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Shotaさんの京都府〜香川県の旅行記

淡路島探訪、畿内・香川の城址、姫路城、佐伯祐三・荻須高徳展(大阪)など

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  • 1人
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 自然
  • ハイキング・登山
  • 格安旅行

畿内の城址を回って、淡路島の城址、野島断層保存館、伊弉諾神宮などへ。四国に渡って高松、丸亀など香川の城址を巡って姫路城へ。山王美術館(大阪市)で佐伯祐三・荻須高徳展を観て宇治へ。

歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代

1日目2021年12月30日(木)
10:00-10:00

三宅城址(茨木市)

三宅城の名は『応仁記』『応仁広記』などに見られる。14世紀前半摂津守護細川勝元に属した三宅氏によって築かれたのではないかとされる。『日本城郭大系12』

10:00-10:00

三宅城址

三宅城址を示す石碑と説明版は住宅地の公園の一隅に立っている。説明版によると、三宅氏は細川氏の敵、畠山義就についていたとされている。史実はどうであろう。

11:00-11:00

吹田城域(吹田市)

吹田城は鎌倉後期頃、摂津国人衆の吹田氏によって築かれたのではないかとされる。『日本城郭大系12』城の痕跡を示すものは見られないが、城域に細川家ゆかりの曹洞宗玉林寺が建つ。

12:00-12:00

原田城址(豊中市)

原田城(北城)は16世紀初頭に築かれたと考えられているが、築城主は不明である。『日本城郭大系12』  住宅地の一角に立派な門構えの記念館が建っている。

12:00-12:00

原田城址

原田城が幾多の合戦の舞台となった記録は見られるが、城主については不明である。この北城の南東に南城があったとされている。『日本城郭大系12』

12:00-12:00

有岡城跡

伊丹市

「有岡城跡」を   >

伊丹城は南北朝期、摂津の国人伊丹氏によって築かれたのではないかとされる。天正2年(1574年)信長配下の荒木村重が伊丹氏を滅ぼし、新城主となって大改修を行い有岡城とした。『日本城郭大系12』

13:00-13:00

富松城址(尼崎市)

富松の地は平安期から富松荘と呼ばれ、保元期は左大臣頼長領28所の一つであった。富松(とまつ)城は長享元年(1487年)以前、細川晴元配下の薬師寺氏が築いたのではないかとされる。『日本城郭大系12』

14:00-14:00

瓦林城址(西宮市)

瓦林城は建武3年(1336年)赤松円心配下の貴志五郎四郎義氏が築いたとされている。この石柱は日野神社参道に立っているが、実際の位置は南西部の極楽寺あたりではないかと考えられている。『日本城郭大系12』

14:00-14:00

日野神社(西宮市)

当初瓦林城があったと考えられていた場所に建つ日野神社は康安期(1361-62年)創建とされる。天照大神、豊受大神、春日大神を主祭神とする。

14:00-14:00

越水城址(西宮市)

越水城は永正16年(1519年)頃、摂津守護細川高国配下の瓦林政頼が築いた平山城。『日本城郭大系12』

14:00-14:00

越水城址

越水城のあった丘は観応2年(1351年)足利尊氏と弟直義が戦った小清水の陣所址であった。(説明版) 現在は大社小学校の敷地になっている。

14:00-14:00

西宮砲台

西宮市

「西宮砲台」を   >

西宮に初めて砲台が置かれたのは安政元年(1854年)。露使プチャーチン来航の際、尼崎藩が大砲方を出張させ大砲二門を据えて警備にあたったが、これは一時的なものであった。『日本城郭大系12』

14:00-14:00

西宮砲台址

本格的な西宮砲台は軍艦奉行勝海舟の設計により文久3年(1863年)着工、慶応2年(1866年)完成。堡塔の高さ12m、径17m、総構え径75m。『日本城郭大系12』

15:00-15:00

神戸ポートタワー

神戸市中央区

「神戸ポートタワー」を   >

港町神戸のシンボル神戸ポートタワーは只今、補修工事中。

16:00-16:00

船上城址(明石市)

船上(ふなげ)城は天正14年(1588年)秀吉に明石郡を与えられた高山右近重友が築いた平城(水城)。本丸跡・水場・土塁・長屋門などが残る。『日本城郭大系12』

18:00-23:00

ホテルアストンプラザ姫路

ホテルアストンプラザ姫路は姫路城の南6.5kmの所にあるビジネスホテル。大浴場もあり、ちょうどよいサイズの部屋で快適。

2日目2021年12月31日(金)
00:00-05:00

ホテルアストンプラザ姫路

淡路島の様子がよく分からないので、5時半に出発。

07:00-07:00

岩屋城址(淡路市)

