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粟津温泉 法師のお知らせ・ブログ
◆弁慶・富樫・義経の像◆
更新 : 2011/1/14 16:54
※1187年、頼朝に追討されている義経は奥州に落ち延びていく際、北陸道を通過しました。
全国各地には義経を捕らえる為関所が設けられており、安宅もその1つでした。
安宅の関守は富樫左衛門秦家。山伏に姿を変えた義経主従が安宅の関にさしかかると富樫は厳しく尋問しました。
すると弁慶はその疑いを晴らすため、機転を利かせ懐の中の白紙の巻物を取り出して、勧進帳を空読みし「不動の見得」を切りました。
関超えがかなうかと思ったその時、強力(登山などをするとき荷物を運ぶ人)姿の義経が富樫の目に留まりました。
「その姿が義経によく似ている」と富樫の疑念は増しました。
すると弁慶は「お前が義経に似ているせいで疑われたではないか!この憎らしき奴め!」と持っていた錫杖で義経を殴りつけました。義経に仕える身である弁慶が義経を守るべく、主従のものを殴りつけたのです。
弁慶のあまりの忠誠心、そして殴られることに耐えた義経に富樫は心を動かされ、義経に間違いないと確信しながらも通行を許しました。
安宅の関を通過後、弁慶はやむを得ずとはいえ主君を叩いたことを涙を流して謝ったそうです。義経は弁慶を許し、関を通過できたことをともに喜び合ったという物語があるんです。
安宅の関にはこの時の義経の勇気、弁慶の智略、富樫の仁義をたたえ、勇仁智と掲げられた像が立てられています。
またこの物語は歌舞伎十八番勧進帳として広く世に知られ、今なお語り継がれています。
この物語を知って、安宅の関に行くのと知らずに行くのではまた違ったものがあるのではないでしょうか…。
娘娘
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