モロさんの長崎県の旅行記

秋の壱岐・対馬 3泊4日の島巡り
- 夫婦
- 2人
- リゾート
- 温泉
- 芸術・文化
- 史跡・歴史
- 自然
- グルメ
- 乗り物
- 海
- ハイキング・登山
予ねてより訪れてみたいと考えていた九州地方最北端の地 壱岐・対馬を巡る旅である。3年振りの島旅行であった。今回の旅では最初に対馬を巡る順番とした。本土と対馬・壱岐間は航空便、島間はジェットフォイルを利用した。対馬は南北80km余のひょろ長い形状をしている島である。訪れたい観光スポット間が10〜30km程と少々離れているので、走行や滞在の時間を考慮して2日半で廻り、宿泊先も南北異なった場所に取ることにした。縊れ近くにある金田城跡・城山のハイキングは今回の旅の目玉であった。対馬に対して壱岐島は1/4程の大きさで、観光スポット間も10km内外と比較的近接していたので1日半で廻ることにした。対馬と壱岐は両島共リアス式海岸を有する島であるが、近くに位置しながら島の形状が全く異なり、風景だけでなく自然や生活環境がかなり異なっている。対馬は離島、壱岐は内地の雰囲気である。以前は韓国 釜山を結ぶ定期船が頻繁に就航し、韓国からの多くの観光客で非常に賑わっていた時代があったようだが、現在は海外からの観光客を見かけることも殆どなく、どの観光スポットも閑散としていたことが有難くもあり、また残念でもあった。両島共に非常に多くの神社や城跡が在って、その殆どが神話や大陸・朝鮮半島との争い・交易に纏わるものであった。旅行の4日間の天候は非常に良く、半袖で十分の陽気であったが、旅行数日前の大雨により、一部の観光施設に向かう道路が通行止めになっていたり、観光施設内の遊歩道に倒木や流出した砂礫で支障が出たりして、大きな被害が見られた。日本の歴史を振り返る上でも学ぶことが非常に多い旅であった。
神社ツウ モロさん 男性 / 60代
- 1342views
- 6参考になった!
- 0コメント
- 1日目2024年10月8日(火)
-
10:00-11:00
対馬空港(対馬やまねこ空港)
羽田から対馬までの航空便は福岡空港経由である。福岡空港到着後、到着ゲートから出ると乗り継ぎ案内の係員が待機していた。既に搭乗は始まり、直ぐに搭乗機までの連絡バスに乗り込んだ。搭乗機はデ・ハビランド・カナダ社製 Dash 8-400、70余人乗りの双発プロペラ機で、異様に長い胴体が少々不釣合に見える。7割程度の乗客であった。久々のプロペラ機の利用であったが、巡航速度が速いせいか揺れも少なく、快適な乗り心地である。着陸直前の機上からはリアス式の対馬の奇麗な島影を見ることができた。対馬空港は搭乗ゲートが1つしかない小さな空港である。以前はジェット機の就航があったせいかボーディング・ブリッジが設置されているが、現用の小さなプロペラ機の場合は地上を歩いて乗り降りする方が手っ取り早いようで、今回も地上を歩いて空港ビルに向かった。機体と一緒の記念写真が撮れるので反って有難い。空港ビル内には土産物店なども出店していて、一通りの設備が整った空港であった。
-
12:00-13:00
小船越瀬戸
1年程前に放送された「ブラタモリ」で紹介されていたリアス式海岸で囲まれた対馬で陸地の幅が最も狭い場所の一つである。昔から船着場が形成され、その遺構が観られる、ということで立寄ることにした。対馬空港から島唯一の国道 382号線を島の北側に向かう途中の道路沿いにあり、立寄るにも便利な場所である。公衆トイレが整備された駐車場には地域を紹介する看板も立っていて親切である。駐車場脇の小径を50m程進むと幅20m程の狭い入江に出た。両側を低い丘に囲まれて薄暗く、非常に静寂な雰囲気の入江であった。南側には石積みによる護岸も残っていて、数隻の小さなボートが係留されていた。沢山の蟹が足元を這い回っている。100数十m進むと護岸の終点である。対岸には奇麗な板状節理も観られる。
-
12:00-13:00
和多都美神社
対馬市
当初向かう予定であった烏帽子岳展望所が、大雨被害により道路が閉鎖されていたため、山の麓の和多都美神社のみを観光することになった。立派な土塀で囲まれた拝殿・本殿は比較的小さく質素であるが、歴史を感じる奇麗な造りであった。本殿の裏の林の中の小径を進むと、“豊玉姫命之御陵墓”がある。静寂な場所である。本殿正面から入江の北西方向に向かって真っすぐに建つ5基の鳥居が和多都美神社の特徴である。3基は陸上、2基は海中に建っているが、干潮時には海中の2基も足元まで姿を現すようである。非常に珍しい光景である。“磯良恵比須”も見所で、正に竜宮伝説を感じることができる神社であった。“身代わり鳥居”もトライしてみると面白い。