岩屋城は淡路島の北端に位置する。室町後期、安宅(あたぎ)氏が築いたとされる丘城。近畿と中四国・九州を結ぶ海上交通の要所に生まれた海賊城といえる。現在は旧態をほとんどとどめてはいない。『日本城郭大系12』

07:00-07:00

岩屋海岸

岩屋城のあった辺りは「松尾山」「マナイタ山」とも呼ばれ、切り立ったように削り落ちているが、沖に同じような奇岩が見られる。

07:00-07:00

松帆台場(淡路市)

松帆台場は淡路町岩屋の北、松帆浦の最突端に位置している。文久3年(1863年)徳島藩主蜂須賀斉裕が幕府の命を受け築いたもの。『日本城郭大系12』

07:00-07:00

松帆台場(淡路市)

稜堡式城塞の松帆台場には鉄造80ポンド砲4門など計13門の大砲、火薬庫が二カ所、弾薬庫は5室あった。台場を中心に東西に土塁が延びた状態で現存している。『日本城郭大系12』

08:00-09:00

北淡震災記念公園 野島断層保存館

淡路市

「北淡震災記念公園 野島断層保存館」を   >

六甲・淡路島断層帯の活動によって起こった、1995年1月の兵庫県南部地震の震源に最も近い野島断層は、淡路島の北端、江崎灯台付近から富島地区までの約10kmにわたる活断層である。この活断層による破壊が最も顕著であった小倉地区に断層の一部が保存され記念館となっている。

08:00-09:00

野島断層保存館 江崎灯台石段

淡路島の北端にある江崎灯台の石段が阪神・淡路大震災の時に野島断層の横ずれで屈曲した。(館・写真)

08:00-09:00

野島断層保存館 小倉地区亀裂

兵庫県南部地震の際、破壊状況が最も顕著であった北淡町小倉地区の亀裂の一部が保存されている。(館・写真)

09:00-09:00

五斗長垣内遺跡

淡路市

「五斗長垣内遺跡」を   >

五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡は弥生後期の国内最大規模の鉄器製造群落遺跡。鍛冶炉の遺構、矢尻などの鉄器、石槌や鉄床石、砥石などの工具も出土している。

09:00-10:00

伊弉諾神宮

淡路市

「伊弉諾神宮」を   >

『日本書紀』『古事記』に曰く、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地に鎮まったのが当社の起源であるとされる。この神話は後代のものであるとする見解もある。

09:00-10:00

伊弉諾神宮 表門

表神門は明治16年(1883年)隋神門を現在の様式に改めたもの。本殿は三間社流造で幣殿と屋根で連結される。明治15年(1882年)建立。拝殿は銅板葺入母屋造で舞殿を兼ねる。

09:00-10:00

伊弉諾神宮 神社方位

参道脇に本神宮を中心とする太陽の運行図があり、各地の神社の位置が示してある。北に出石神社、北東に飛鳥藤原京、諏訪大社、東に伊勢神宮、東南に熊野那智大社、南に諭鶴羽神社、南西に高千穂神社・天岩戸神社、西に対馬海神神社、北西に出雲大社・日御碕神社など。

10:00-10:00

柳澤城域(淡路市)

柳澤城は天文期(1532-55年)三好長慶配下の柳澤隼人佐直孝によって築かれたとされる。遺構をたどるのは困難。

10:00-10:00

白巣城域(洲本市)

五色町三野原の南東にある白巣山の山頂・山腹が白巣城域である。城は室町末期、安宅(あたぎ)氏が築いたとされている。『日本城郭大系12』

10:00-10:00

炬口城址(洲本市)

炬口(たけのくち)城は永正2年(1505年)安宅(あたぎ)監物秀興が創築したものといわれるが、確証はない。土塁・堀切が残る。『日本城郭大系12』

11:00-11:00

炬口台場(洲本市)

炬口(たけのくち)台場は文久3年(1863年)徳島藩主蜂須賀斉裕の命により洲本城代稲田氏が築いたものである。6門の砲座が置かれていた。住宅地に石垣と土塁が残っている。

11:00-12:00

洲本城跡

洲本市

「洲本城跡」を   >

洲本城は三好氏の重臣安宅(あたぎ)氏が室町後期に築いたとされる。洲本市街の南壁、三熊山上とその北山麓に位置した平山城であった。『日本城郭大系12』  現在ある模擬天守は昭和3年(1928)に築造されたもの。

