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さとけんさんの長野県〜岐阜県の旅行記

【高山・奥飛騨】高山の山久と新平湯温泉・松宝苑に泊まる【2024年10月】

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長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪ね、高山ではお気に入りの宿に泊まり、奥飛騨の新平湯温泉でいい温泉に入ってゆったりとしましたドライブを楽しみました。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2024年10月7日(月)

満蒙開拓平和記念館

阿智村(下伊那郡)

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さて今回は、夜中の0時過ぎに神奈川を出発し、国道20号線を北上します。いつも通り夜中の国道20号線は車も少なくて気分の良いドライブが出来ました。諏訪湖の手前・茅野のあたりで国道152号線に入ると街灯もなく夜中の山の中へ入っていく風情で少し心細くなりますが、峠を越えると町中を通る道になり、高遠あたりからはとても走りやすい道になりました。道の駅・とよおかマルシェで仮眠をとり、時刻は9時27分、満蒙開拓平和記念館に到着です。2013年4月に開館した施設で、開館時間は9時30分から、火曜日と第2・第4水曜日がお休みです。

00:00-

満蒙開拓平和記念館

阿智村(下伊那郡)

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まず一番初めの展示は、戦前・戦中への時間移動ともいうべき展示になっていて、日本が戦争へ向かう流れ、日本人が満蒙開拓へ海を渡る流れ・時代背景が良くわかる展示になっています。ゆっくりと閲覧していけば、その時代の空気を感じられる展示で、例えば世界大恐慌や東北地方の飢饉から2・26事件、農家の次男三男が開拓へ向かう流れ、そして渡航費などもすべて国が負担しますよという国策であったことなど、向こう10年先の未来などわかるはずもない人々が満州開拓へ行ってみようと思った自然な流れが理解できました。現地での生活の展示のあとは、1945年8月9日のソ連軍の侵攻からの逃避行についての展示です。ソ連との国境に近い村ほど生存率が低いという展示や、特に大きな4つの開拓民の死亡事件などの展示、そして生還者の証言などはとても読み応えがあり、いろいろと考えた2時間でありました。11時30分、満蒙開拓平和記念館を辞します。

道の駅 飛騨街道なぎさ

高山市

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阿智村から高山へ向かう道は、整備された走りやすい道で、私が先日訪れた妻籠宿の横を通過していきます。高山の手前で遅い昼食を取り、お土産の購入もしました。

お宿 山久(やまきゅう)

観光客で混雑する高山の街を抜けて、本日のお宿である「山久」に到着です。山久は高山の「東山」と呼ばれる地域にあり、混雑した街中からはやや外れたとても静かな場所にあります。私は今回4年ぶりの山久さんです。

お宿 山久(やまきゅう)

山久さんの感じの良い接客も、きれいなトイレと洗面が付いたコンパクトで明るい部屋も期待していた通りで、私は新しいお宿を開拓するのも好きなんですが、気に入ったお宿にリピートする安定した旅というのも良いなぁなどと思いました。

お宿 山久(やまきゅう)

長いドライブの後ですから、まずはお風呂です。奥に露天風呂があります。滞在中は合計で3回入浴しましたが、いつも良い湯加減でホッとするひと時でありました。

お宿 山久(やまきゅう)

廊下の雰囲気も良いですな。お風呂のあとはお散歩へ出かけます。

素玄寺

高山市

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山久がある高山の東山には寺院が多くあります。山久を出て100mほど北に素玄寺(そげんじ)があります。高山藩の初代藩主・金森長近の菩提を弔うために建立された寺とのことで、門も本堂も鐘楼も立派です。

素玄寺

高山市

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鐘楼越しの高山の景色が、なかなか良いですな。今日は今にも雨が降りそうな天気で遠くの山々は霞に隠れているのですが、手前の街はハッキリと見えています。

素玄寺

高山市

「素玄寺」を   >

高山の東山景観保存地区は混雑する街中からはやや距離があって静かなのですが、やはりここにも外国人の観光客が少数ながらいらっしゃってました。多分、こういう静かな雰囲気が好きな方々なのでしょうな。

