(昭和14年)に再建したコンクリート造りの本堂で、1945年(昭和20年)には空襲により建物内部が焼け、1953年(昭和28年)に建物内部を再建したとのこと。本堂に近づくと読経が聞こえ、お香の香りが漂います。私は本堂の戸を開けず、中へ入ることは遠慮して外から合掌一礼でお参りをしました。続きまして、東本願寺から歩いて数分の葛飾北斎のお墓へお参りします。

葛飾北斎の墓

台東区

「葛飾北斎の墓」を   >

こちら、葛飾北斎のお墓がある誓教寺の門前に立つ案内板です。葛飾北斎は独特な価値観を持っていらっしゃった方のようで、その人となりは小説などの題材になりやすいようで、私もそれぞれ別の作家の幾つかの小説で北斎の奇行を読んだことがありました。江戸時代の人としてはかなり長寿の89歳の生涯で93回も居宅を変えたという内容が書かれている案内板です。誓教寺はお寺の方が境内のお掃除をされていましたので、朝の挨拶と北斎のお墓にお参りの許しを請い、境内へ入りお墓へまいります。

葛飾北斎の墓

台東区

「葛飾北斎の墓」を   >

こちらが小屋に囲まれた葛飾北斎のお墓です。強い個性を持って生きるというのは生きづらい場面・面倒な場面に遭遇しやすいだろうと、私は想像するのですが、好きなままに飄々と生きる力を持っていた北斎さんは凄い人ですね。そのようなことをブツブツと口の中で話してお参りをしました。

本法寺(熊谷稲荷)

台東区

「本法寺(熊谷稲荷)」を   >

誓教寺を出て東へ数分の本法寺にお参りにきました。まず本堂前にて合掌一礼いたします。こちらには「はなし塚」と熊谷稲荷があります。はなし塚は戦時にふさわしくないと思われる53種の噺(はなし)を落語家たちが自粛という形で禁演とし、この塚に台本を埋めたという塚です。

本法寺(熊谷稲荷)

台東区

「本法寺(熊谷稲荷)」を   >

こちらが本法寺境内にある、白狐をお祀りした熊谷稲荷です。白狐をお祀りしたお稲荷さんは日本でここを含めて二箇所しかないという説明書きがありました。江戸時代には稲荷信仰の人々でたいへんに賑わったようです。本法寺を辞し、西へ、浅草寺の雷門の方向へ歩きます。

浅草文化観光センター

台東区

「浅草文化観光センター」を   >

時刻は7時59分、雷門の門前に立つ浅草文化観光センターの建物です。とても目をひく風変わりな外観をしています。隈研吾さんが設計された2012年に完成した比較的新しい建物です。最上階の8階は誰でも入ることができる無料の展望テラスになっています。開館時間は9時から20時までですので、時間があえば是非とも訪れてみたいポイントです。建物は、雷門を背にして正面やや左寄り(隅田川寄り)側からみると、普通のビルに見えるのですが、雷門の西側(雷門を背にして右側)から建物をみると、平屋が積み重なっているような不思議な外観をしています。

浅草寺

台東区

「浅草寺」を   >

こちらが浅草寺雷門と仲見世です。今日はこちらを通らずに雷門から西の通りを通って浅草公会堂へ行ってみます。

浅草公会堂

台東区

「浅草公会堂」を   >

時刻は8時7分、こちらが浅草公会堂の前の「スターの広場」に並ぶスターの手形です。1979年(昭和54年)に創設され少しずつ手形も増えているとのこと、沢山の手形があります。公会堂の角を浅草寺の参道の方へ右に折れて歩きます。

浅草 大黒家

台東区

「浅草 大黒家」を   >

浅草公会堂から浅草寺の参道(仲見世通り)へ延びる伝法院通りに天丼で有名な大黒家があります。浅草といえば、すき焼き・天ぷら・寿司に蕎麦、食べたいお店、食べたい料理が目白押しの「あさくさ」という音にヨダレが出てくるほどの名店ぞろいの場所です。この大黒家もおすすめのお店です。