11:00-12:00

洲本城 石垣

現在見られる遺構の大部分は安宅氏築城時のものではなく、江戸初期のもの。『日本城郭大系12』  随所に残る石垣に根を張る古木と苔はいかにも古城の雰囲気を味わわせてくれる。

12:00-12:00

志知城址(南あわじ市)

志知城は鎌倉初期、菅和泉守道忠による創築といわれる。菅氏はときに野口姓を名乗ってもいる。秀吉治世下には志知水軍が編成され、九州遠征、小田原征伐、朝鮮出兵に出征している。『日本城郭大系12』

12:00-12:00

声明寺(南あわじ市)

志知城域に建つ明山声明寺は聖観音を本尊とする真言宗の寺院で、城主菅氏の菩提寺である。

12:00-12:00

叶堂城址(南あわじ市)

叶堂(かのど)城のあった地は淡路南部、三原平野を流れる河川が合流し播磨灘に流出する河口で水運の要所である。この城は慶長5年(1600年)代官石川紀伊守が、上記志知城に代わる海運の拠点として築いたものである。『日本城郭大系12』

12:00-12:00

感応寺(南あわじ市)

叶堂城域にある松帆山感応寺は天平期に行基が創建したと伝わる真言宗の寺院。聖観世音菩薩を本尊とする。高台に城の石垣が残っている。

12:00-12:00

湊城址(南あわじ市)

湊城は西淡町湊里地区北部の丘陵に位置していた丘城。室町後期に淡路安宅衆の一人、湊安宅氏が築いたとされている。城址西に安宅氏の墓とされる「安宅明神」という一石五輪塔が立つ。『日本城郭大系12』

13:00-13:00

南あわじ産業文化センター 瓦の展示場

淡路島南部は瓦の原料となる粒子の細かい土に恵まれ、西暦600年頃から瓦が生産されている。センター前には種々の瓦が展示されており、館内には瓦に関する資料が展示され、粘土に触れる体験もできる。

13:00-13:00

瓦の展示場

花をかたどって造られた瓦。細工の細やかさに驚かされる。「鬼師」と呼ばれる瓦職人の技術の高さを示すものだろう。

13:00-13:00

瓦の展示場

鬼瓦にも実に様々な表情のものがある。瓦作りは「一に土、二に窯、三に細工」といわれる。島の恵みである良質な粘土を自在に操り、ひとつ一つ個性のある作品に鬼師が仕上げる。

14:00-14:00

淡路人形座

南あわじ市

「淡路人形座」を   >

室町末期に起源をもつといわれる、淡路人形浄瑠璃の公演が行われる劇場。「淡路人形座」は1964年に立ち上げられた。

15:00-15:00

沼島

南あわじ市

「沼島」を   >

沼島は南あわじ市の土生港の沖、4.6kmにある勾玉形の島。沼島こそ上記国産み神話のいうオノコロ島であるという言い伝えがある。「天の沼矛(ぬぼこ)」とされる奇岩や「おのころ神社」もある。今回は確認できず。

19:00-23:00

ビジネスホテル東宝イン(高松市)

東宝イン高松は高松城址公園のすぐ近くにある、きわめてリーズナブルなビジネスホテル。

3日目2022年1月1日(土)
00:00-07:00

ビジネスホテル東宝イン(高松市)

旅程を考慮して7時に東宝イン高松を後にした。

07:00-07:00

高松城址

高松城は天正16年(1588年)讃岐領主生駒雅樂頭親正によって築かれた水際城である。『日本城郭大系15』城域は城の別名「玉藻城」にちなんで「玉藻公園」として整備されている。

07:00-07:00

高松城 丑寅櫓

現在は月見櫓・丑寅櫓、石垣と内堀の一部が遺構として残っているにすぎないが、内堀・外堀に海水をたたえ、外堀搦手に舟蔵を配した往時をしのばせてはくれる。『日本城郭大系15』

08:00-09:00

屋島神社

高松市

「屋島神社」を   >

江戸初期までは島であった屋島の南嶺山上、屋島城域に建つ南面山千光院屋島寺。天平勝宝6年(754年)唐僧・鑑真開基と伝わる真言宗御室派の寺院である。

08:00-09:00

屋島寺 本堂

瓦葺朱塗りの柱の本堂は昭和32年(1957年)に修復されたもの。十一面千手観世音菩薩を本尊とする。

08:00-09:00

屋島城 石垣址

屋島城は奈良期に建てられたとされる山城。『日本城郭大系15』屋島寺から1200mほどの所に修復された城門が残っている。眺望を楽しむと同時に源平合戦のむかしに思いを馳せる。