東山神明神社

素玄寺の隣にある神明神社にお参りです。雨がポツリポツリと降ってきました。

天照寺

続いて天照寺にお参りします。境内や参道が横に(南北に)地続きなっていますので、散策しながら次から次へとお寺が現れます。

法華寺

高山市

「法華寺」を   >

そしてこちらは法華寺(ほっけじ)の本堂です。雨が本降りになってきました。宿を出る時に傘を持って出ましたので傘を開きます。

法華寺

高山市

「法華寺」を   >

ひゃー、どしゃどしゃと降ってきましたねー。本堂の軒先で雨宿りていうのもなかなか気分が良いですな。ちょっと雨が弱くなるのを待ちますか。

法華寺

高山市

「法華寺」を   >

法華寺の本堂前からの景色です。灯篭の向こうに見える建物が「お宿 山久」の建物なのです。雨が弱くなったタイミングで軒先から出て、階段をおりるとすぐに山久という具合、すぐにお風呂にまた入ってお夕飯を待ちます。

お宿 山久(やまきゅう)

じゃじゃーん。私はお夕飯を17時30分からに選択しました。

お宿 山久(やまきゅう)

このパイの包み焼きが美味しいです。皮をサクサクとスープに落として食べます。

お宿 山久(やまきゅう)

そしてこの牛鍋も美味ーい。飛騨牛でございます。

お宿 山久(やまきゅう)

天ぷらもサクサクと美味しく、おすましもおいしゅうございました。

お宿 山久(やまきゅう)

デザートも満足じゃ。お腹いっぱいです。ごちそうさまでした。部屋に戻って布団に横になりますと、すぐに寝付くことができました。

2日目2024年10月8日(火)

法華寺

高山市

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朝は5時に起きてお散歩するつもりが、起きたら6時を過ぎております。すぐにお散歩に出ます。

法華寺

高山市

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法華寺の山門の天井に絵が描かれておりますな。鳳凰ですかね、それとも孔雀?

法華寺

高山市

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昨日は雨宿りをさせていただいた本堂前で改めて合掌一礼のお参りをします。

法華寺

高山市

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法華寺の本堂の脇にはこのような池と石橋がありました。

善応寺

高山市

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法華寺から少し南へ移動しますと、境内がほとんど地続きといっていい善応寺に至りまして、そこからまた少しだけ南へ歩きますと・・・

宗猷寺

高山市

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宗猷寺(そうゆうじ)が現れます。

宗猷寺

高山市

「宗猷寺」を   >

宗猷寺にお参りをして、このお寺の境内にある山岡鉄舟さんのお父様とお母様のお墓にもお参りをいたしました。

高山市三町伝統的建造物群保存地区

高山市

「高山市三町伝統的建造物群保存地区」を   >

時刻は7時4分、高山の伝統的建物群保存地区・上三之町もまだ人の姿が見えません。

高山・上一之町(県道462号交差点付近)

人は少ないのですが、出勤の自動車の通りが増えてきました。お宿に戻ってお風呂に入ります。

お宿 山久(やまきゅう)

そして朝食を頂きます。少しずつのおかずが沢山、嬉しくなりますな。ごちそうさまでした。

お宿 山久(やまきゅう)

そしてこちらでモーニングサービスのコーヒーを頂きます。部屋に戻ってゆっくりとし、9時30分にチェックアウトをしました。また訪れたいお宿です。

洞雲院 

チェックアウトの後、山久の駐車場に車を置かせていただいて、高山を少し歩きます。お宿・山久さんを出て北へ100mほど、素玄寺の北隣にある洞雲院(どううんいん)が、本日の散策のスタート地点です。御本尊は阿弥陀如来とのことで本堂前にて合掌一礼のお参りです。

大雄寺(岐阜県高山市)

高山市

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洞雲院の北隣にある大雄寺(だいおうじ)にお参りです。こちらは大雄寺の山門、1807年に再建された立派な建物です。

大雄寺(岐阜県高山市)

高山市

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大雄寺の本堂です。御本尊は阿弥陀如来、1586年に現在地に移ってきたとのこと。そもそも、この東山に寺院が隣り合わせで密集している理由は、1585年に飛騨を平定した金森氏が城下町を整備する計画の一つとして、城下町の東に連なる山裾に数々の神社仏閣を移築したり建立したりしたからということで、「東山寺院群」とも呼ばれています。大雄寺には1689年に建てられた立派な鐘楼もあります。

東山白山神社 (高山市)

大雄寺の北にある参道を上っていきますと東山白山神社です。

東山白山神社 (高山市)

東山白山神社の狛犬。阿形ですね。

東山白山神社 (高山市)

