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雪乃さんの和歌山県の旅行記

霊場 高野山 〜いまの私を超えた こころに出会いたい

  • 家族(親と)
  • 3人〜5人
  • 史跡・歴史

お大師さまのもとへ♪世界遺産 高野山へ このままの私ではいけない 今の私を超えたこころに出会いたい

京都ツウ 雪乃さん 女性 / 50代

1日目2019年8月1日(木)
10:00-11:00

壇上伽藍

高野町(伊都郡)

「壇上伽藍」を   >

弘法大師が嵯峨天皇の光仁七年(816)真言密教の根本道場として定められました。末徒の修禅拝観とお大師さま自らの入定の地とする崇高な目的で開山されました。 海抜900メートルの高峰上にある総面積百十余ヘクタール(三十三万坪)の盆地になります。その山の姿は四仏四菩薩を象徴したといわれる内葉八、外葉八の峰々に囲まれ上空から見た時、蓮の形をなしています。上から見た高野山全体を八葉蓮台といい、地形がまるで上から見ると蓮の花が開いたように見えるのです。高野山に行く、というのは山登りではないですが歩きやすい服装、靴で行かれた方が良いと思います。この目の前が無料駐車場になります。壇上伽藍の前の階段はどうぞゆっくりと上がっていただき、お気をつけてください。建物の美しさに圧倒されます。

10:00-11:00

上の門の両脇を御覧ください。持国天像 文政2年造立  慶派仏師 作 持国天像という仁王様です。門から向かって左手に安置されています。甲胃姿で刀剣を持っています。

こちらは多聞天像 文政2年 慶派仏師 作  壇上伽藍の門に怖いお顔の仁王様がいらっしゃいます。こちらは高野山檀上伽藍をお守りなさる仏様です。門から向かって右手は北を守護する多聞天像と呼ばれ、1尊で祀られる際は歴史上の人物 上杉謙信も信仰していた毘沙門天と呼ばれています。左手に宝塔、右手に鉾を持って高野山へ来た悪いものを説き伏せるお役目をお持ちです。

12:00-13:00

三鈷杵の松

真言宗の根本道場。大日如来さまと金剛界の四仏が祀られております。美しい外観をしばらく眺めてから入口で塗香(手につけてすりこむ)をつけてから拝観です。静かにこころ落ち着きます。 高野山との出会いは30代で母親と永遠の別れを経験してからです。それまで一緒にいた人間がこの世からいなくなるというのがいったいどこへいってしまったのだろう?という人探しみたいな気持ちになりました。最初は仏教もさほど知らなかったのですが、奥深くまだまだ知らないことばかりです。年に何回か通ううちに近年になってようやくわかりかけてきたという感じです。その時々、今の私はこのままでいいのか? 今の私を超えたこころに出会いたい そう思うようになりました。

11:00-12:00

根本大塔

高野町(伊都郡)

「根本大塔」を   >

根本大塔と同じ場所にある 松の木です。「三鈷杵の松」 と呼ばれております。 1200年ほど前に弘法大師さまが唐から日本へ向けて投げて三鈷杵がこの松の木に引っかかったと言われています。 お大師様は日本の仏教の聖地という意味を込めたのですね。

12:00-13:00

愛染堂(和歌山県高野町)

高野町(伊都郡)

「愛染堂(和歌山県高野町)」を   >

檀上伽藍内にあるお堂です。ご本尊は愛染明王さまです。愛情あふれる仏様でございます。 こちらでの所要時間はゆっくり見て1〜2時間以内です。最初の朱色の大きな門をくぐって車で数分のところにある金剛峯寺へ移動いたします。

高野山 金剛峯寺

高野町(伊都郡)

「高野山 金剛峯寺」を   >

金剛峯寺の前に大きな駐車場がございます。道路を挟んで金剛峯寺の門へ。 弘法大師さまが命名した金剛峯寺。高野山一山の総称です。 真言宗の大本山であり一切の寺務を司る宗務所があり全国、海外の末寺 四千ヶ寺を統べ壱千万大師信徒の信仰の中心となっています。 この正門をゆっくりあがって金剛峯寺に入ります。

高野山 金剛峯寺

高野町(伊都郡)

