Shotaさんの愛知県〜三重県の旅行記
かざはやの里のアジサイ(津市)、多度大社(桑名市)、本光寺(あじさい寺)、吉良町の史跡など
- 1日目2022年6月17日(金)
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08:00-09:00
「かざはやの里」は伊勢温泉ゴルフクラブの敷地内にある「福祉と環境を融合した花園」。障がいのある方と施設職員が園芸福祉に取り組んでいる。
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08:00-09:00
かざはやの里
今が盛りのアジサイは75,000株、植わっているそうだ。他に梅が500本、藤は1,800本。
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08:00-09:00
かざはやの里
アクセントの「つどい橋」。他にも灯籠や石塔などが配してある。
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08:00-09:00
かざはやの里
ガクアジサイ(青額) 花びらはほぼ白に近い。
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08:00-09:00
かざはやの里
カスラリンピンク(パンフレット)。
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08:00-09:00
かざはやの里
ガクアジサイの色違い…
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10:00-10:00
伊勢上野城址(津市)
上野城は元亀元年(1570年)信長の弟、信包が伊勢を攻略し津城の仮城として築かせた平山城。天正8年(1580年)津城が完成するとその出城となった。『日本城郭大系 10』
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10:00-10:00
上野城址
上野城は参宮街道に沿った安芸上野の町並みを見下ろす標高30mの台地にあった。南方には津城を中心とした市街地が間近に見下ろせる。『日本城郭大系 10』 現在は本城山公園となっており展望台がある。
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11:00-11:00
菰野陣屋址(菰野町)
慶長6年(1601年)菰野に居館を構えたのは土方丹後守雄久の子雄氏であった。陣屋址は菰野小学校になっているが、西裏には土塁と空堀が残っている。『日本城郭大系 10』
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12:00-13:00
社伝によれば、多度大社の創建は第21代雄略天皇年間とされる。天照大神の第三子、天津彦根命を祭神とする。その縁故から「北伊勢大神宮」とも呼ばれる。古代には、社殿背後の多度山を神体山としていたことが、数多くの祭祀遺構から知ることができる。天平宝字7年(763年)には僧万願により神宮寺が創建された。 「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」と詠われた。 (多度大社由緒)
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12:00-13:00
多度大社 神馬舎
石段を登ったところに神馬舎があり、葦毛の神馬「錦山」号が迎えてくれる。 目が合ったのに、エサの人参を買ってやらなかったので、鼻を鳴らして抗議されてしまった。
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12:00-13:00
多度大社 本殿
神明造の本殿の背後にはみそぎ滝があり、屋根にはうっすらしぶきがかかっている。本殿のそば近くに滝が落ちているところは他にもあるのだろうか…。
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12:00-13:00
多度大社 みそぎ滝
本殿手前の橋から見える高さ25メートルのみそぎ滝。深い森の新緑と流れ落ちる滝が暑さを忘れさせてくれる。
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14:00-14:00
上条城址(安城市)
上条城については「三河国二葉松」という三河地方の地誌書に記載されてはいるが、詳細は不明。城址には現在松應山浄玄寺という真宗大谷派の寺院がある。ご住職に尋ねたがよく分からず。
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15:00-15:00
安祥城は永享12年(1440年)足利一族の和田親平が築城。文明3年(1471年)松平信光が城を攻略、以後岡崎城に移るまでの約50年間、松平氏の本拠地となった。『日本城郭大系 9』
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15:00-15:00
安祥城址
安祥城址は現在、了雲院大乗寺と八幡社の境内になっており、周辺は史跡公園として整備されている。『日本城郭大系 9』
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15:00-15:00
桜井城址(安城市)
この地には当初、小浦喜平治忠重が館を構えていたが、文明期(1469-87年)松平信光が安祥に進出、その支配下に入った。松平家五代、松平長親の三男が城主となり、桜井松平氏の祖となる。『日本城郭大系 9』
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15:00-15:00
桜井城址公園
城址には桜井松平家歴代の墓があり、堀の一部と土塁がわずかに残っていて桜井城址公園になっている。
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16:00-16:00
瑞雲山本光寺は大永3年(1523年)深溝松平家の初代松平忠定により創建された曹洞宗の寺院。参道脇や境内に約1万本のアジサイが植えられており、「アジサイ寺」とも呼ばれる。
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16:00-16:00
本光寺 紫陽花
本尊の釈迦如来の据えられている本堂。境内いっぱいのアジサイの中を元気に駆け回る坊や!