-
13:00-14:00
和多都美神社から30分程走った海沿いにあり、和多都美神社と同様に海神を祀る神社である。対馬國一之宮で、神社巡りを趣味とする人たちにとっては聖地の一つであると共に、訪れることが難しい一之宮の一つでもあるそうだ。小さな漁港沿いの道路を進み、少し山に入った所に建っていた。神社の左手50m程の川沿いに芝生の駐車スペースがあるが、案内板が出ておらず分かり難い。駐車スペースに車を停めて、改めて正面の一の鳥居から入場した。左手に比較大きな社務所があり、その先に小さな社が建っているが、本殿は二の鳥居をくぐった先の石段をかなり上り、三の鳥居の先の丘の頂上付近に建っている。二の鳥居の先の参道脇に岩が立っていて、しめ縄が巻かれている。御神体の一つのようだ。250段程の石段は結構腰に来る。広い境内で、参道正面に拝殿があり、その奥に本殿が建っている。対馬國一之宮だけあって、非常に立派な造りの神社であった。神社の周囲には原生林が残り、野鳥観察のための遊歩道も整備されている。
-
15:00-16:00
木坂海神神社から国道382号線に戻り、30分弱北上する。周囲を原生林に囲まれた山間の道路で、起伏やカーブも多いが非常に走り易く、途中には比較的大きな漁村が点在している。棹崎公園、対馬野生生物保護センター方向に入る交差点には、異国の見える丘展望台と一緒に分かり易い案内板が出ている。1車線道路を暫く走ると佐護川の河口の小さな漁村に出た。棹崎公園はその河口の岬 棹崎の裏側にあった。岬の峠を越えた先が棹崎公園の入口で、200m余下った右側に比較的大きく奇麗な駐車場があった。駐車場に車を停めて遊歩道をジグザグに300m程上ると視界が開けて対馬海峡が一望できる場所に出た。屋上が展望台の様になっている施設は棹崎砲台の遺構の一部で、標高は100m程もあって、180°以上が見渡せる素晴らしい眺望である。左右の断崖絶壁が美しい。岬の先端方向に進むと“日本最北西端の地”の碑が建っていた。岬の先端には赤白に塗られた小さな灯台“棹崎灯台”が建っている。かつては砲台があった場所であるらしく、土台にその面影が残っている。灯台の先には“棹崎砲台第四砲車跡”の非常に大きな砲台跡があって、戦時中は日本海を守備する要衝であったことを忍ばせる場所であった。主要な場所を巡って30分程の滞在時間であった。岬の天道山は対馬に伝わる“天道信仰”の聖地の一つであるらしい。
-
15:00-16:00
棹崎公園内の遊歩道を南方向に下ると2分程で対馬野生生物保護センターに出た。2階建ての比較的小さな建物内では、ツシマヤマネコの生態調査や保護活動などについて非常に詳細に説明・展示されている。建物の一画では、人工繁殖・飼育のツシマヤマネコが生体展示されている。少し大き目の体格の良い猫で、縞模様が特徴的であるが、近くでうろついていてもツシマヤマネコとは気が付かないだろう。道路を走行していると路肩に高さ50cm程の金網が張り巡らされている光景を至る所で目にする。本土では獣害防止であるが、対馬ではツシマヤマネコの保護のためであるそうだ。全島を挙げての保護活動が素晴らしい。センター前の道路を数分下ると棹崎公園の駐車場に出た。
-
16:00-17:00
棹崎の手前の河口の橋を渡り、対岸に棹崎の天道山を望みながら海岸線を北東方向に3km程走った道路脇の急斜面に突き出るように造られた展望台である。直ぐ近くに5台程が停められる駐車場も整備されている。標高は棹崎公園の展望所と同等の100m程であるが、遮るものがなく非常に遠方まで見渡せて、素晴らしい眺望である。展望台の真正面、50km程先が韓国 釜山の街であるが、残念ながら靄が掛かり、見ることは叶わなかった。夕暮れ後は明かりが灯った街が奇麗に観えるのであろうと想像してみた。
-
16:00-17:00