そしてこちらが吽形の狛犬。参道わきの墓地から現れた外国人観光客のカップルと挨拶をしてすれ違います。

雲龍寺(岐阜県高山市)

高山市

「雲龍寺(岐阜県高山市)」を   >

そしてこちらは大雄寺の北隣の雲龍寺(うんりゅうじ)です。先に登場しました高山藩初代藩主・金森長近の長男・長則の菩提寺です。金森長則は1582年の本能寺の変に際して織田側の一人として、二条城において戦死(もしくは本能寺で戦死という説もあるそうです)した戦国武将です。享年19。

雲龍寺(岐阜県高山市)

高山市

「雲龍寺(岐阜県高山市)」を   >

そしてこちらは雲龍寺の鐘楼門です。こちらも立派な建物です。

久昌寺 (高山市)

雲龍寺の参道の脇にある久昌寺(きゅうしょうじ)です。御本尊は阿弥陀如来です。

高山別院(照蓮寺)

高山市

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東山遊歩道を外れて高山別院・照蓮寺(しょうれんじ)にやってきました。京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派の高山別院です。立派な唐門です。本堂は明治8年、昭和22年、昭和33年と度重なる火災で焼失、現在は「昭和39年に規模を縮小して耐火建築で建立した」本堂が建っています。このお寺の駐車場はバスの駐車場として機能していて、バスの団体客がここを起点にして高山観光に出発されている模様でした。

豊明台 (高山市大新町)

古民家の見学をしようと何となくブラブラと歩いておりましたら、見事な屋台を観ることが出来ました。この日は10月8日でしたが、明日・明後日の9日・10日が秋の「高山祭」が行われるとのことで、その準備のためでしょうか、屋台蔵が解放されていまして中を観ることができました。お祭りも観てみたいのですが、混雑が大の苦手な私はなかなかお祭り当日に観光プランを立てるということができませんな。3泊ぐらいして中日の2日間をお祭り見学に充てるというどっぷり高山プランならば、私のような者でもお祭り見学が出来るかもしれません。

日下部民藝館

高山市

「日下部民藝館」を   >

さて、古民家の日下部民藝館にやってきました。中へ入ってみましょう。

日下部民藝館

高山市

「日下部民藝館」を   >

おお、素晴らしい吹き抜けです。これだけ天井が高いとなかなか部屋が暖まらないのではないかと、そんなことを考えます。

日下部民藝館

高山市

「日下部民藝館」を   >

この日下部民藝館は、様々なイベントが模様されるらしく、この日は現代アートのイベントの最中でした。画像に見える大量の電気コードはそのイベントのための設備です。

日下部民藝館

高山市

「日下部民藝館」を   >

そして中二階です。この古民家もこの後に行った「吉島家住宅」も、中二階に畳が敷かれていて今でも使用できそうな部屋として残っているのが素晴らしいと思いました。

吉島家住宅

高山市

「吉島家住宅」を   >

日下部民藝館の隣にある吉島家住宅です。吉島家は代々、生糸・繭の売買・金融・酒造業を営んだ商家ということで、この建物は明治40年に建てられました。中へ入ってみましょう。

吉島家住宅

高山市

「吉島家住宅」を   >

おお、こちらも見事な吹き抜けです。

吉島家住宅

高山市

「吉島家住宅」を   >

広いですねー。こんな家に住んでみたい。ゴロンとしてみたい。掃除は大変かな。照明も良くて、とても明るいのです。吉島家では1960年代の「モダン・アート、モダン・ジャズ、モダン・リビング」関係の展示があって、快適なリビング・住み心地の良いリビングとは何であるか、自分の家のリビングもなんとかしたい、そんなことを考えました。

吉島家住宅

高山市

「吉島家住宅」を   >

そしてこちらが中二階。こちらも奥行きがありまして広いのですよ。明るいのもいいですね。

吉島家住宅

高山市

「吉島家住宅」を   >

こちらも中二階の画像、左手奥の部屋から撮影した写真が一つ前の画像です。居心地が良いのでついつい長居をしました。お昼近くに高山を辞し、奥飛騨温泉郷へむかいます。

奥飛騨クマ牧場

高山市

「奥飛騨クマ牧場」を   >

本日のお宿のチェックインが14時からということで、まだ時間がありますので、時刻は12時40分、クマ牧場にやってきました。高山から奥飛騨までの道はとても快適でしたね。中央線が無くなってしまうというようなことはなくて、しっかり整備された片側一車線の道でした。さて、昨今なにかと話題の多いクマたちに今日は会いにきたのであるが。