宝蔵門

台東区

「宝蔵門」を   >

時刻は8時10分、浅草寺の宝蔵門です。阿形吽形の仁王様がいらっしゃいます。東京大空襲で焼け落ちた仁王門は昭和39年に鉄筋コンクリート造りの門としてよみがえりました。

弁天山鐘楼

台東区

「弁天山鐘楼」を   >

宝蔵門をくぐる前に門に向かって右手の弁天堂にやってきました。弁天堂の境内には鐘楼があります。弁天堂の建つ高台を弁天山と呼ぶそうです。

弁天山鐘楼

台東区

「弁天山鐘楼」を   >

こちらの弁天山鐘楼です。鐘楼は昭和25年に再建された建物です。梵鐘は1692年に改鋳された鐘で、現在でも朝の6時に撞き鳴らされる現役の鐘です。1694年に亡くなった松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か浅草か」の浅草の鐘ですので、この鐘を現地で見ているときは「この鐘の音を芭蕉さんは聞いたのかしらん?」という具合な想像をしていたのですが、家に帰ってから調べたところ芭蕉さんの句は1687年に詠まれた句だそうで、この鐘の音ではなかったようです。それにしても江戸時代の鐘が現役で時を知らせているという、この浅草の鐘も上野の鐘も、過去と現在の仲を取り持つ貴重なアイテムですね。

宝蔵門

台東区

「宝蔵門」を   >

浅草寺の宝蔵門と五重塔。戦前、宝蔵門に向かって右側に建っていた五重塔は、昭和20年の空襲で焼失し、現在の五重塔は宝蔵門に向かって左側に1973年(昭和48年)再建されたものです。

浅草寺 手水舎

台東区

「浅草寺 手水舎」を   >

浅草寺の常香炉の右手に手水舎があります。手を清める場所ですが、その中央に建つ沙竭羅龍王像に注目です。実に格好が良いです。高村光雲作の像であるという情報と、そのレプリカであるという情報とがありますが、どちらとしても是非見ておきたいところです。

浅草寺

台東区

「浅草寺」を   >

時刻は8時19分、浅草寺の本堂にてお参りします。龍の天井画と天女の天井画を見上げると、お堂の大きさを実感できます。ご本尊は観世音菩薩です。

浅草神社(三社さま)

台東区

「浅草神社(三社さま)」を   >

浅草寺右手の浅草神社へお詣りです。社殿は1649年に徳川家光が再建した建物です。浅草といえば関東大震災や戦災で甚大な被害を受けた土地で多くの歴史的建造物が焼失してしまった場所ですが、この社殿は370年の間、浅草や江戸っ子を見守ってきた建物としても、とても貴重です。

浅草寺

台東区

「浅草寺」を   >

時刻は8時27分、浅草寺の二天門です。持国天と増長天が安置されていて1649年築の国の重要文化財です。2010年に改修され朱色がよみがえりました。二天門を出て東の隅田川方面へ歩きます。

姥ケ池碑・助六の歌碑

台東区

「姥ケ池碑・助六の歌碑」を   >

浅草寺の二天門から200メートルほど歩くと公園があり、石碑が建っています。「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり」と書かれているそうです。