“異国の見える丘展望台”から国道182号線に出て北東に向かう。30分程で少し賑やかな港町に出た。国道を外れて港町の東側の丘を上って行くと丘の頂上に展望所が建っていた。展望所付近は大きな駐車場や公衆トイレ、芝生の公園等で奇麗に整備されている。展望所は鉄筋2階建て構造で、2階はガラス窓で仕切られた屋内から眺望を楽しむことができるようになっている。標高は70m程であるが、真下に港町が見えて、リアス式の入江の様子が良く解る奇麗な展望所である。自衛隊のレーダー基地が見下ろせるのも珍しい光景である。当初の予定では次は豊砲台跡に向かう予定であったが、当日は大雨被害のせいで車道が通行止めになっていた。韓国展望所の駐車場脇に豊砲台跡に向かう遊歩道があり、片道20分程で行けるようであったが、宿泊施設到着予定時刻が迫り、今回は諦めることにした。
-
17:00-23:00
上島北部には稀な二食付きの宿泊施設として予約した施設が9月一杯で閉館するとの連絡があって、慌てて見付け出した宿泊施設である。韓国展望所から県道182号線を南東方向に5km程走った浅い湾の南側の海岸線に建っていた。整体院も営んでいて、入口には「たっつぁん整体院」の看板も並んでいる。造りは普通の民家である。“対馬グリーン・ブルーツーリズム協会”が取り纏める“農泊”と呼ばれる民宿で、生活・文化・農林水産業等の体験もできて、対馬島内で22軒程が参加・登録している。同年代の70歳過ぎのご夫婦が営んでいて、整体はご主人が施術している。漁は宿泊客や漁業体験ツアーがある時のみしか行っていないそうである。夕食の料理は海鮮がメイン料理で、大身のイカが非常に美味しかった。持参したお酒を交わしながらの2時間余りの会話は、民泊ならではの楽しい思い出となった。夕食後に家内が整体の施術を受けた。本格的であったそうだ。翌朝、近辺を散歩してみた。宿の裏山に火除の神社“壬神社(志古島神社)”があった。湾の穏やかな海面の向こう側に対岸の岬や湾口の志古島が見えて美しかった。結構大きな漁港であるが、周囲に山が迫った集落内にはお店等は殆ど見られず、狭い道が縦横に走る昔ながらの長閑な漁村の雰囲気があった。入浴や手洗い等で少々気を使い、旅館の様なプライバシーは得られないものの、民泊が病み付きになりそうな貴重な一泊であった。
-
20:00-21:00
民泊「いたい屋」で整体の施術中
- 2日目2024年10月9日(水)
-
11:00-14:00
日本の名城の一つとしても紹介されている大きな石垣が残る城跡である。前泊した島最北端の上対馬から、東海岸を走る県道39号線を通って2時間程で城跡がある城山の登山口に到着した。登山口前に車を停めて登山道を上り始めた。石塁・土塁や城戸等を観ながら城山頂上まで往復5.7km、標高差260m、所要時間2時間半のハイキングである。今回は、登山口→東南門石塁→南門→東屋→ビングシ土塁→東屋→城山砲台跡→山頂→(下山)→登山口 の順で廻った。ここでも大雨被害により登山道が酷く荒れていた。10分程で視界が開けて眼下に入江が広がる場所に出た。素晴らしい景観である。東南門石塁は石塁の下部まで高低差40m程を昇り降りすることになるが、下方から観る石塁は迫力があり、城跡随一の景観であるので見逃すことはできない。ビングシ土塁は、今は土塁上にびっしりとシダが繁茂していて中々面白い景観であった。城山砲台跡では4門の砲座が見られる。砲台の北側に出てみるとリアス式の入江越しに対馬海峡が一望できて、素晴らしい景観であると共に国防の要衝であったことが良く解る。砲台跡から高低差40m程で山頂に至る。烏帽子岳から観るはずであった景色を、城山山頂からやっと観ることができた。真に絶景である。古代から近世まで、国防のために石塁や砲台、それに至る石積みの登山道等を人力で築いてきたもの凄い労力と歴史を実感する場所であった。
-
14:00-15:00
椎根の石屋根倉庫
城山ハイキング後、上槻の板状節理に向かう途中で、県道24号線を走行中に看板を見付けて停車してみた。小茂田の漁港の南側に遡る小河川の袂に建っている。1軒は現在改修中のようで、ユニック車を用いて工事を行っていた。周囲で容易に手に入る板状節理の石板をうまく利用した暴風対策の構造である。
-
14:00-15:00
上槻の板状節理
椎根の石屋根倉庫から更に県道24号線を南下して20分程で到着した。下島の西側の海岸線の中程に位置している。国内で良く見掛ける柱状節理とは異なり、噴出した溶岩が冷える段階で板状に亀裂ができたものである。小さな漁港の突堤から真正面に観ることができる。海岸に突き出た岩山全体に右上がりに無数の亀裂が入っていて、板状節理の状態が良く解って興味深い景観であった。