奥飛騨クマ牧場

高山市

「奥飛騨クマ牧場」を   >

おお、これはクマを手懐けるドライフルーツの餌・200円を購入しておきます。受付から館内に入り階段を昇ってクマのいる場所へ移動します。

奥飛騨クマ牧場

高山市

「奥飛騨クマ牧場」を   >

ほぅ、こぐまと撮影会、今日は火曜日ですので休館日ですな。クマ舎の前まで来ますと、クマの餌はビスケットを自動販売機で購入することになります。ドライフルーツなどは受付で買っておく必要があります。

奥飛騨クマ牧場

高山市

「奥飛騨クマ牧場」を   >

おお、クマじゃ、クマがおるー。思ったより大きくはないですな。私以外の観光客は3人から5人くらいという本日の状況、クマからみると新しい人間が現れるとエサをゲットできる大チャンスということで、新入りの私の方へクマたちが寄ってきます。エサをくれのポーズをしておりますな。

奥飛騨クマ牧場

高山市

「奥飛騨クマ牧場」を   >

おお。見事な月の輪です。飼いならされたクマ君たちに少し哀愁を感じるひと時でもありました。ほどほどに滞在して車に戻ります。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

奥飛騨温泉郷・新平湯温泉の松宝苑にやってきました。宿の入口は築100年以上の古民家造りの母屋です。14時ピッタリにチェックインします。

松宝苑(しょうほうえん)

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おお。一人でこの和室は贅沢ですな。すぐに浴衣に着替えてお風呂へ向かいます。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

大風呂です。まだ私の他は誰もいらっしゃらず、素晴らしい広さです。手前が脱衣所、隔てる壁が無くて内風呂、その向こうに露天風呂があります。内風呂→露天風呂→内風呂と入りまして、これがまたいい湯加減。2回目のお風呂周りの時に湯守をされているもうすぐ90歳になるという大旦那にお会いしまして、湯加減はその日の天候に合わせてその日の最適な湯の温度に保たれているとのこと。いや、さすがの湯加減でございました。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

こちらは貸切風呂、空いていたら中からカギをかけて貸切にするシステムです。鉄の香りがしますな、鉱石でしょうか、独特な温泉の香りを楽しみます。

新平湯温泉

高山市

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そしてこちらはもう一つの貸切風呂です。湯を守る大旦那は、「湯は薬と同じです、適度な量は身体に良いが、入り過ぎには注意してください」とのこと、私はあまり長湯はしないで何回かに分けて入浴を楽しみました。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

さて、18時からはお待ちかねのお夕飯です。古民家の中が食事会場になっていまして、食事はどれも美味しかったですね。

松宝苑(しょうほうえん)

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この塩焼きはふっくらしていて美味しかったですねー。

松宝苑(しょうほうえん)

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じゃじゃーん、飛騨牛でございます。囲炉裏の上で陶板焼きです。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

そしてこちらは飛騨牛のローストビーフです。満足満足です。

松宝苑(しょうほうえん)

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あまりにお腹がいっぱいになりましたので白米を少なめにしていただいたのですが、この白米も美味しかったですね。翌朝の白米はたっぷりといただきました。

3日目2024年10月9日(水)

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

朝は5時40分に起きて大風呂と貸切風呂を堪能します。8時からは朝食、少しずつの山の物のおかずと美味しい白米、御馳走様でした。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

ちなみに食事会場の古民家の中はこのような感じになっています。

松宝苑(しょうほうえん)

「松宝苑(しょうほうえん)」を   >

9時にチェックアウト、お見送りをしていただいて松宝苑を後にします。また泊まりにきたいなー。奥飛騨温泉郷は良いお宿が沢山ありますね。

日本浮世絵博物館

松本市

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奥飛騨から上高地の近くを抜けて松本へ向かいます。時刻は9時から10時ということで、上高地へ向かう観光客がとても多いのでしょう、道路も、バスに乗り換える駐車場も渋滞はしていないが車が連なっているという感じ、やはり上高地は人気がありますね。私は上高地は家族で行った良い思い出がありまして、その想い出を上書きしたくなくて、なかなか一人では行けないのですが、私のサムネイルは上高地の水面の画像ですし、お気に入りの観光地ですので、そろそろ姉夫婦を誘って上高地へ行ってみたいなという気持ちもあります。やはり上高地は上高地で泊まって、早朝の人のいない時間帯の上高地を散策するのがお勧めです。松本の日本浮世絵博物館へやってきました。私設の美術館ということですが、とても立派な建物です。