隅田公園

台東区

「隅田公園」を   >

8時36分、隅田公園です。ここを歩いて吾妻橋へ抜けます。

吾妻橋

墨田区

「吾妻橋」を   >

吾妻橋の色は浅草寺の雷門の赤をイメージしているそうです。

リバーピア吾妻橋

墨田区

「リバーピア吾妻橋」を   >

隅田川西岸より眺める東岸の高層ビル群。吾妻橋東岸の高層ビル群を総称して「リバーピア吾妻橋」と呼んでいるそうです。

吾妻橋

墨田区

「吾妻橋」を   >

8時45分、吾妻橋を渡ります。

リバーピア吾妻橋

墨田区

「リバーピア吾妻橋」を   >

リバーピア吾妻橋には食べ物屋もたくさんあるようですね。

勝海舟銅像

墨田区

「勝海舟銅像」を   >

そしてこちら、勝海舟の銅像です。ちなみに勝海舟生誕の地の記念碑は両国の両国公園にあります。

アサヒビール本社ビル

墨田区

「アサヒビール本社ビル」を   >

こちらはビール色に輝くアサヒビール本社ビルです。

東京スカイツリー

墨田区

「東京スカイツリー」を   >

スカイツリーが近づいてきました。

東京スカイツリー

墨田区

「東京スカイツリー」を   >

時刻は9時8分、スカイツリーのほとんど真下から上を見上げます。迫力ありますね! のしかかるように湾曲して見えるスカイツリーをのけぞって見上げます。

東京スカイツリー

墨田区

「東京スカイツリー」を   >

上空を流れる雲をバックに塔を見上げていると、自分の感覚がだんだん麻痺してきて、 上下の感覚が曖昧になってきます。見上げている青い空が、自分の上なのか下なのか、 なにかこう、空に向かって落ちていきそうな、足がむずむず・ひやひやする感覚を覚えます。この感覚の麻痺をしばらく楽しみました。

東京スカイツリー

墨田区

「東京スカイツリー」を   >

スカイツリーの下には北十間川が流れています。続いてはスカイツリー近くの春慶寺へ向かいます。

春慶寺

墨田区

「春慶寺」を   >

春慶寺にやってきました。このお寺は鬼平犯科帳に登場するお寺です。

春慶寺

墨田区

「春慶寺」を   >

そしてこちらが現在の春慶寺。ビルが一棟、お寺です。次に隅田川方向へ戻り、駒形橋を渡ります。

駒形堂・浅草観音戒殺碑

台東区

「駒形堂・浅草観音戒殺碑」を   >

時刻は9時41分、駒形橋を西へ渡りますと、駒形橋西詰の北側に駒形堂があります。2003年に再建されたお堂です。今は浅草の賑わいから離れた場所にありますが、江戸時代のこの付近に船着き場があり、とても賑わっていたそうです。

駒形堂・浅草観音戒殺碑

台東区

「駒形堂・浅草観音戒殺碑」を   >

駒形堂の境内にある浅草観音戒殺碑です。昭和2年に境内の土中から発見され昭和8年の駒形堂再建の際に修補されたと案内板にあります。

駒形橋

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「駒形橋」を   >

駒形橋西詰南側にて。ここから厩橋・蔵前橋と隅田川テラスを歩き、蔵前橋を渡って横網町公園へ向かいます。

厩橋

墨田区

「厩橋」を   >

厩橋です。現在補修中のため、重厚感のある橋を見学することはできません。渡ることはできます。

蔵前橋

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「蔵前橋」を   >

時刻は10時ちょうど、蔵前橋に到着です。蔵前橋の色は稲穂の色をイメージしたものです。蔵前橋を渡ってすぐに横網町公園・旧陸軍被服廠跡地が現れます。

横網町公園

墨田区

「横網町公園」を   >

横網町公園・旧陸軍被服廠跡地に到着しました。ここは東京の慰霊の地です。

横網町公園

墨田区

「横網町公園」を   >

横網町公園に屋外展示されている自動車のシャシー。関東大震災の火災により、自動車のボディが焼失し、シャシーだけが残りました。

東京都復興記念館

墨田区

「東京都復興記念館」を   >

横網町公園の復興記念館を見学します。建物は昭和6年に建てられたものです。月曜日は休館(月曜日が祝日の場合は翌火曜日)です。震災被害資料が数多く展示されています。

東京都慰霊堂(鐘楼堂・復興記念館・震災遭難児弔魂像)

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「東京都慰霊堂(鐘楼堂・復興記念館・震災遭難児弔魂像)」を   >

こちらは横網町公園の東京都慰霊堂です。関東大震災と戦争の空襲により亡くなった方々を祀る慰霊堂です。正面から入って反時計回りに堂内を歩き、祭壇にてお線香を手向け祈りました。関東大震災の時、この地・旧陸軍被服廠跡地だけで3万8千人の方が亡くなったとのことです。