「高野山 金剛峯寺」を   >

門をくぐりましたらこちらが本坊になります。この右手から入口で拝観料を払い、靴を脱ぎ 入ります。出口と入り口は一緒になります。順路は一周する感じです。夏場などは靴下をご用意されてお上がりになられた方が良いでしょう。 柳の間  豊臣秀吉に追放されこの山に来た秀次はこの山の木食応其上人の助命の願いにも かかわらず自刀を命ぜられました。その場所を拝観します。撮影禁止ですので写真はありません。別殿内部、奥書院、昔、天皇や上皇が登山された際に応接室として使われた上檀の間、現在は重要行事に使われています。そして軽井沢に美術館がある千住博氏が描いた大広間のふすま絵。私はまだみたことがありませんがこの中はみどころがたくさんございます。

御影堂

高野町(伊都郡)

「御影堂」を   >

真言宗の根本道場。金剛峯寺内にございます。大日如来さまと金剛界の四仏が祀られております。決して派手さはないのですが、いつまでも佇んでいたくもなります。

金剛峯寺 蟠龍庭(ばんりゅうてい)

工事も終了し美しく変わりました。常に御大師様のもとでは綺麗にしているのが伺えます。この庭を左に見ながら先へ進みますと新別殿という僧侶さんのお話をお茶とお菓子を頂きながら聞く場所がございます。

左側の場所は2015年頃から工事中でした。常に現状回復に努めていらっしゃる高野山の修復部隊の皆さんはやりがいもあるでしょうが何しろ御大師様の場所ですから大変気を遣いながらの作業ですね。 この蟠龍庭という庭は素晴らしいお庭です。雲海の中で雄雌の一対の龍が奥殿を守っているように表現されています。 龍は四国産の青い花崗岩を140個使用し、雲海には京都の白い砂を使っています。 ここでも京都とつながっているのです。こちらの庭は金剛峯寺の拝観途中に見える庭で 入ることは出来ませんが奥殿を守るように作られているというのも御大師様も幸せですよね(笑)でも御大師様は形あるものよりも目に見えないものを大事にしろというかもしれないですよね。

こちらは五鈷杵になります。唐から投げた三鈷杵が松の木にひっかかったときのものがこちらです。お大師さまの敵は煩悩ともいわれています。 様々な欲ですね。右手にお持ちになられています。時には敵と戦う お大師さまの大事な武器です。松の木に似てますね。

通路脇の庭を過ぎた辺りから「こちらでお茶でもどうぞ〜」と人の声が響いてきました。 この新別殿は参拝者をもてなす場でもあり、参拝客も誘われるまま集まってきて 僧侶さんの法話を聞こうと新別殿の中に入り座ります。こちらには椅子もございます。 茶菓が振舞われました。この先はお大師様の食堂があります。食堂といっても僧侶さんたちが食事を作る場所になります。お大師様には強い香りのものはお出ししないようです。 例をあげますとにんにくだそうです。大きなかまどがありましたが大勢の人々のご飯を炊き、静かに修行を重ねたのでしょう。食事も修行でございまして、静かに食べる、食べながらしゃべらないのでしょう。だけども御大師様はおっしゃいます。なんでもバランスなんだと。なんでも過ぎてはいけないと。ほどほどでいい、そうおっしゃいます。そのほどほどが難しいんですよね。 「お参りご苦労さまです。えー、お盆の時期ですが今日は皆さんの後ろにご先祖さまが一緒に高野山にきてますよ、 ご先祖さんは喜んで一緒に周られていることでしょう」 とお話がありました。一緒に周っているのだとしたら 今、後ろにいる!?などと誰もいないのに振り返ってみました。 目に見えないけれども もしかしたら傍にいるのだとしたら なんとなく背筋も伸びます。どんな想いでいるのだろうか・・・? 先に進みますと大広間があります。撮影NG

金堂

高野町(伊都郡)

「金堂」を   >

平安時代半ばから一山の総本山として重要な役割を果たしているそうです。 ご本尊は高村光雲さん作の薬師如来が泰安されています。

奥之院

高野町(伊都郡)