-
15:00-16:00
上槻から下島の西側海岸線を30分程南下し、豆酘の比較的大きな町を超えた先の対馬本島最西端の岬である。岬の先端には灯台が建ち、手前は自然公園になっている。公園には公衆トイレを備えた広い駐車場があるが、駐車場を超えて車で灯台近くまで行くことができる。標高80m程に建つ灯台まで上ってみると西側が開けて、対馬海峡の遠方までを望むことができた。灯台周囲には周回散策路が整備されていて、標高50m程から韓国方向や九州方向が一望できて、素晴らしい景観が楽しめる。岬先端から南方向に、かつては岬の一部であったと思われる岩礁が並んで白波が立ち、その先端には船舶への警告用の小さな灯台が建っている。中々奇麗な景観である。岬先端の岩山上への立ち入りが制限されているのが残念である。周回路は1周700m、30分程の滞在時間であった。
-
15:00-16:00
豆酘崎から当日の宿泊先に向かう県道192号線沿いにあった自然公園である。公園は比較的流量の多い“瀬川”を挟んで造られていて、川が岩盤を削ってできた“吹割の滝”の様な美しい景観を観ることができた。島内で良く見られた安山岩の板状節理と異なり、公園の付近は一枚岩の花崗岩であることのよるものであるようだ。吊橋やキャンプ場などが整備された非常に広い公園である。
-
17:00-23:00
翌日の壱岐への移動を考慮して下島にあり、朝夕の食事が提供される宿泊施設であることから選択した宿である。対馬最大の街 厳原から国道を10km強北上した島の縊れに近い東海岸の海縁に建っている。今回は戸建ての別館ロッジタイプの部屋を利用した。本館からは脇に小さな教会が建つ屋外の通路を少し歩かなければならない。広いベッドルームと居間があって、水回りの使い勝手も良く、テラスの先の芝生の庭越しに紺碧の対馬海峡が見渡せる、別荘の様な造りの部屋であった。フカフカの揺り椅子が気持ち良かった。本館の大浴場は余り広くはないが、気持ちの良い温泉で、貸切状態でのんびりと利用できて、城山ハイキングで疲れた身体を良く癒してくれた。本館で提供された夕食は、対馬地産の食材を活かした和洋折衷の質量共に十分な料理であったが、対馬牛の薄いステーキは、脂身が少なく、冷めると少々食べ辛かった。給仕のホテルスタッフの愛想が非常に良かった。翌日の朝食はトーストを選択した。旅で疲れたお腹には嬉しい朝食である。朝食後、芝生の先の海岸に向かう散策路を下りてみた。水面近くまで下りられて、短距離ではあるが良い散策路であった。本館前の広いデッキから眺める景色も素晴らしい。
- 3日目2024年10月10日(木)
-
09:00-10:00
嚴原八幡宮神社
宿泊先から国道を南下し、対馬最大の街 厳原の中心街に入る手前の山際にあった。神社の脇の駐車場に車を停めた。50台程が駐車可能な大きな参拝者専用駐車場で、参拝者が多いことが解る。一度国道に出て一ノ鳥居から再入場した。二ノ鳥居をくぐって石段を上った先が社殿の建つ平場である。神門の手前には若宮神社や天神神社等の沢山の境内社が建っている。どの社も立派な造りである。小さな神門の先に真直ぐ参道が伸びていて、その先に拝殿が見えて非常に奇麗である。瓦葺の質素な造りの拝殿の脇を進むと檜皮葺の大きな本殿がある。大楠の御神木や根元が空洞になった楠など、境内の木々も立派である。清水山城の麓に佇む閑静な神社であった。
-
09:00-10:00
櫓門と一部の石垣、庭園のみが残る城跡である。櫓門を入った先の中学校の校庭脇の駐車場に車を停め、櫓門→庭園(休園日)→万松院を廻った。城跡の2層構造の櫓門は平成に入って再建されたものであるが、非常に立派な造りである。庭園は休園日で内部に入ることはできなかったが、垣根越しに観る庭園は比較的広く、大小の岩石と池が主体に造られている。非常に明るい雰囲気の庭園である。庭園の片隅に城門の跡が復元されている。城の石垣等の多くが隣接する厳原中学校の建設工事の際に壊されてしまったというのは残念な話である。
-
10:00-11:00
