さとけんさんの東京都の旅行記

【根津駅発】東京を歩くその6。文京区を歩く。根津神社から六義園一帯【御茶ノ水駅着】
- 1日目2018年2月25日(日)
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本日のスタート地点、根津神社にやってきました。地下鉄の千代田線・根津駅から歩いて5分ほどです。
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おお、梅が咲いています。根津神社と梅です。
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根津神社の参道の左側には綺麗なツツジの植え込みがあって、その脇には朱の鳥居が並んでいます。
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この鳥居は根津神社の境内にある、乙女稲荷神社の参道です。
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根津神社の境内の景色は、江戸時代からさほど変わっていないのではないか、江戸の人々も同じ景色を見たのではないだろうかと思える景色です。根津神社を辞し、谷中霊園へ向けて歩きます。
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根津神社の北口から東へ歩いて行くと4分ほどでたどりつく「へび道」という名の、川の名残でクネクネと曲がった道があるのですが、そのへび道から東へ道一本行った通りを、2017年の春辺りからキッテ通りと呼ぶようになりました。
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こちらは大名時計博物館です。不定時法の時を示す大名時計をみることができます。
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臨江寺にお参りにきました。こちらのお寺には1813年に亡くなった蒲生君平(がもうくんぺい)さんのお墓があります。
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玉林寺にやってきました。こちらには玉林寺の創建(1591年)以前から存在していたといわれるスダジイがありますが、本堂の裏手にあるので案内板のみ、みることができます。
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1591年創建の玉林寺にお参りします。
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玉林寺から言問通りを東へ歩いて5分ほどで旧吉田屋酒店に到着です。谷中六丁目にあった1910年築の建物をこの地に移築復元したそうです。
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谷中霊園にやってきました。1874年・明治7年に開設された公共墓地である谷中霊園には、それ以後に亡くなった日本の著名人が多く埋葬されています。
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谷中霊園の徳川慶喜のお墓をお参りします。
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こちら谷中霊園の駐在所の隣りには、1957年まで五重塔がありました。
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谷中霊園内にある五重塔跡地から西へ100mと少し行ったところの「りょうごんじ」にやってきました。このお寺には境内と谷中霊園内にお寺の墓地があり、谷中霊園の墓地のほうに中村正直さんのお墓があります。「天は自ら助くる者を助すく」の和訳をした方で、静岡県の伊豆・宇佐美の国道135号線沿いにも彼の石碑があります。
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全生庵にやってまいりました。1883年の創建で、開基は山岡鉄舟です。
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全生庵の境内に綺麗な梅が咲いていました。
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山岡鉄舟さんのお墓にお参りです。剣も禅も書も達人の山岡鉄舟さんは「歩く人」でもあり、彼の逸話の中には江戸から成田山新勝寺までの往復を朝4時に立ちその日の23時に帰ってきたというものや、1と6のつく休日に、江戸から三島の龍沢寺まで禅の修行に通っていた3年間ほどの時期があるというものなど、私はとても真似ができない強靭な足腰・精神力を持たれていたようですね。江戸から成田山までは今の道路事情で片道60q超、三島までは片道120qほどですから、19時間で120qを高下駄で歩いたり、途中に箱根を挟んだ240qを度々歩いていたわけですな。それ以外にも、この方にはとても面白い逸話が多いです。
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別格に巧いと伝わる落語家で、初高座が1845年・6歳の時、16歳で真打ちになりました。墓石の「三遊亭円朝無舌居士」は、山岡鉄舟の筆であるとのこと、山岡鉄舟は1888年に、円朝は1900年にそれぞれ亡くなられていますので、円朝さんは生前に戒名を決めて、山岡翁に揮毫を依頼していたのですね。そんな三遊亭円朝さんのお墓の前で手を合わせました。
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山岡鉄舟が眠る全生庵から歩いて4分ほどのところに岡倉天心記念公園があります。
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岡倉天心記念公園は、1898年(明治31年)に日本美術院が建てられた場所です。園内に六角堂があって、堂内には黄金色の岡倉天心像が安置されていました。
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谷中銀座を訪れたのは日曜日の朝8時40分ごろなのですが、「ひみつ堂」というお店にはすでに行列ができておりました。開店時間は10時なんだそうです。えっ、10時?と驚いてしまいます。かき氷のお店なのですが、今日はとても寒いのに、既に8時40分からお待ちになっている方々がいらっしゃるとは、これは相当に美味に違いありません。
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日暮里駅から西へ3分ほど歩いたところに緩やかな階段があります。これが夕焼けが似合う場所として名付けられた「夕焼けだんだん」です。
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夕焼けだんだんから日暮里駅の方へ歩いて行くとすぐに延命院の門が現れます。本堂の前にて合掌一礼のお参りをいたします。