10:00-10:00

十河城址(高松市)

十河(そごう)城は讃岐国山田郡を支配していた植田氏の支族、十河(そごう)氏が南北朝期に築いたのではないかとされる。

10:00-10:00

十河城址・称念寺

城址には十河氏ゆかりの浄土宗称念寺が建っていて城の山門が寺の山門になっている。入口に紐が下がっており、引けば鐘を鳴らすことができる仕組みである。

10:00-10:00

昼寝城址(さぬき市)

昼寝城は長尾町南部の「昼寝山」の山頂にあった砦で、嘉吉期(1441-44年)に代々寒川郡司であった寒川光治が築いたとされる。『日本城郭大系15』獣道が山頂に続くのみで遺構を確認することは出来ない。

11:00-11:00

引田城址(東かがわ市)

引田城は香川県東部、引田湾の北側に位置する城山一帯にあった山城。上記寒川氏支配の一城であったともされるが、築城主、時期ともに定かではない。『日本城郭大系15』

11:00-11:00

引田城域(東かがわ市)

引田城の位置した城山は古い陸繋島で、半島付け根の安室から引田市街にかけて低湿地帯となって、自然の要害を形作っていた。郭・空堀・石塁が残る。『日本城郭大系15』

13:00-14:00

丸亀城

丸亀市

「丸亀城」を   >

丸亀城は慶長2年(1597年)讃岐領主生駒雅樂頭親正によって築かれた平山城。寛永18年(1641年)肥後国天草郡富岡の領主山崎甲斐守家治が西讃に転封され、廃城になっていた丸亀城を再興し居城とした。『日本城郭大系15』

13:00-14:00

丸亀城 大手門

丸亀城の大手門は上記山崎氏が明暦3年(1657年)に断絶した翌年、この城を与えられた京極刑部少輔高和が新築したものとされる。『日本城郭大系15』  ガッチリした堅牢な木組みが印象的だ。

13:00-14:00

丸亀城 石垣

山を取り巻いて幾重にも築きあげられている石垣は、その優美さで知られている。「三日月型」「扇の勾配」と呼ばれる石組は名築城家であった山崎家治の築造であろう。『日本城郭大系15』

13:00-14:00

丸亀城 天守閣

丸亀城の天守閣はそれほど大規模なものではないが、山崎氏が寛永末期築造に着手し、万治3年(1660年)京極氏の代になってようやく完成している。三重三層で二重には南北に唐破風、三重には南北棟屋根入母屋造で北面に大窓、東西に千鳥破風を付け堂々としている。『日本城郭大系15』

15:00-15:00

川島城址

吉野川市

「川島城址」を   >

川島城は徳島平野の中央部に突き出た古城山に築かれていた平城である。元亀3年(1572年)三好長慶の一族、川島兵衛進惟忠が戦功によりこの地を得て築城した。『日本城郭大系15』

15:00-15:00

川島城址

古城山頂上の本丸址を「岩ノ鼻」という。その部分は青石が削られて姿を変えたが、残る二の丸付近は川島公園となり、模擬天守が建っている。『日本城郭大系15』

15:00-15:00

川島神社

吉野川市

「川島神社」を   >

川島城の二の丸址に建つ川島神社。創建は不詳。誉田別天皇、天日鷲命、菅原道真を祭神とする。

17:00-18:00

撫養城(岡崎城)跡

鳴門市

「撫養城(岡崎城)跡」を   >

撫養(むや)城は阿波鳴門の東方、標高62mの小高い山上にあった平山城である。撫養城は足利将軍ゆかりの地で、その当時から城塁が造られていたようである。『日本城郭大系15』

17:00-18:00

撫養城址

軍功によって阿波を与えられた蜂須賀家政が、天正13年(1585年)家臣益田内膳正忠に撫養城を築かせたとされる。『日本城郭大系15』城址には天御中主神を祭神とする妙見神社があり、また「トリーデなると」なる模擬天守が建ち博物館になっている。

20:00-23:00

ホテルアストンプラザ姫路

ホテルアストンプラザ姫路は最初の日に泊まったので安心できる。大浴場で疲れを取って眠りについた。

4日目2022年1月2日(日)
00:00-08:00

アストンプラザ姫路

最終日はゆっくりして8時すぎに出発。

08:00-08:00

英賀城址(姫路市)