対馬最古の建築物という朱塗りの比較的小さな仁王門に非常に趣があって奇麗である。本堂は比較的小さく、少々草臥れている。本堂前にある“諫鼓”が面白い。本堂の内覧後に仁王門の東側の通路を進むと石段の下に出た。百雁木と呼ばれる120段を超える長い石段で、裏山の墓所に繋がっている。大きな墓石が無数並んだ墓所は、石垣も立派で、非常に厳かな雰囲気が漂っていた。一般の檀家の墓は見られず、広大で複雑な歴代の領主の墓だけが並ぶ墓所の維持・管理はどうやっているのであろうか。墓所の真中にある樹齢1200年と言われる万松院の大スギは樹齢を感じさせない勢いがある。
-
10:00-11:00
金石城跡から港方向に出た角に建っていたので立ち寄ってみた。古い武家屋敷を模したと言われる建物が奇麗である。施設内には食処や土産物売り場の他に対馬の歴史・自然や観光スポットが要領良く展示されたコーナーなどがあって、対馬に到着して最初に立ち寄れば為になったであろう施設であった。金山城跡のジオラマは、登山前に見ておくべきものであった。
-
11:00-12:00
“観光情報館ふれあい処つしま”で紹介されていて、厳原港の近くにあるので寄ってみた。厳原港の南端の入江にある遺構である。町道から車1台がやっと通れるほど狭い路地に入ると芝で覆われたお船江跡鑑賞地の駐車場に出る。お船江跡を真正面から観ることができる。石積みの4列の突堤があり、ドック(船の整備場)であったようだ。澄んだ水面に映る遺構が奇麗である。立寄り易く、奇麗に復元・整備された観光スポットである。
-
12:00-13:00
厳原港新国内ターミナルビル
厳原港は海外からの観光客が入国する港でもあるため、港には国内と国際の2つのターミナルが建っている。ジェットフォイルとフェリーが発着する国内線ターミナルも非常に立派な施設である。今回は壱岐までのジェットフォイル便に乗るために利用した。便を待つ間に、岸壁まで出たり、展望デッキからの眺望を楽しんだりできることが有難い。乗船した厳原→芦辺→博多のジェットフォイルの便は、定員250名程に対し3割強の乗客であった。厳原→芦辺の航海は殆ど揺れもなく、快適な船旅であった。
-
14:00-15:00
当初、最初に壱岐神社に寄る予定であったが、カーナビの案内が不味く、結局、少弐公園頂上部の駐車場に停めることになった。駐車場南側の松林を50m程進むと資時の墓であるという石積みがあった。敵の大群に少人数で抗い、全滅したという史実が壮絶である。また、石積みの下に眠る資時を600年もの間、只々守り続けてきたという地元民の義理堅さ、価値観には見習うべきものがあると感じた。
-
14:00-15:00
少弐資時の墓から松林の中を東向きに50m程進むと“狼煙台”のある遊歩道に出た。狼煙台の南隣の展望台に上ると、海岸線の先には玄海灘が広がり、南方向に博多、正面に宗像を望む雄大な景色が観られた。狼煙台として最良の場所であることが解る。龍蛇神社が建つ竜神岬が観える非常に美しい景観であった。展望台から遊歩道を西向きに50m程進むと壱岐神社に出た。昭和19年に本殿が造営されたという非常に新しい神社である。大戦での敗北が現実味を増す中で、連合軍を元寇に見立て、日本国民が少弐資時の如く潔く散っていくことを祈願したよう様な事を連想させる造営時期と場所の神社である。複雑な気持ちで参拝した。真新しく、少々親近感が感じられない神社であった。
-
14:00-15:00
改めて壱岐神社裏手の遊歩道を北東方向に進んで行くと、狼煙台の先に元寇“弘安の役”の古戦場跡が点在し、石垣や砲台等の遺構が見られた。少弐公園キャンプ場の手前の小径を200m弱下ると竜神崎に出る。海岸線から突き出た大きな岩礁で、頂上に龍蛇神社が祀られている。大潮の満潮時は岩礁への通路は冠水しそうである。岩礁に渡って神社に参拝した。岩礁側から島側を見る景観も中々の物である。
-
15:00-16:00
芦辺港から谷江川沿いを遡って10分程の場所である。田圃が広がる県道23号線脇の小山に建っている。県道の駐車スペースに車を停めて、小山の西側の道路を20m程上ると、石の鳥居が建った参道の前に出る。緩傾斜の石段を30m程上った先に小さな社が建っている。“弘安の役”よりも古い“文永の役”で自害した壱岐の守護代 平景隆や将兵の霊が祀られた神社である。朱塗りの拝殿は貧弱であるが、奥の本殿は中々立派である。本殿前面上の獅子と像の木の彫刻が可愛らしい。小山は鎌倉軍が籠った樋詰城の跡である。小さな空堀や土塁なども観られて、中々興味深い城跡であった。対馬と同様に、当時大陸に対する防衛の最重要拠点であったことが良く解る場所である。
-
15:00-16:00