旧安田庭園

墨田区

「旧安田庭園」を   >

横網町公園を南西の出入り口からでますとすぐに旧安田庭園の北東の出入り口です。横網町公園での滞在時間が長かったため、この庭園はあまり長居せずに出ましたが、ベンチに座ってゆっくり休憩するなどしても良いと思います。

舟橋聖一生誕の地

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「舟橋聖一生誕の地」を   >

旧安田庭園を西南の出入り口から出ますと舟橋聖一生誕の地の碑が建っています。

東京水辺ライン

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「東京水辺ライン」を   >

舟橋聖一生誕の地の碑を過ぎて両国駅へ向けて歩くと右手に隅田川の船の両国発着場が現れます。左手には両国国技館があって、すぐにJR両国駅です。

JR両国駅

墨田区

「JR両国駅」を   >

11時5分、両国駅に到着です。正面のクリーム色の建物は、旧JR両国駅・駅舎で、現在は、江戸NORENという施設なっています。それでは江戸NORENに入ってみましょう。

‐両国‐ 江戸NOREN

墨田区

「‐両国‐ 江戸NOREN」を   >

江戸NORENの建物内です。握りずしに天ぷらに蕎麦、深川めしも親子丼も食べられます。本日は予算1,000円としてランチを探し、「天ぷら食堂 ひさご」にて、ひさご天丼・税込1,000円をいただきました。

‐両国‐ 江戸NOREN

墨田区

「‐両国‐ 江戸NOREN」を   >

ひさごにて。カウンターやテーブルに置いてあるツボの中には、烏賊の塩辛のようなものとはりはり漬けのようなお漬物がはいっていて、こちらは好きに食べてよいとのこと、どちらもとても美味しい。これを食べながら料理を待ちます。

‐両国‐ 江戸NOREN

墨田区

「‐両国‐ 江戸NOREN」を   >

ひさご天丼の登場でございます。アツアツのてんぷら、ごま油の香りが香ばしい。ショウガの香りの赤だしもおいしいです。満足いたしました。ごちそうさまでした。お店を出た後、JR両国駅から電車に乗って、東京駅へ出ました。

東京駅

千代田区

「東京駅」を   >

こちら東京駅八重洲口のグランルーフの下を歩きます。左手には高速バスの乗車場が並んでいます。

一石橋迷子しらせ石標

中央区

「一石橋迷子しらせ石標」を   >

時刻は11時56分、東京駅八重洲口から徒歩数分の「一石橋迷子しらせ石標」にやってきました。正面に書かれている文字は「満よひ子の志るべ」ということです。

日本銀行

中央区

「日本銀行」を   >

時刻は11時58分、一石橋迷子しらせ石標から首都高速の高架下をくぐるとすぐに日本銀行の重厚な建物が現れます。

渋沢栄一像

千代田区

「渋沢栄一像」を   >

日本銀行の見える場所から常盤橋を渡りますと、渋沢栄一像が現れます。このあと日本ビルヂングの前を通って北町奉行所跡地へいきます。

北町奉行所跡

千代田区

「北町奉行所跡」を   >

北町奉行所跡へ向かいますと、このようなビルとビルとのはざまを歩くことになります。

北町奉行所跡

千代田区

「北町奉行所跡」を   >

案内板がありますので、ホッとしました。間違いなく北町奉行所跡でございますな。ちなみに、南町奉行所跡は、今のJR有楽町駅です。駅前広場に案内板があります。この後、用事を済ませます。

東京駅

千代田区

「東京駅」を   >

時刻は14時6分、再び東京駅から歩きだします。

東京駅

千代田区

「東京駅」を   >

時刻は14時12分、東京駅の駅舎側にやってまいりました。

東京駅

千代田区

「東京駅」を   >

こちらは、現在の丸ビル、丸の内ビルディングです。東京駅の駅舎側からみると左手のビルです。2002年(平成14年)に完成しました。この土地には1923年(大正12年)に東洋一のビルといわれた丸ノ内ビルヂングが建っていました。昭和の「丸ビル」といえば、こちらの丸ビルでございますな。隅田川に駒形橋を架けた汽車製造会社は昭和の丸ビルに入っていたそうです。

