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Shotaさんの長野県〜愛知県の旅行記

奥三河・長野・上越の城址と古刹と名瀑と

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奥三河の城址、名瀑、満蒙開拓平和記念館、松本城周辺の城址などを廻りながら上越市まで。翌日、春日山城址から善光寺近辺の城址、川中島古戦場、山本勘助の墓所、松代城址などを巡る旅。信玄と謙信の抗争を城造りの点から垣間見ることができた。宇利城址(新城市)の前に、柿本城址(新城市)に向かったのだが、途中道路が崩落していて通行止め。他にも豪雨の傷跡を目の当たりに・・・。

歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代

1日目2023年7月16日(日)
07:00-07:00

宇利城跡

新城市

「宇利城跡」を   >

宇利城は源平争乱期に活躍した熊谷直実の裔、兵庫頭重実が文明期(1469-87年)に築いたと思われる山城。『日本城郭大系 9』

07:00-07:00

宇利城址

城は、北方から延びた山陵に堀切を設け、その先端を利用したものであり、曲輪、堀切、井戸などが残る。『日本城郭大系 9』

08:00-09:00

阿寺の七滝

新城市

「阿寺の七滝」を   >

阿寺(あてら)の七滝は新城市の豊川水系阿寺川に架かる滝。6月上旬の豪雨で一部道路が閉鎖されているので迂回しなければならない。

08:00-09:00

阿寺の七滝 巣山礫岩

この礫岩は新生代第三紀・中新世紀(約2500万年前)の頃堆積したといわれ、「阿寺七滝」巣山部落一帯に分布し、俗に「子抱石」とも呼ばれる。この礫岩中には「くいちがい石」と呼ばれるめずらしい礫が発見されている。

08:00-09:00

阿寺の七滝

新城市

「阿寺の七滝」を   >

巣山高原から流れ落ちる滝が、礫岩の断層碧で七段の階段状になっていることから「七滝」と名付けられた。落差は64m。駐車場から少し歩くが、深い緑の中を落ちる滝を眺めていると去りがたい気持ちになる。

10:00-10:00

百間滝(愛知県新城市)

新城市

「百間滝(愛知県新城市)」を   >

百間滝は、日本最長の断層帯・中央構造線に沿って流れる大島川上流部に架かる滝。治水工事のため、一部道路が閉鎖されているので迂回しなければならない。

10:00-10:00

百間滝(愛知県新城市)

新城市

「百間滝(愛知県新城市)」を   >

滝の降り口まではクルマで行けるが、滝壺に下りる石段はかなり険しく不揃いなのでジジイにはかなり厳しい。踏み外して転げ落ちる己が姿を想像しながら、途中何度も足を止めて瀑水を眺めていた。

10:00-10:00

百間滝(愛知県新城市)

新城市

「百間滝(愛知県新城市)」を   >

百間滝の全長は120mとする紹介もあるが、途中で曲がっており、そこから滝壺までの落差は約43m。なかなか壮観。

11:00-11:00

大島ダム(新城市)

大島ダムは豊川水系宇連川支流大島川に設置された重力式コンクリートダム。農業・工業・水道水などの安定供給を目的として2001年竣工。

11:00-11:00

設楽城跡

東栄町(北設楽郡)

「設楽城跡」を   >

設楽城は北設楽の山界部から今の新城市にかけて伸長していたと思われる設楽氏が、平安末期に築いたとされる平山城。『日本城郭大系 9』

11:00-11:00

設楽城址

城は、振草川(大千瀬川)沿い、本郷盆地に突き出た比高約30mの尾根を連郭として構えられた。戦国末期には伊藤氏の居城となった。曲輪、土塁、堀切が残る。『日本城郭大系 9』

12:00-13:00

満蒙開拓平和記念館

阿智村(下伊那郡)

「満蒙開拓平和記念館」を   >

旧満州(中国東北部)に入植した満蒙開拓団の苦難の歴史を伝え、平和の尊さを次世代に語り継ぐために2013年設立された民間機関である。展示物はすべて撮影禁止。 国民学校生であった叔父が「満蒙開拓青少年義勇軍」に参加。ソ連侵攻を察知して、命からがら仲間たちと安東(丹東)にいた家族の許に帰ったと話してくれたことがある。

13:00-13:00

鈴岡城址

飯田市

「鈴岡城址」を   >

鈴岡城は下記松尾城と同様、小笠原氏の居城であった。室町期に小笠原貞宗の子宗政が築いたとされる平山城。郭、土壕などが残る。『日本城郭大系 8』

14:00-14:00

松尾城址(飯田市)