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延命院には樹齢600年以上と伝わるシイの樹が生えています。かなりの老齢とお見受けします。
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延命院の近くには朝倉彫塑館があります。朝倉文夫さんは彫刻家で1964年(昭和39年)に亡くなり、そのアトリエ兼住宅の建物は1967年から一般公開されていて、今は台東区の博物館となっています。
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日暮里駅最寄の跨線橋からは何種類かの列車を観ることができます。ここがトレインミュージアムと呼ばれています。
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確かにややこしいのですが、日暮里駅と西日暮里駅があって、京成スカイライナーは日暮里駅には停まりますが西日暮里駅には停まりません。(駅がありません) また、日暮里駅は、JRと京成電鉄と東京都交通局(日暮里・舎人ライナー)が乗り入れ、西日暮里駅には、JRと東京都交通局(日暮里・舎人ライナー)と東京メトロ(千代田線)が乗り入れています。
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JR日暮里駅は、山手線・常磐線・京浜東北線の駅で、谷中霊園から近づくと崖の下にホームがある駅です。京成本線や東京都交通局(日暮里・舎人ライナー)との乗換駅にもなっています。
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京成電鉄の日暮里駅は1931年に開業した駅で、JRの山手線・常磐線・京浜東北線や、日暮里・舎人ライナーとの乗継駅になっています。成田空港へのアクセスにも便利です。
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ここ西日暮里・法光寺横の富士見坂も、2013年に新宿の大久保に建設された建物のために、今では富士山を見ることは出来なくなったようですね。
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JR西日暮里駅の南側すぐのところに浄光寺があります。
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そしてこちらのお寺には、江戸六地蔵の一つである地蔵菩薩像があります。門を入って左手に、立像と坐像のお地蔵さまが安置されていますが、その立像の方のお地蔵さまが、1691年に造立された江戸六地蔵の一つです。
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古来より眺めの良い場所として知られ、現在は公園となっている西日暮里公園にやってきました。1874年から1972年までは旧加賀藩前田家の墓所でしたが、1972年に国許の金沢に改葬され、翌年から西日暮里公園が開設されたとのことです。
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滝沢馬琴が1809年に使い古しの筆を供養するために建てたのが筆塚で、かつては今の西日暮里公園がある場所にあったそうですが、現在では青雲寺の本堂前に建っています。
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高村光太郎は高村光雲の長男で1883年生まれ、1892年に父・光雲とともにこの近く(現住所「千駄木5-20-6」)に移り住み、1912年(明治45年)にここ(現住所「千駄木5-22-8」)に転居したそうです。1945年(昭和20年)の戦災で住居は焼失し、今はありません。
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1852年、江戸下谷に生まれた高村光雲は1892年にここ(現住所「千駄木5-20-6」)に移り住み、1934年に亡くなるまでの42年間をこの場所で暮らしたといいます。
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高村光雲・光太郎の旧宅跡から南へ150mほど歩いたところにある邸宅です。安田楠雄さんは安田財閥の創始者で、墨田区の「旧安田庭園」の名称の由来になった安田善次郎のお孫さんです。
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もとは大聖寺藩という藩の屋敷であった須藤公園は、品川弥二郎が邸宅をたて、1889年に実業家の須藤吉左衛門が購入し、1933年(昭和8年)に公園用地として須藤家が寄贈したそうです。私が訪れた際は整備工事中でした。
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須藤公園から歩いて4分ほどで森鴎外記念館に到着です。建物の雰囲気がとても良いですね。中へ入ってみたくなります。
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森鴎外の旧居跡から歩いて3分ほどのところに、千駄木ふれあいの社があります。太田道灌の子孫の屋敷跡とのことですが、鬱蒼として大きな樹が何本も生えています。
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千駄木ふれあいの社から徒歩4分、根津神社からも徒歩4分のところにあります。夏目漱石が明治36年から3年間住んだ場所だそうです。細い通りの一画に石碑と案内板が建っており、近くの塀の上に猫の像がありました。
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夏目漱石旧居跡(猫の家)の案内板から徒歩4分ほどで海蔵寺の門に到着します。このお寺には、富士講を広めた身禄行者の墓があります。
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身禄行者は富士信仰中興の祖と言われ、江戸に富士講を広めた人です。今でも新宿の鳩森八幡神社などに残る富士塚はこの富士信仰によって作られたものです。小高い墓所の前にて手を合わせました。
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海蔵寺から歩いて3分の所にあるお寺です。観音堂の前には紅白の梅が綺麗に咲いていました。観音様に手を合わせます。
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光源寺から歩いて2分とかからない場所に蓮光寺があり最上徳内のお墓があります。最上徳内さんは江戸時代に北海道や樺太を歩き周った方です。蓮光寺の門をくぐって、すぐ左(左へいく通路の二本目)を少し進むと透明のプラスチックの板に囲まれた墓石がありますので、それが最上徳内の墓所です。
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蓮光寺のやや向かいにある養源寺は、三代将軍・徳川家光の乳母である春日局の実の息子・稲葉正勝を開基とするお寺で、1657年の明暦の大火後にこの地に移ってきたそうです。本堂前にて合掌一礼のお参りをいたしました。