東京駅

千代田区

「東京駅」を   >

そしてこちらは丸ビルの向かいに建つ「新丸の内ビルディング」です。2007年(平成19年)に完成しました。東京駅の駅舎側からみて右手のビルです。

東京駅

千代田区

「東京駅」を   >

時刻は14時28分、東京駅から皇居側へ歩いてお堀端に出て、少し南へ行きますと明治生命館が現れます。1934年(昭和9年)完成の国の重要文化財です。太平洋戦争後は連合国軍最高司令官総司令部に接収され、1956年(昭和31年)に日本へ返還されました。土・日曜日は11:00〜17:00に公開エリア限定で公開されています。水・木・金曜曜日は16:30〜19:30に公開エリア限定で公開されています。さて、それでは皇居外苑へ入っていきましょう。

江戸城跡

千代田区

「江戸城跡」を   >

皇居外苑に入ってきますと江戸城跡の案内板があります。皇居外苑から皇居東御苑にかけて、広い広い空間が広がって、とても爽快です。

皇居外苑

千代田区

「皇居外苑」を   >

皇居外苑の楠木正成公の銅像の下にやってきました。ここの売店でソフトクリームを食べてホッと一息つきます。

楠木正成銅像

千代田区

「楠木正成銅像」を   >

こちらは楠木正成公の銅像です。疾走感がありますね。1333年に後醍醐帝をお迎えに参上した正成の勇姿とのことで明治33年からこの地に建っています。外国からの観光客の撮影ポイントになっているようです。

二重橋

千代田区

「二重橋」を   >

二重橋にやってきました。ここも外国の方の撮影ポイントになっています。まさに日本の景色を代表する場所といえるでしょう。

皇居外苑

千代田区

「皇居外苑」を   >

この二重橋前の広場は1954年(昭和29年)お正月の皇居一般参賀における雑踏事故により16人の方が亡くなるという痛ましい事故が起こった場所でもあります。たぶん、この地で、同じような事故が起こることはないのではないか、とはいえ、土地の持つ記憶というものを感じて自分の記憶に組み入れるという作業も、とても意味があることなんだなと改めて思いました。

皇居外苑

千代田区

「皇居外苑」を   >

さて、広場をぶらぶらと歩いて、和田倉噴水公園の方へ歩いていきましょう。時刻は14時48分です。

皇居外苑

千代田区

「皇居外苑」を   >

こちらの門は入り口を厳重に守られていました。皇居外苑にて。

和田倉噴水公園

千代田区

「和田倉噴水公園」を   >

15時11分、和田倉噴水公園にやってきました。とても綺麗な区画です。噴水の奥に建物が三棟あります。左手の建物の一部は誰でも入ることのできる休憩所になっています。

和田倉噴水公園

千代田区

「和田倉噴水公園」を   >

和田倉噴水公園の無料休憩所は利用時間が決まっています。

和田倉噴水公園

千代田区

「和田倉噴水公園」を   >

和田倉噴水公園の室内の無料休憩所です。

和田倉噴水公園

千代田区

「和田倉噴水公園」を   >

こちらは和田倉噴水公園の屋外の無料休憩所です。私もここに座って、休憩させてもらいました。

将門塚

千代田区

「将門塚」を   >

15時26分、将門塚にやってきました。和田倉噴水公園から歩いて6分ほどです。

将門塚

千代田区

「将門塚」を   >

ここ将門塚は強力なパワースポットとして古くから認知されている場所です。私にとっては、平将門はNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」の加藤剛さんが演じた二枚目です。家族につられて観た番組で、私はまだ子供の時でしたから話などほとんどわからず、平将門は最後には討ち取られるなどという展開は全然知らずに観ていたわけですけれども、そのラストに大変な衝撃を受けた記憶があります。今日はその時のことを思い出し、平将門を追悼します。

皇居東御苑

千代田区

「皇居東御苑」を   >

さて、皇居東御苑に入場してみましょう。一番近い大手門から入ります。

皇居東御苑

千代田区

「皇居東御苑」を   >

大手門のはしの上で、まずは手荷物チェックを受けます。そして門をくぐると窓口があって、そこで入園票を受け取ります。この入園票は退園の際に返却します。入場は無料です。月曜日と金曜日は公開していませんので入園できません。ご注意ください。(月曜日金曜日が休日の場合は公開)