松尾城築造の詳細は不明だが、文献上は室町中期、明応2年(1493年)頃、小笠原定基の居城であったことが分かっている。『日本城郭大系 8』

14:00-14:00

松尾城址

城は天竜川の河岸段丘を利用して構築された連郭式平山城。下伊那地方の中世城郭のモデル的性格をもつ城郭の一つとされる。『日本城郭大系 8』

14:00-15:00

国宝松本城

松本市

「国宝松本城」を   >

松本盆地の要地松本には古代末期から中世に至るまで城館が構えられていた。現在の松本城は、文禄・慶長期(1592-1615年)和泉国から入封した石川康昌(数正)が計画、その子康長が完成した。天守閣、月見櫓、渡櫓、乾小天守、辰巳附櫓、石垣、堀が現存する。『日本城郭大系 8』

16:00-16:00

平瀬城址(松本市)

平瀬の地は小笠原家麾下平瀬氏の所領であって、室町期に築城されたと考えられている。城は北の本城・南の支城の複合山城構成であった。

17:00-17:00

青柳城址(麻績村)

青柳城の築造期は不明。この地の豪族で、麻績氏の一族青柳氏の居城であった。青柳氏は信濃守護小笠原氏麾下にあったが、小笠原長時が武田晴信に敗れた後は武田氏に従った。曲輪、土塁が残り、模擬城門が復元されている。

17:00-17:00

碩水寺

筑北村(東筑摩郡)

「碩水寺」を   >

龍沢山碩水寺は享禄期(1528-32年)信玄麾下の青柳頼長が真言宗寺院として開基。天文元年(1532年)曹洞宗寺院として中興。阿弥陀如来を本尊とする。

17:00-17:00

碩水寺

筑北村(東筑摩郡)

「碩水寺」を   >

山門を兼ねた鐘楼は嘉永期(1848-54年)の建立。加賀大乗寺の日舟による山号額が掛かる。

17:00-17:00

碩水寺 本堂瓦

本堂は文政3年(1820年)建立。屋根瓦に細かい細工に目を奪われた。

22:00-23:00

ホテルアルファワン上越(上越市)

日本海いすいラインの直江津駅近くにあるビジネスホテル。広くはないが、機能的な部屋。早速風呂に入ってタップリかいた汗を流す。

2日目2023年7月17日(月)
00:00-07:00

ホテルアルファワン上越(上越市)

時折目は覚ましたが、よく歩いたせいか比較的よく眠った。朝風呂に入って、簡単な朝食。7時半に出発。

07:00-07:00

上杉館址・徳泉寺(上越市)

上杉館は謙信が弘治期(1555-58年)に造営したとされる城(館)。城址には江戸期(1730年頃)開山の曹洞宗徳泉寺が建つ。釈迦牟尼仏を本尊とする。

07:00-07:00

至徳寺址(上越市)

徳泉寺門前に立つ碑。至徳寺は越後守護代上杉憲将の子、九庵が父の菩提を弔うため、至徳期(1384-87年)越後府中に建立。以後越後守護代家の菩提寺として繁栄するが、天正6年(1578年)の戦乱で焼失。

08:00-08:00

福島城址(上越市)

福島城は慶長12年(1607年)春日山城主堀秀治によって築かれた平城。鉄砲・大砲の使用により春日山城の機能が失われ、国政の中心に大規模な城郭を設ける必要が生じた故とされる。『日本城郭大系 7』

08:00-08:00

福島城址(上越市)

城は直江津港付近にあり、北は日本海、東は保倉川、関川、南には外堀を堀り防備を固めていた。現在、本丸土塁、櫓礎石、土塁の石などが残っているのみ。『日本城郭大系 7』

08:00-08:00

佐渡汽船 直江津港ターミナル

佐渡汽船直江津港ターミナル。ここから佐渡の小木港へ向かうフェリーが出る。一度佐渡に渡ってみたいと思っているんだが・・・。

08:00-08:00

居多神社

上越市

「居多神社」を   >

居多(こた)神社の創建は不詳。大国主命、奴奈川姫命ほかを祭神とする。

08:00-08:00

居多神社

上越市

「居多神社」を   >

社殿は2008年造営。「すえ永く 法を守らせ居多の神 弥陀と衆生のあらんかぎりは」と詠んだ親鸞の歌が残る。

08:00-09:00

春日山城跡

上越市

「春日山城跡」を   >

春日山城の築造は南北朝期、上杉憲顕の越後守護職任官の頃すなわち正平期(1346-70年)頃と考えられる。永生期(1504-21年)戦国期の城郭としたのは守護代長尾為景。謙信の代には城域の拡大と施設の整備が行われ、近世城郭的傾向を強めた。『日本城郭大系 7』