日本浮世絵博物館

松本市

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最初は人が居なくて貸切り状態でゆっくり見られたのですが、少しすると外国人が少人数で、そのうちに団体でやってきました。皆さん、欧米系の外国人で、英語の紹介ビデオをきちんと椅子に座って熱心に視聴されていらっしゃいました。受付の女性も流暢な英語を話されていました。外国人が持つ日本のイメージにピッタリくる施設なのかもしれませんね。

日本浮世絵博物館

松本市

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この日の企画展示は「江戸のおいしいもの・浮世絵にみる飲食の楽しみ」と題されたもので、非常に私に合っている企画で面白かったです。そしてその企画の中で、北斎と広重の東海道五十三次が並べて交互に展示されていて、これがなかなか面白かったですね。二人の違いはなんだろう?と考えながら見比べてみると、細部までガッチリと鑑賞することになりまして、時間を忘れましたね。これは1811年ごろの北斎の「鞠子宿」です。中央で名物の自然薯を擂っているのでしょうか、筋肉が隆々としています。

日本浮世絵博物館

松本市

「日本浮世絵博物館」を   >

そしてこちらは1833年ごろの広重の「丸子宿」、こちらでは名物のトロロをかっこんでいる旅人が見えます。広重の描く人物は、意外と線を簡単に描いていて、全体が引き気味の構図で風景も描かれていると。

日本浮世絵博物館

松本市

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そしてこちらは広重の「四日市宿」です。やはりこちらも引き気味の構図で、人物の輪郭の線が、あっさり簡単に描かれているような気がします。風景を描くことで観た人の旅情をかきたてるような、旅行ガイドとしての役目も果たしていたのかもしれませんね。広重の五十三次は。

日本浮世絵博物館

松本市

「日本浮世絵博物館」を   >

そしてこちらは北斎の「四日市宿」。やはり人物は丁寧に描かれていて、というより、人物だけでなく細部の描き方がしっかりしているのですよね、北斎は。これは版画ですから、版下を作る人も版画を刷る人も、かなりの熟練者じゃないと北斎さんの満足できる作品になり得なかったのではないでしょうか。以上、まったくの素人の私の観たままの感想でした。

日本浮世絵博物館

松本市

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そしてこちらは広重の雑司ヶ谷の鬼子母神、茗荷屋のの2階で飲食をする客が描かれています。「往来する参詣人の内、向かって左端の子供が持つススキで作られたミミズクは鬼子母神参詣のお土産であった」と説明書きがあります。

日本浮世絵博物館

松本市

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ほぅ、これは面白い。こんなお土産があったら、今でもちょっと売れそうじゃないですか?

日本浮世絵博物館

松本市

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そしてこちらは広重の「名所江戸百景 虎の門外あふひ坂」に描かれている蕎麦屋ですね。いや、これ、食べてみたいなー。食べてみたいですねー。落語の「ときそば」みたいになるのでしょうかねー。

日本浮世絵博物館

松本市

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そしてこちらは割り箸が描かれた浮世絵です。「本図では二八蕎麦の看板の上に使用済の箸が積み重なっている。当時は『引き裂き箸』と呼ばれ、杉材を用いた。使い捨てが一般的であったが、中には製造元に返して丸箸に削り、再利用したものもあったという」。なるほどー。やはり落語の「ときそば」を思い出してしまいます。あれは「いいねー、やっぱり箸は新品がいいねー。あれ?この箸、濡れてんねコレ」という具合で、ソバ代をごまかそうとした男の思惑が、すべてにおいて外れていくというお話でしたが、この割り箸の山、広重さんが実際に目にしたものだったのでしょう、江戸の文化、これは想像する以外に過去へは旅行できませんから、まずは実際に観に行くことが出来ない世界なんですけれども、その江戸の文化を想像して入り込む4次元の旅を援けるアイテム・浮世絵という感じで、とても良かったです。さて、今回の旅は、ゆったりとしたプランで、時間と空間を贅沢に使ったような旅になりましたが、こういう旅もいいものだと改めて思いました。また計画したいと思います。

【高山・奥飛騨】高山の山久と新平湯温泉・松宝苑に泊まる【2024年10月】

1日目の旅ルート

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