皇居東御苑

千代田区

「皇居東御苑」を   >

皇居東御苑の中を歩きます。この時刻、雲が多くなってきて、ほんのわずかに雨が落ちてきましたが長くは降りませんでした。この坂道は白い小砂利で舗装されていますので歩きやすいのですが、江戸時代はどのような坂道だったのかと想像を楽しんでみました。土の道なら天気の日は何も問題はないだろうけれど、雨が降って泥道になったらさぞかし歩きにくいだろうとか、その次の日は道の整備で大変だろうなとか、いやいや、天下の江戸城で泥道はないであろうとか、そんなことを考えながら歩きます。

皇居東御苑

千代田区

「皇居東御苑」を   >

坂道を上ると広場にでます。

江戸城

千代田区

「江戸城」を   >

ここが松の廊下、あの赤穂義士の話の中で吉良上野介が浅野内匠頭に斬りつけられる松の廊下跡です。案内板を読んでいると、何事か面白いものがあるのかという感じで外国の方が案内板に集まってこられますが、これはたぶん、日本人じゃないとわからない部分かもしれませんね。

江戸城

千代田区

「江戸城」を   >

皇居東御苑の天守台跡の石垣です。まだ歩くことのできた母を連れてきて、このアングルで写真を撮ったなぁなどと思い出します。

江戸城

千代田区

「江戸城」を   >

江戸城の天守台の上にはベンチがあります。外国の観光客の方は、ひょっとしたら、ベンチしかない天守台跡に拍子抜けするかもしれませんが、私はここのベンチに座って東京の中心の広い空を眺めるのが大好きでございます。今日は雲が多い空模様ですが、ここに久しぶりに来られてよかったです。

江戸城

千代田区

「江戸城」を   >

時刻は16時10分、北桔橋門(きたはねばしもん)から退園します。受付で入園票を返却します。

江戸城

千代田区

「江戸城」を   >

これが北桔橋門です。橋の上から石垣と濠を眺めますと、かなり下に濠があって、石垣がとても高いので驚きます。この石垣を登って忍び込むのは、もちろん自分が忍者になったと想像してでの話ですが、とても苦労するだろうなと思いました。

北の丸公園

千代田区

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さて、北桔橋門をでて坂を下り歩道橋を渡るとすぐにここ、北の丸公園の入り口になります。北の丸公園はお巡りさんがとっても多かったです。パトカーがゆっくりと私の脇を走っていきます。おそらく、この二週間後のアメリカ大統領の訪日を受けての警備が既に始まっていたものと思われます。

日本武道館

千代田区

「日本武道館」を   >

北の丸公園の武道館です。近々に行われるコンサートの準備が進んでいました。

北の丸公園

千代田区

「北の丸公園」を   >

こちらは北の丸公園の出入り口の田安門です。1636年に建てられたといわれる国の重要文化財の門で昭和38年に解体修理を経ています。この門からでて道路に至ると目の前に靖国神社があります。

靖国神社

千代田区

「靖国神社」を   >

靖国神社も久しぶりの参拝です。時間が遅くなったので、遊就館は次の機会に訪れることにしました。

東京メトロ 九段下駅

千代田区

「東京メトロ 九段下駅」を   >

靖国神社の最寄り駅である九段下駅から地下鉄で新宿へ帰ります。かなり暗くなってきました。そろそろ帰宅ラッシュが始まります。

小田急電鉄新宿駅

新宿区

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新宿からロマンスカーで帰ります。今日の歩行数は40,959歩、距離にしてだいたい31km、東京の散歩だけに限ると36,000歩くらい、だいたい27kmくらいの散歩となりました。次回は両国駅から歩いてみたいと思います。

【上野駅出発】東京を歩くその1。上野・浅草・両国。両国からは電車で東京駅へ。そして皇居を歩きます【九段下駅着】

1日目の旅ルート

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