08:00-09:00

春日山城跡

上越市

「春日山城跡」を   >

春日山城は頸城平野の北西部、荒川左岸の丘陵頂部に位置し、頸城平野を一望のもとに収める山城。郭、空堀、堀、堅堀、土塁、虎口などが残る。『日本城郭大系 7』

春日山城跡

上越市

「春日山城跡」を   >

本丸址から上越市街を望む。謙信はこの城で誕生、末子であったため城下林泉寺に入門。14歳で栃尾城(長岡市)主、19歳で越後国守となる。爾来、本城を拠点に30年、約70余の戦さに臨んだという。手取川の戦いで信長軍を破った後急死。享年49歳。

08:00-09:00

春日山神社

上越市

「春日山神社」を   >

春日山山腹にある春日山神社は、1901年米沢市の上杉神社より分霊された上杉謙信命を創祀。

09:00-09:00

春日山城史跡・上越市埋蔵文化財センター

上越市

「春日山城史跡・上越市埋蔵文化財センター」を   >

上越市埋蔵文化財センターは市内の埋蔵文化財を研究・保管・公開する施設。「越後上越 謙信公と春日山城展・戦国時代と今をつなぐもの」と題する展示中。謙信の生涯や春日山城を紹介している。

09:00-09:00

箕冠城跡

上越市

「箕冠城跡」を   >

箕冠城の起源は不明であるが、室町期に板倉郷の豪族の裔で越後上杉家重臣大熊備前守の居城であったことが分かっている。郭、空堀、土塁、門などが残る。『日本城郭大系 7』

10:00-10:00

割ケ岳城址(信濃町)

野尻湖近くの割ケ岳城築城に関する詳細は不明であるが、室町期に築かれた越後上杉麾下の山城であった。

11:00-11:00

矢筒城址(飯綱町)

矢筒城は戦国期、福王寺氏によって築かれたとされる平山城。福王寺要害として、永正10年(1513年)長尾為景の福王寺彦八郎宛書状にその名をとどめている。『日本城郭大系 8』

11:00-11:00

矢筒城址(飯綱町)

城は牟礼の中央、矢筒山に築かれ、山を囲むように蛇行する八蛇川を天然の水堀とした。郭、土塁、石垣、内堀、外堀、屋敷址などが残る。『日本城郭大系 8』

11:00-11:00

髻山城址(飯綱町)

髻山(もとどりやま)城は北国街道沿い、川中島と春日山城の中間に位置し、謙信が川中島の戦いに備えて築いたとされる山城。大城と小城を備えていた。

11:00-11:00

庚申塚古墳(飯綱町)

庚申塚古墳は古墳時代(5世紀前半)に築造された前方後円墳。全長約52m、後円部径約31m。円筒埴輪が出土している。

11:00-11:00

長沼城址(長野市)

長沼城は鎌倉期太田庄の地頭であった島津氏が、室町期に築いたとされる平城。松代の海津城と共に天正10年(1582年)まで武田氏の川中島四郡支配の拠点となった。堀、郭が残る。『日本城郭大系 8』

12:00-12:00

横山城址(長野市)

横山城は戦闘や防御のための城郭ではなく、善光寺との連続性・一体性を持つことで政治的権威を示す城であったと考えられる。郭、土塁、堀切などが残る。『日本城郭大系 8』一帯は現在、城山公園になっている。

12:00-12:00

善光寺(長野県長野市)

長野市

「善光寺(長野県長野市)」を   >

定額山善光寺は皇極天皇3年(644年)創建と伝わる、無宗派単立の寺院。一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を本尊とする。山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。

12:00-13:00

大峰城址(長野市)

大峰城は武田氏の旭山城に対する向城として上杉氏麾下の大峰氏が築いたとされる山城であるが、詳細は分かっていない。1962年模擬天守が建てられたが、現在は閉鎖されている。

12:00-13:00

大峰城址(長野市)

模擬天守は1981年「大峰城チョウと自然の博物館」となり、約3,000種の蝶の標本が集められたが、1985年、災害により戸隠バードラインの一部が廃道となり閉鎖。

13:00-13:00

葛山城址(長野市)

葛山(かつらやま)城は弘治元年(1555年)謙信が信玄との決戦に向けて、下記旭山城の機能を封殺するために築いた山城。『日本城郭大系 8』城址に建つ静松寺は葛山城主落合氏の菩提寺で、落城時に焼失。天正15年(1587年)浄土宗静松寺として再興。

13:00-13:00

旭山城址(長野市)

旭山城は戦国期に信玄が築いたとされる山城。標高800mの高所に築かれた城が実戦上必要不可欠であった時期は、天文23年(1554年)から永禄7年(1564年)にかけて信玄と謙信との対立が川中島一帯を最前線として展開された時期であった。『日本城郭大系 8』城址には朝日山観音堂が建つ。

