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    沖縄の世界遺産のご紹介3:勝連城跡(その2)

    更新 : 2020/3/10 15:31

    はいさい!「琉球ナビゲーター」の儀間です。

    前回は沖縄本島中部勝連半島にある「勝連城」を紹介しました。


    今回はその最後の城主である勝連按司「阿麻和利(あまわり)」についてご紹介しましょう。
    沖縄には「おもろ」と呼ばれている祭祀歌謡があります。このおもろを分析すると古代沖縄の様子が見えてきます。
    勝連城がある勝連に残るおもろには「勝連は太陽に向かって門を開けて、真玉や黄金が寄り合って、栄える勝連城であることよ」
    とか「勝連の阿麻和利様、貴高い阿麻和利様よ、千年も末長くましまして勝連を治め給え。
    阿麻和利様には品位ある勝連こそがふさわしいのです」とか、
    「勝連わ何にぎゃたとえる 大和の鎌倉にたとえる」と歌われ、勝連は鎌倉にたとえられるほど栄えていたことが、うかがい知れます。

    そのように勝連の最後の城主、阿麻和利は地域の英雄であり、尊敬されていた領主であったのですが、
    次の事件から、長い間琉球の歴史の中で最大の悪人とされてきました。

    琉球王国を統一した尚巴志の息子、第3代尚忠王は今なお巨大な力を持っている勝連を牽制するために
    勝連と王都首里の間にある中城の地の中城城を整備させ、建国以来の忠臣である護佐丸をそのに配置しました。
    1458年、国王の座を狙った阿麻和利はその障害となる中城城の護佐丸を王都首里に向けて兵を動かす準備をしていると、
    王府に讒言します。この讒言を信じた国王は王国軍を中城城に向け、ここに琉球王国建国以来の重臣であった護佐丸は滅びます。
    しかし、護佐丸挙兵が阿麻和利の讒言であることを知った国王は勝連城を攻め、阿麻和利を滅ぼします。

    このような経緯から阿麻和利は大逆賊・大悪人とされてきました。
    しかし、先に述べた勝連地区に伝わる阿麻和利の評価が発掘され、
    結果的にこの乱・事件によって王国内で巨大な力をもった2名の豪族が滅び、
    首里王府の力がゆるぎないものになったことから、事件そのものが首里王府が裏で糸をひいていたのではとも言われています。

    このようにして首里を中心とする琉球王国が形成されてきました。
    次回はこの事件のもう一方の当事者、護佐丸と「中城城」をご紹介します。

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