壱岐島最北端に近い勝本町の南側にある勝本城が建っていた城山の頂上部が城山公園として整備されている。中腹の国道沿いにある広い駐車場から上が公園である。公園を訪れる場合、南側の狭い舗装道を上った右手にある5台程が停められる駐車場を利用した方が便利である。標高80m程の山であるが、頂上の展望台からは直ぐ下の勝本の街・港やリアス式の湾、沖合の小島の先の遠方に対馬が観えて、素晴らしい眺望であった。対馬からは壱岐が年に1回見えるかどうからしいが、壱岐からは対馬が良く見えることが不思議である。標高の違いがはっきりと出ている。壱岐市でも御柱祭が行われたそうで、諏訪大社から贈られたという御柱が建っている(諏訪大社から御柱が贈られたことから御柱祭が行われた)ことも面白い場所である。駐車場に居合わせた御婦人が懐かしそうに当時の話をされていた。人手や費用がネックになり、1回限りの御柱祭であったそうだ。
-
15:00-16:00
勝本城は、安土桃山時代の豊臣秀吉による朝鮮侵攻の前哨基地として築かれた城で、島内のその他の城跡から比べると非常に新しい城跡と言える。現在は一部の城壁が残るのみであるが、大手門跡の奇麗に積まれた石垣を見ると、半年も掛からない俄作りで建設された城とは思えない立派な造りであったことが窺える。天守部分に赤い鳥居が並んだ稲荷神社が建っている。貧弱な拝殿の奥に祠が祀られている。祠の手前にも横から入る参道があって、どこで参拝して良いのか迷う神社である。
-
17:00-23:00
壱岐で一番大きな街 郷ノ浦の少し内陸に入った国道沿いに建っている。ホテルの前には町の上水道の水源になっている細い河川 永田川が流れている。島内で最も大きな宿泊施設の一つで、朝夕食付、広い部屋が選択できることから泊まることにした。利用した最上階の和洋室は非常に広く、ホテルの裏手の庭園や温泉棟が見下ろせる部屋であった。大浴場は非常に広く、洞窟風呂が併設されていると共に、有料のサウナ、岩盤浴ができる設備も付いている。温めのお湯で3日間の旅の疲れを十分に癒すことができた。開放的な食事処で提供された食事では地産の料理が並び、冷酒と一緒に堪能することができた。久々に本土と同じような「お品書き」が付いた料理であった。“壱岐牛”もさることながら、非常に上手に塩焼きされた“のどぐろ”が絶品であった。ホテルスタッフの多くが専門職ではないような雰囲気で、事務的な愛想が気になった。
- 4日目2024年10月11日(金)
-
09:00-10:00
前夜の宿泊先 郷ノ浦の東側3km程の壱岐島最高峰の岳ノ辻山頂付近にある展望園地である。西側、中央、東側の3ヶ所に展望所が設置されている。標高220m余の中央展望台へは駐車場からかなり歩いて行かなければならず、今回は駐車場が併設された標高170m程の西側展望デッキのみを訪れるに留めた。西側展望デッキからは正面に郷ノ浦湾が広がり、その先に大島等の小島が眺望できる。標高が低いせいか、非常に平面的な景観である。東側展望広場の下側にも駐車場はあるが展望台へはかなり歩いて上らなければならず、便利な駐車場が園地の端にしかないというのは大分不便である。
-
09:00-10:00
猿岩駐車場に向かっていると、手前から既にその岩が見えてくる。猿が陸地に向いて吠えているようで、顔の部分の岩質が異なるのか、禿げた感じが上手く出ている。熊野の“獅子巌”に似た観光スポットである。非常に良い位置に展望所が造られていて、ちょっと立寄るにも手頃な観光スポットである。
-
10:00-11:00
猿岩駐車場の直ぐ手間に坑口がある。対馬の豊砲台跡と同様に、空母赤城が戦艦から計画変更されて無用となった主砲1基(2門)が利用、設置されていたそうである。こちらも実戦には1度も使用されずに終わってしまった。対馬の豊砲台跡と同時期に同じ砲門を使用する砲台として造られたので、構造や規模が類似しているそうである。施設は平成17年の地震で被災して見学箇所が限定されていると共に、内部に照明が点いておらず、坑口から40m程先までしか進むことができない。撮影した画像を見ても、内部の構造や輪郭が維持されているようには見えない。猿岩駐車場脇の遊歩道を上ると上部から砲塔部の大きな円形の空洞を観られる。柵が低く見易くできている。砲塔部のコンクリートの下部は劣化して一部が崩落し、雑木が茂っている無残な状態である。坑道入口に展示されている砲弾は圧倒される大きさである。良く整備されたとは言えない残念な観光スポットである。
