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「古代メキシコーマヤ、アステカ、テオティワカン」
更新 : 2023/6/25 5:18
こんにちは!最高気温が30度をこえる日が多くなってきていますが、体調を崩されてはないでしょうか。
本日は東京国立博物館にて開催中の特別展「古代メキシコーマヤ、アステカ、テオティワカン」についてご紹介します。
メキシコには35もの世界遺産があり、なかでも高い人気を誇るのが、古代都市の遺跡群です。そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝の数々を、近年の発掘調査の成果を交えて展示されています。
〇みどころ
第1章 古代メキシコへのいざない
前1500年頃、メキシコ湾岸部に興ったオルメカ文明はメソアメリカで展開する多彩な文明のルーツとも言われます。 広大な自然環境のなかで人々の暮らしを支えたのは、トウモロコシをはじめとする栽培植物と野生の動植物でした。やがて、天体観測に基づく正確な暦が生み出され、豊穣と災害をもたらす神々への祈りや畏れから様々な儀礼が発達し、生贄が捧げられました。
第2章 テオティワカン神々の都
海抜2300mのメキシコ中央高原にある都市遺跡です。死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、居住域などが整然と建ち並んでいました。太陽や月のピラミッドはまさに象徴的な存在です。
第3章 マヤ都市国家の興亡
前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立しました。都市間の交易や交流、時には戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成しました。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させました。
第4章 アステカテノチティラトンの大神殿
14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明です。首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市であり、中央に建てられたテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿にはウィツィロポチトリ神とトラロク神が祀られていました。アステカも他の文明の伝統を継承し、王や貴族などを中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行なわれました。
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