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江戸時代の末期に儒学者として活躍した安井息軒のお墓が養源寺にあります。1799年に宮崎県に生まれ、昌平黌で学び、昌平黌の儒官となって、1876年(明治9年)に亡くなりました。
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養源寺にお墓がある安井息軒に儒学を学んだ西村茂樹は、戦前の学校教育に大きな影響を与えた人です。明治35年に亡くなり、養源寺にお墓があります。
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蓮光寺の西隣り、本駒込駅から東へすぐの高林寺はもとは神田にて創建されたお寺で、神田に在りしころの高林寺の境内にて湧き出た泉を、将軍にお茶用の水として献上したために「お茶の水」の地名が起こったと伝わっています。明暦の大火の後、現在地に移転したそうです。境内には緒方洪庵のお墓があります。
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本駒込駅の近くにある高林寺には1863年・文久3年に亡くなった緒方洪庵のお墓があります。1810年に岡山市に生まれ1838年に大坂に適塾を開き、幕末明治に活躍する人材を多く育てたことで知られています。
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南谷寺は本駒込駅の北側すぐのところにあるお寺で1945年の戦災で建物は焼失したものの、目赤不動明王はまもられて、徳川家光も目にした不動明王が今も不動堂に安置されています。
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本堂の阿弥陀如来と、梅が綺麗に咲いていた不動堂の目赤不動に合掌一礼のお参りをしました。
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吉祥寺にやってきました。本郷通り(都道455号線)沿いの門から長い参道が延びています。実にのびのびとした境内で空も広く、参道を歩いていると気分も晴れてくるような、そんなお寺です。
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明暦の大火後にお寺はこの地に移りましたが、吉祥寺の門前に住んでいたいた人々が被災して移住し開墾したのが、現在の吉祥寺という街だそうです。
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本堂近くには梅が綺麗にさいていました。
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洞泉寺にやってきました。儒学者一族である原家4代の墓所があります。説明文を詠みますと、生没年不詳の一名を除き三名の方の生没年が出ていて、それぞれ49歳・45歳・46歳で亡くなられているようで、皆さん、お若いのになと思いました。
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駒込病院の隅に動坂遺跡跡があります。動坂という坂の坂上にあたります。縄文時代にはこのあたりが海岸線であったのでしょう。
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動坂遺跡のある都立駒込病院の敷地の北東の端から、歩いて4分ほどで、駒込の天祖神社に到着です。東京の街中にありながら、静かで落ち着いた境内で、二礼二拍手一礼のお参りをしました。
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天祖神社の鳥居のすぐ近くにあります。案内に従って、門の左横にある木戸を開け、300年前の1717年に再建されたと伝わる家屋の外観のみを見学させていただきました。
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駒込名主屋敷や天祖神社がある辺りから歩いて3分ほどで駒込富士神社に到着です。境内には小高い富士塚があり、その上に拝殿があります。急な石段を上って、江戸の昔から多くの人がお詣りした場所にて、私もお詣りをいたしました。
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六義園の南隣にある東洋文庫には図書館と博物館があります。図書館の利用は調査研究を目的とする人が、閲覧手続きを経て閲覧できるようです。博物館は入館料900円で、研究者以外の人間も東洋学に関する展示を見学できます。
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六義園にやってきました。江戸時代の川越藩主・柳沢吉保が1702年に築園した大名庭園で、明治に入って岩崎彌太郎の別邸となり1938年(昭和13年)に岩崎家より寄付されました。多くの順路が車いすで周ることができます。
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六義園の正門から入って、すぐに突き当たる大泉水の池畔が出汐の湊と呼ばれています。
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六義園・大泉水に岸辺と田鶴橋で結ばれた中の島があります。田鶴橋が通行できないため島には渡れませんが、対岸から眺めて良い景色です。
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六義園の大泉池に浮かぶ中の島にかかる橋です。木の橋を土で覆っている橋のようです。渡ることは出来ません。
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六義園には園の中央に大きな池があり、広く変化に富む景観を水辺に作り出しています。雪吊りされた樹や菰巻きされた樹などに季節を感じました。
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六義園の池のほとりの吹上茶屋で、一休みしてお抹茶をいただきました。
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池の景色が素晴らしく、お抹茶も苦くて疲れがとれるようであり、目の前には小鳥も遊びに来て一生懸命に土をつついておりました。良い時間でした。
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つつじの木材を使っている亭(ちん、とよむのでしょうか)で、みるからに重そうな屋根を、曲がってねじりの入ったツツジの木とサルスベリの木で支えています。そもそも、ツツジの樹は背の低い樹が多いですから、これだけの長さに成長しそれを使用するというのは、貴重なものであると、案内板にもありました。