13:00-13:00

旭山城址(長野市)

旭山城址(朝日山観音堂)からは善光寺平一帯を見下ろすことが出来る。

14:00-14:00

栗田城址(長野市)

栗田城築城の詳細は不詳であるが、信濃の国人領主村上氏の一族栗田氏が築いたとされる平城。弘治元年(1555年)第二次川中島の戦いでは、善光寺別当栗田鶴寿は武田方について旭山城にこもり、横山城の謙信軍を牽制している。このため上杉方は葛山城を築いて抗戦したとされる。

14:00-14:00

栗田城址(長野市)

城は回字形に二重の堀が巡らされた城郭になっていたと伝わる。遺構としては土塁が残り、下記水内総社日吉大神社が建つ。

14:00-14:00

水内総社日吉神社(長野市)

水内総社日吉神社の創建は不詳。信濃の国人領主村上氏の一族栗田家の氏神(栗田権現)として戸隠の神々を祀ったとされる。

15:00-15:00

吉窪城址(長野市)

吉窪城について詳細は不明。信濃の国人領主村上氏の支族小田切幸長の居城であった。犀川沿い、善光寺平と安曇野を結ぶ要衝にあった山城。曲輪、土塁が残る。

16:00-16:00

川中島古戦場

長野市

「川中島古戦場」を   >

川中島古戦場史跡公園は川中島第四次合戦(八幡原の戦い)において武田軍が本陣を置いたとされる付近に1969年頃整備された。

16:00-16:00

川中島古戦場

長野市

「川中島古戦場」を   >

信玄と謙信との川中島の戦いとされる戦闘は、計5回、12年余りに及ぶ。一般に「川中島の戦い」という場合、最大の激戦であった第四次合戦〔永禄4年9月9日(1561年10月17日)から10日(18日)〕を指すことが多い。武田軍8千人(左・赤)に対して上杉軍1万3千人(右・青)が相対する合戦図。

16:00-16:00

川中島古戦場

長野市

「川中島古戦場」を   >

床几に腰をおろした信玄像。龍虎一騎討の銅像は昭和44年(1969年)寄進。『甲越信戦録』に基づく造形である。太刀を振りかぶる謙信に対し泰然自若とした信玄。

16:00-16:00

川中島古戦場

長野市

「川中島古戦場」を   >

単騎で馬上から太刀を振う謙信像は、激しく一途な謙信の人柄を表わしているようにも思える。

16:00-16:00

川中島古戦場

長野市

「川中島古戦場」を   >

「首塚」 永禄4年の戦いの後、武田方の海津城主高坂弾正が一帯の戦死者(6千余人)の遺体を敵味方の別なく集め、手厚く葬った塚の一つ。これを知った謙信は大いに感激し、後に塩不足に悩む武田方に対し、「われ信玄と戦うもそれは弓矢であり、魚塩にあらず」と直ちに塩を送り、この恩に報いたと伝わる。

16:00-16:00

川中島古戦場

長野市

「川中島古戦場」を   >

芭蕉の句碑 「十六夜も また更科の 郡かな」が立つ。

16:00-16:00

山本勘助の墓

長野市

「山本勘助の墓」を   >

陣ケ瀬の東、勘助塚にあった墓を元文4年(1739年)松代藩家老鎌原重栄らが信玄ゆかりの信州柴阿弥陀堂境内に遺骨と共に移し墓碑を建立。

16:00-16:00

山本勘助墓所

山本勘助は三河国(愛知県)の出身。26歳より諸国を巡り修行。天文・兵法・槍術・築城などを体得、44歳で信玄の軍師となる。謙信の攻撃に備えて信玄が築いた海津(松代)城の築造も手がけた。永禄4年(1561年)の激戦において、信玄に勧めた「きつつき戦法」を謙信に見破られ、勘助は責任を感じ奮戦の後討死したとされる。

16:00-17:00

松代城跡

長野市

「松代城跡」を   >

松代(海津)城は信玄が天文22年(1553年)山本勘助に命じて築かせたとする記録が残る。(『甲陽軍鑑』)武田氏滅亡後は、織田方、上杉家、北条方、真田家、豊臣家などの支配下に置かれた。『日本城郭大系 8』 現在、太鼓門補修工事の為城域には入れず。

16:00-17:00

松代城址

信玄が信濃で築かせた城は、小諸・深志(松本)・大嶋・牧之島・長沼など平地が多く、旧城を基にしたものが殆どだが、海津のみが新しく選ばれた。単に軍事上のみならず、民政をも考慮しての築城であったと思われる。『日本城郭大系 8』

奥三河・長野・上越の城址と古刹と名瀑と

1日目の旅ルート

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