「奥之院」を   >

弘法大師さまの聖地  奥の院  ここからは撮影禁止になります。 駐車場を渡って奥の院へ。こちらにはさあ、奥の院だと気合十分なトラベラーたちがトイレなど済ませたりしています。門の前に土産屋と案内所があるのでこちらの案内所では 奥の院のことなど教えてくださいます。お大師さまが今も修行なさっている聖地です。 毎日、僧侶さんがお食事をお供えされます。橋を渡る前がこの世とあの世の結界となっているので帽子やサングラスを外し、一礼して渡ります。渡ってから本堂まで歩きます。 奥の院の本堂には真言宗の僧侶さんたちが静かに対応をされています。 そこに御大師様への手紙をいう葉書を見つけました。 お大師様に話したいことを書いて1年間読経していただくものです。 私は葉書にお大師様に話したいことを書いて納めました。 (お願いごとを書くものではありません) これは無料で出来ることですのでご利用してみてください。 この葉書が縁で永遠の別れがあった方とお大師様のご縁に きっと仏さまもお喜びになりますね。高野山へ来たら、壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院この三つは1日あれば周れます。この三つで高野山に行った!充分だと思います。ほかの寺院をもっと見たい時には宿坊にお泊りした方が良いですね。宿坊のおすすめは金剛峯寺の前にある「常喜院」をおすすめいたします。美しく見事な庭が素晴らしいです。

徳川家零台 寛永20年(1643)三代将軍の家光によって建立された。 一重宝形造りの同じ建物が左右に並んでいます。

摩訶般若波羅蜜多心経 一文 あるときお釈迦様は深い安らぎに入っておられました。 その席でまた観音様も深い安らぎに入っておられました。 人の心をよく見通せる観音様は 安らぎに至る浄らかな智慧を しずかに働かせているとき ものとは五つの条件があつまって 因縁和合して起こっているのだから とらわれようがないと みきわめて あらゆる苦悩とわざわいを 解放されました。 五つの条件とは 色(ものごと)→受(感受する)→想(記憶に照らして形を 判断する)→行(自分にとって危険や損得を判断する)→識(自分の意見になる) 高野山にいるといかに生きるべきかを導かれているようでもあり 欲が恐怖を生むのだとも説かれているような。。 だけど欲があるのが今世であるしないのも嘘になります。 高野山の修行僧の方々はすごいですね。真言宗は厳しいと 耳にします。 今の私を超えたこころに出会いたい 姿は見なくても一緒に高野山を周りましょう♪という気持ちに切り替え その後も拝観し時間がだいぶ過ぎた頃に「きっと一緒に周っているかもしれない」 私の心もだいぶ変わってきました。 「お互い、次元の違う別々の場所で暮らしているのだよね」 と思うようになりました。 高野山を知ってからの永遠の別れの場では だいぶ考えも変わりました。また伺いたいと思います。 宿泊は奈良のセンチュリオンホテルに泊まりました。 

高野山を駆け足でまわって来ましたが・・・ 結局、[こえたこころ]というのが人生は思うようにならないこともあり、むなしさ、悲しみを超える願いを持とう。その苦も永久不変のものではない、ということをおっしゃっているのだとは思います。私の解釈は・・・「よし!無心でいよう!」とたどり着き、リアルで畑で茄子を作ってみました(笑)茄子命の私は無心になって種を蒔きました。。土を耕したり、毎日出来上がった茄子を想いながら・・デンジャラスな毛虫とかミミズが出てきたりするんですけどわき目もふらず・・・茄子がたくさん取れる姿を想像して(これも欲 (笑)   無心でやってみたけれど出来たのはたったの1本(泣)本当にセンスないとがっかりしましたが無心でいられる時間というのは結果はどうであれ、いいことなのでしょうね。その後の茄子は情けないことに合計10本くらい・・・・もったいないことをしました。我が家のおじいちゃまに何度も聞いてそのとおりにやったのに・・・。畑は向いてないみたいですので次の無心を考えたいと思います。(笑) それが高野山にいると無心になれるんですよね。 お墓はあるわ、仏教の聖地ではあるわ、なのですがやっぱり世界遺産の迫力に・・・ 納得します。いつまでも高野山が日本の人々のこころの拠りどころでありますように。。。

霊場 高野山 〜いまの私を超えた こころに出会いたい

1日目の旅ルート

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