英賀城は夢前川の下流、播磨灘を望む地に足利義満臣下、赤松義則の子裕尚が永享期(1429-41年)に築いたものである。『日本城郭大系12』

08:00-08:00

英賀城址公園

山城の多かった時代に、低地で水流に囲まれた地域に築かれた英賀城は、後の「水城」または「海城」の先駆といえるかもしれない。『日本城郭大系12』現在、模擬石垣を中心に公園が出来ている。

08:00-08:00

英賀神社

英賀神社は英賀城の本丸址に建つ。奈良期以前に創建と考えられているが明確ではない。英賀津彦神、英賀津姫神、菅原道真、応神天皇、天兒屋根命などを祭神とする。

09:00-10:00

姫路城

姫路市

「姫路城」を   >

播磨平野のこの地「姫山」に最初に城郭を構えたのは、元弘の乱(1331-33年)に義兵を起こした赤松則村の次男貞範といわれる。『日本城郭大系12』

09:00-10:00

姫路城大天守 東大柱

姫路城大天守東大柱。この柱は大天守の地階床から六階床までの各階を西大柱とともに貫き通して、複雑な重層構造の大天守を支え、守っている。

09:00-10:00

姫路城大天守 旧西大柱

昭和の大修理で柱真部に腐食が発見され、取り換えを余儀なくされた旧西大柱が迎賓館前に展示されている。下方は樅(もみ)材、上方は栂(つが)材で三階床上(下方から14.5mの位置)で二本継ぎになっており全長24.7m。

09:00-10:00

姫路城 大天守閣

播磨に初めて天守が建ったのは、播磨平定を成した秀吉が信長からこの地を与えられたときであった。その後現存する大天守に大改修したのは、関ケ原の論功で播磨52万石を得た池田輝政である。築城開始は慶長6年(1601年)、竣工は9年を経た慶長14年(1609年)であった。『日本城郭大系12』

14:00-15:00

山王美術館(大阪市浪速区)

山王美術館はホテルモントレグラミアス大阪(大阪市湊町)の22階にある美術館。三つの展示室があり、洋画家、日本画家、陶芸家の作品を収蔵・展示している。

14:00-15:00

山王美術館 荻須高徳・佐伯祐三展

「生誕120年 荻須高徳・佐伯祐三展」と題する展示会。佐伯祐三(1898-1928)と荻須高徳(1901-1986)、ほぼ同時期に生まれパリの街を独自のタッチで描いた二人だが、佐伯は30歳で夭折、荻須は84歳で没する。展示はそれぞれの作品が18点ずつとあまり多くはない。

14:00-15:00

荻須高徳・佐伯祐三展

荻須高徳「広告のある風景」1933年作(絵葉書)パリの街の広告を二人とも描いているし、他の画家も題材にしている。やはり絵になる。

14:00-15:00

荻須高徳・佐伯祐三展

荻須高徳「パリの風景」1950-55年作(絵葉書)街の一隅にあるレストランもやはり洒落ている。家々の壁にも味わいがある。

14:00-15:00

荻須高徳・佐伯祐三展

荻須高徳「自転車屋」1955年頃作(絵葉書)これは自転車屋、無造作に置いてある自転車が窓から見える。

14:00-15:00

荻須高徳・佐伯祐三展

佐伯祐三「パリ街景」1924年作(絵葉書)巨匠ヴラマンクを訪れた際、自信作を「アカデミック」と一喝され、自身の画風を模索しつつパリの下町をモチーフに描き始めたという。

14:00-15:00

荻須高徳・佐伯祐三展

佐伯祐三「新橋風景」1926年作(絵葉書)サラリーマンの聖地といわれる新橋に鉄道が通ったのが1872年。この頃の新橋はどんな雰囲気だったのだろうか。

14:00-15:00

荻須高徳・佐伯祐三展

佐伯祐三「滞船」1926年頃作(絵葉書)佐伯は他にもいくつか「滞船」を描いているが、この作品の空がいちばん青い。マストは他の作品同様、真っすぐ空にのびている。

16:00-17:00

宇治上神社

宇治市

「宇治上神社」を   >

宇治上神社の創建は不明。菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)、応仁天皇、仁徳天皇を祭神とする。隣接する宇治神社とは対をなす。

16:00-17:00

宇治上神社 拝殿

拝殿は鎌倉前期の造営で寝殿造の遺構とされる。切妻造、檜皮葺。派手な造りではなく、趣きがあって、経て来た時代の風格と味わいを感じさせる。

淡路島探訪、畿内・香川の城址、姫路城、佐伯祐三・荻須高徳展(大阪)など

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