-
10:00-11:00
日本四大住吉の一つでもある有名な神社である。猿岩から10km強の内陸の国道382号線から150m程入った浅い谷間に建っている。神社境内に隣接して非常に広い駐車場が整備され、訪れる参拝者が多いことが窺える。国道沿いにある、両脇に高く立派な石灯籠が建つ一之鳥居まで戻って入場した。境内に下っていく石段の参道も奇麗である。正面入口の鳥居から拝殿までの50m程の、途中に神橋が掛かる参道に趣がある。拝殿は明治中期に再建された古い写真に残る拝殿とは見掛けや構造が明らかに異なって大きくなり、木肌に艶があって、真新しく奇麗である。近年の再建時期が不詳というのも変な話である。拝殿裏にある本殿は、石垣の上に建っていて、古い風格のある建物であった。谷間にあるせいか、非常に落ち着いた清閑な雰囲気の神社である。
-
10:00-11:00
天手長男神社
当初の予定には入っていなかったが、猿岩を観光した際に地元の方に推薦されて訪れることにした。壱岐国一の宮という由緒ある神社であるそうだ。住吉神社から国道を5分強南下する。神社を示す立て看板が建つ脇道の入口には石灯籠が建っている。入口の脇の5台程が停められる駐車スペースに車を停め、小山の上に向かって狭い舗装道を300m、標高差40m程上ると神社の境内に達した。小山の頂上である。二の鳥居、三の鳥居をくぐった先に建つ拝殿は“日吉造”の様であるが向きが変である。屋根から下が黄土色に塗られていて異様で、威厳や歴史を感じられない。一の宮という由緒ある神社であることを疑ってしまいそうであった。奥の本殿は蔵の様な造りであった。帰路は参道の石段を下ってみた。両脇を深い竹やぶで囲まれ、石の並びも少し狂っている、歴史を感じる参道であった。苔が生えた石が滑り易いので注意が必要である。一の鳥居から見上げる暗い参道が美しい。二の鳥居の脇にも参拝者用の駐車場があるが、奇麗な石段の参道の景観を楽しむには、入口に車を停めた方が良いであろう。
-
11:00-12:00
國片主神社
月讀神社に向かう道中にあったので寄ってみた。壱岐七社の一つという由緒ある神社であるが、宮司さんは月讀神社と兼務しているそうである。拝殿は天手長男神社の拝殿と似た造りであるが國片主の方が大きく、奥にある本殿も立派な造りであった。拝殿前に3基の「願掛け鳥居」が建っている。家内がトライしてみたが、結構きついそうである。
-
11:00-12:00
月讀神社
國片主神社から山間の道を北東方向に数分走った県道172号線沿いにある。参道前の県道沿いに広い駐車場も整備されている。参道は標高差30m程の石段である。石段の上の境内は非常に狭い。拝殿も小さく、昭和時代に建てられた民家の様な質素(貧弱)な造りである。拝殿の右側の斜面に小さな鳥居が建つ祠がある。祠に上る手前で歳の数だけ木槌を叩くと運に恵まれるそうである。大きな木槌は10桁、小さな木槌が1桁用である。面白い作法であった。月讀神社とされた江戸時代の神道家 橘三喜の査定は誤りである、という説がある曰く付きの神社ではあるが、杉林に囲まれて建つ小さいながらも趣のある神社であった。
-
12:00-13:00
壱岐島最東端の岬である。岬を周回する道路の北側を1km程進むと、広い駐車場がある。駐車場の前に「左京鼻」の看板が建ち、その沖合200m程に高さ30m程の岩礁が突き出ている。岩礁表面には柱状節理の柱状の岩様がはっきりと表れていて、“観音柱”と呼ばれる奇岩である。芝生の広場になった岬先端部には“左京鼻龍神”の祠が祀られている。赤い鳥居が海の青さに映えて非常に美しい。鳥居付近から観音柱を見ると、“中指を上げた手”に見えてしまうのは変であろうか。断崖上からは玄海灘と九州本土が見渡せて素晴らしい景観であった。非常にアクセスが良い観光スポットである。周回道路を1km程南下すると、“屏風岩”の表示が立っていた。断崖直下の海面の波間に平らな岩が見え隠れしている。板状節理が丁度水平に入っていて、海面付近まで浸食されたようである。干潮時にはもう少し良く見えるのであろう。
-
12:00-13:00