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古くは蜘蛛を「ささがに」と呼び、その糸のように細い道ということで、ささがにのみちと名付けられたそうです。六義園の奥、山陰橋と藤波橋を結ぶ道です。
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また、蜘蛛の糸が細くとも長く切れないことから、和歌のみちも柳沢家も永遠につづくようにという願いも込められているそうです。
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渡月橋を渡った先にある小高い丘が藤代峠です。くねった階段をのぼって頂きにでますと、「おっ」声がでるような眺めに出会えます。
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藤代峠からの眺め
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藤代峠からの眺め
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ふもとには梅が綺麗に咲いていました。
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六義園の正門から入って右手のやや奥にある石を二つ組み合わせた橋です。この橋は車いすでは渡らないでくださいとのことです。橋のたもとには転落に備えて救命具が用意してありました。
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ゆったりとした時間を過ごすことができました。六義園を辞します。
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六義園の正門から西方向へ歩いて12分ほどで到着です。ここ文京区千石は江戸の昔は巣鴨の内で、近くには中山道(国道17号)が走り、ここ子育稲荷には時の鐘があったそうです。今は静かな境内で、小高いところにある拝殿前にて私もお詣りをいたしました。
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一行院にやってきました。徳本行者のお墓があるお寺です。徳本行者は紀州出身で4歳の時に隣家の子供の死で無常観を持ったという方で、26歳で出家して、諸国を周って念仏を広めたとのこと。
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本念寺にやってきました。
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狂歌師の大田南畝のお墓が本念寺にあります。
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白山駅から歩いて1分ほどで白山神社に行くことができます。900年代に創建され、現在地に移ったのは1655年と伝わります。梅の咲く境内にて、二礼二拍手一礼のお参りをいたしました。
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白山神社の境内には、隣の白山公園と合わせて約3,000株のアジサイが植えられていて、6月の中旬には文京アジサイまつりが開催されます。私が訪れた際は花は咲いていませんでしたが、参道に多くの株が植えられているのがよくわかりました。
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白山神社から歩いて6分ほどの大円寺には、八百屋お七を供養するためのほうろく地蔵があります。
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八百屋お七は、江戸時代に放火の罪で火あぶりの刑を受けた女性ですが、この女性を供養するために1719年に渡辺九兵衛という人が寄進したのがほうろく地蔵です。現在では、首から上の病気を治す霊験あらたかなお地蔵様として知られていますので、私も手を合わせました。
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また、大圓寺の境内には、「花の匂いは 母のにおいよ 甘えたし」という松野自得という方の句碑があり、本日は梅の香りを沢山感じたお散歩でしたので、ああ、いいなあと、いいなあと思ったのでした。
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本堂前にて手を合わせます。本堂の左手に路地があり、その路地を挟んで墓地があります。
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1798年に生まれ1866年に没した高島秋帆は長崎に生まれ育ち、日本の砲術の遅れに気が付いて1834年・36歳の時に高島流砲術を完成させたと伝わります。
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浄心寺坂を下ると円乗寺の石門があります。
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参道を歩いて行くと、こじんまりとした境内に本堂と八百屋お七さんのお墓があります。本堂前とお七さんのお墓の前で手を合わせました。
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浄心寺坂・坂下の円乗寺の本堂脇にあります。屋根がつけられ赤い提灯に「八百屋於七地蔵尊」と書かれた地蔵堂になっていて、とても大切にされているのだなと思いました。
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西善寺にやってきました。こちらには近藤重蔵の墓があります。
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1771年に生まれた近藤さんは、北海道・樺太・千島・利尻と巡察し、歩き周られた方です。本日巡った蓮光寺に葬られている最上徳内さんと同様、近藤さんの生涯歩行距離も相当なものなのでしょう。波乱万丈の人生であったようですが、今は滋賀県の瑞雪院に葬られ、こちらの西善寺には墓標が建てられています。
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東大の弥生キャンパスの西側にある西教寺の表門は、徳川家の重臣・酒井雅楽頭の屋敷から1874年(明治7年)に移築されたものです。狭いですがこざっぱりとした本堂前にて合掌一礼のお参りをいたしました。ここから湯島のデリーまでいって、本日もカシミールを食べ、御茶ノ水駅から電車に乗って帰りました。
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本日の歩行数は53,067歩、距離にすると40km弱といったところでしょうか。根津神社、吉祥寺、六義園と、いいお散歩ができました。
【根津駅発】東京を歩くその6。文京区を歩く。根津神社から六義園一帯【御茶ノ水駅着】
1日目の旅ルート
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