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16:00-16:00
岩場古墳出土の円筒棺や正法寺古墳など、吉良町内の遺跡からの出土品や吉良家の系譜などの資料を展示してある。
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16:00-16:00
吉良歴史民俗資料館
資料館の前には入浜式塩田や塩焼小屋が復元されており、塩づくりを体験することもできる。吉良も「塩」、赤穂も「塩」である。
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16:00-16:00
吉良歴史民俗資料館
玄関前に、7世紀に築造された岩谷山第1号墳の石室が移築・復元されている。金銅装太刀、金環、須恵器などが出土した。
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16:00-16:00
吉良歴史民俗資料館 松の廊下模型
松の廊下部分模型。長さ約60m幅約5m、白書院と大広間をつなぐ廊下で、部屋の境の襖や壁に浜松の絵が描かれていたので、「松の廊下」と呼ばれた。
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16:00-16:00
吉良歴史民俗資料館 本所吉良邸模型
本所吉良邸は東西の長さ73間7尺3寸(約134.9m)、東側(右)に表門、西側(左)に裏門があった。上野介の寝室は裏門近くにあったと見られる。
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16:00-16:00
『人生劇場』などで知られる尾崎士郎(1898−1964年)は西尾市の出身。吉良町図書館の奥に尾崎士郎記念館がある。 「多くの人を愛し 多くの人に愛され ずばり と眞情を吐露する男 それが尾崎士郎君である」という武者小路實篤の言葉が掛かっている。
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16:00-16:00
尾崎士郎記念館
作品原稿や挿し絵、映画のポスター、それらに加えて執筆に用いた遺品などが展示してある。
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17:00-17:00
福泉寺 尾崎士郎墓所
尾崎士郎の墓があるのは浄土宗西山深草派の法雲山福泉寺。本堂前、墓の反対側にペン先をかたどった文学碑が建つ。碑の下には尾崎氏愛用の万年筆が納められている。
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17:00-17:00
源徳寺 吉良の仁吉墓所
信道山源徳寺は永正期(1504-21年)頃建立の真宗大谷派の寺院。境内には一周忌法要の際、清水次郎長によって建てられた「吉良の仁吉」の墓がある。
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17:00-17:00
青龍山金蓮寺の創建は不詳。暦応3年(1340年)足利尊氏が現在の場所に移したと伝わる。弥陀堂は頼朝が建てさせたとの伝承があるが、鎌倉中期の建立と考えられている。
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17:00-17:00
金蓮寺 弥陀堂
堂は方三間(桁行三間、梁間三間)、寄棟造、檜皮葺。平面は平安期の阿弥陀堂の形式を基礎にし、蔀(しとみ)や疎垂木(まだらたるき)などに住宅風の意匠が用いられている。国宝に指定。 檜皮葺の屋根と軒の曲線が美しい。
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17:00-17:00
東条城址(西尾市)
東条城は三河吉良家の本城であった。吉良家は、承久3年(1221年)足利義氏が承久の乱の戦功により三河国守護職に任ぜられたときに始まる。義氏は当初西条(西尾城)に城を構え、後にこの地に移って代々居城としたが、家康の支配下で城は廃城となる。『日本城郭大系 9』 義氏の子、長氏が吉良姓を名乗る。上野介義央はその末裔である。
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17:00-17:00
吉良陣屋址
吉良(岡山)陣屋は天正期(1573-92年)吉良義定が居館を構えたのが始まりとされる。義定の嫡男義弥は関ケ原の戦いに参戦、領地を安堵され、義冬が跡を継いだ。義冬の嫡男が上野介義央である。
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17:00-17:00
黄金堤。伝承によると、貞享3年(1686年)たび重なる洪水に悩まされていたこの地に上野介が私財を投じ、領民の力を結集して堤防を築いたとされている。しかしその事実を裏付ける史料はこれまでのところ確認されてはいない。また妻の実家、米沢藩上杉家の財政的援助によるものであろうとする説もある。
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17:00-17:00
黄金堤 馬上の上野介
黄金堤の側には、領内を回る馬上の上野介の像が建ち、台座にこう刻まれている。「若くして友情に厚く隣人に慕われ、功成り名遂げた後は善行という善行のかぎりをつくし、人生の行路ようやく終わりに近づこうとするに及んで、運命はだしぬけに逆転する。」尾崎士郎「吉良の男」より
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17:00-17:00
片岡山華蔵寺は慶長5年(1600年)上野介の曽祖父義定が創建した臨済宗の寺院。吉良家の菩提寺である。上野介が造らせた庭園や寄進した梵鐘や経蔵が残っている。
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17:00-17:00
華蔵寺 吉良家墓所
吉良家墓所。吉良義安から上野介の継嗣義周まで六代の墓がある。
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17:00-17:00
華蔵寺 吉良上野介墓
吉良上野介義央の墓。上野介の受けた傷は「両手之内(掌)一カ所宛、左の股に一カ所、右膝頭二か所、膊(股の骨)一カ所」とある。『元禄忠臣蔵』 かなり抵抗したようだが、致命傷ではなかったようだ。
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17:00-17:00
祥雲山華岳寺は貞和3年(1347年)三河国東条城主、吉良尊義創建の臨済宗の寺院。中世、吉良荘東条を領した東条吉良氏の菩提寺。本堂は上野介から姉・光寿院の菩提を弔うために寄進された洞堂金を元に再建されたもの。
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17:00-17:00
花岳寺 斎藤清左衛門墓
斎藤清左衛門墓。清左衛門は本所の吉良邸において討死。中小姓里方斎藤金右衛門が分骨、花岳寺墓地に葬ったが、芝居等での悪評のせいか法名(本翁元来信士)が削られている。
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17:00-18:00
龍光山円融寺は大永5年(1525年)長宮院日詮による開基と伝わる日蓮宗の寺院。十界大曼荼羅を本尊とする。
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17:00-18:00
円融寺 清水一学墓
円融寺裏の山にある共同墓地に、上野介が中小姓にとりたてた清水一学の墓がある。本所吉良邸で討死、享年25。墓地には特に案内もなく、墓参に来ておられた方に尋ねて教えていただいた。
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17:00-18:00
花岳寺 布袋像
毀誉褒貶「相半ばせず」、共同墓地に人知れず眠る一学、法名を削り取られた清左衛門を思い心が重くなったところで、布袋像の満面の笑みに慰められた。
かざはやの里のアジサイ(津市)、多度大社(桑名市)、本光寺(あじさい寺)、吉良町の史跡など
1日目の旅ルート
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