左京鼻南側の漁港の岸壁の西端にある石積みの小島の上に6体の地蔵様が立っている。小島までは非常に立派な橋が架かっているが、地蔵様は満潮時には一部が水没してしまうそうである。風雨・波浪に晒されて、地蔵様の表面は表裏が分からない程浸食されている。海女の安全祈願のために祀られたとは言え、このような場所に何故わざわざ祀られたのか不思議な光景である。
-
13:00-14:00
帰路の壱岐空港からの航空便までの空き時間を利用して立ち寄ってみた。大きな博物館で、全面緑化された湾曲した屋根が特徴的である。屋内は3階層+展望室の建物であるが、主要な展示は1階のみである。受付後に正面階段を上らず右側の“キッズこうこがく研究所”に入ってみた。子供向けの体験施設かと思っていたが非常に大きな収蔵庫や遺物整理作業所等が見られる必見区画であった。2Fの“ビューシアター”で、映像を視聴したスクリーンが下がると目の前に本物の“原の辻遺跡”が現れる演出は、非常にうまく出来ている。2Fから1Fに向かう途中の“古墳ゾーン”は古墳の構造が良く解る区画であった。1Fの“一支国トピック”でのジオラマ模型に据えられている古代人の人形が非常に生き生きしている。「金槌で手を打って痛がる人形」「骸骨に驚く人形」等、1体1体を見ているだけで面白い。展望室や3階の屋上展望広場は眺望も良く、湾曲した屋根や屋根緑化の様子が見えて面白い。1時間程の有益な観光ができた。
-
14:00-15:00
一支国博物館でのお勧めもあり、壱岐空港に向かう道中でもあったので立ち寄ることにした。遺跡手前に“原の辻ガイダンス”の施設があったので情報収集のために立ち寄ってみた。建物内には遺跡付近のジオラマが展示されている。原の辻遺跡は旧道沿いに入口があり、入口脇の路肩に車を停めた。広い草地の中に20棟弱の建物が復元され点在している。一部の建物が復元工事中であった。竪穴式住居の一部は入口から内部を観ることができるが、高床式の建物や櫓には上ることができない。櫓越しに一支国博物館が観えて奇麗である。佐賀の吉野ケ里遺跡とは比べようがないほど小規模な遺跡ではあるが、立寄るには適当な施設である。
-
15:00-17:00
壱岐空港
非常に小さな空港で、小さな空港建屋内の狭いロビーでは、時間限定の屋台の様な土産物店が出店しているのみである。大昔、オーストラリアの田舎町で利用した空港を想い出した。現在は長崎空港間の便のみしか運行されていない寂しい状態のようだ。運行はオリエンタルエアブリッジが行い、面白いことにANAとJALとの共同運航路線である。ロビーの前の扉を開けて駐機場の路面を歩いて搭乗した双発のプロペラ機はATR 42-600で、対馬まで利用した機体より少し小さな60余人乗りであった。機内は非常に奇麗で、座席も狭さを感じない。離着陸時の加減速のGが凄い。巡航速度が速いせいで飛行中の揺れは殆どなく、上昇して水平飛行をする間もなく直ぐに降下が始まる。機上からは糸島や唐津、ハウステンボスなどを奇麗に観ることができて、30分の飛行は非常に順調であった。福岡⇔壱岐間にはジェットフォイルやフェリーが運航され、所要時間も短いが、搭乗した便は満席状態で、飛行機を利用する人も多いようである。
秋の壱岐・対馬 3泊4日の島巡り
1日目の旅ルート
モロさんの他の旅行記
-
2025/8/7(木) 〜 2025/8/9(土)
- 夫婦
- 2人
恒例の仙台でのお盆の墓参りの後に、東北地方の温泉地を訪ねる旅行である。南会津には有名な温泉地や観...
68 2 0 -
2025/6/25(水) 〜 2025/6/27(金)
- 夫婦
- 2人
鉄道ファンの一人として、蒸気機関車や旧型の電車を売りの一つにしている大井川鐵道とその沿線の観光地...
133 2 0 -
2025/4/21(月) 〜 2025/4/22(火)
- 夫婦
- 2人
10数年前の正月明け、老神温泉に向かう途中で赤城山の大沼に寄ったことがある。カルデラの内側は雪が積...
178 1 0 -
2025/2/17(月) 〜 2025/2/21(金)
- 夫婦
- 2人
退職後にやってみたいことの一つであった「東海道53次の踏破」を、退職後4年目にして実行に移すことにし...
281 1 0
みんなのコメント(0件)
投稿する
投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
閉じる皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。
さらに表示する