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宿番号:312853

[夕食クチコミ4.7]自慢の料理とおもてなしが光る十和田の一軒宿

奥入瀬渓流温泉
JR奥入瀬渓流温泉バス停下車徒歩3分。十和田IC奥入瀬方面へ向かい約90分。青森空港より車で80分。

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    ちょっと寄りB〜十和田湖 乙女の像建立まで

    更新 : 2014/6/17 14:20

    乙女の像について、引き続き興味深いお話があります。
    ・・・そもそも記念碑ではなく像の建立はなぜか?なぜ高村光太郎なのか?魅力的な乙女の像はどうして生まれたのか?


    乙女の像の建立の歴史は、「十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会」の研究発表から抜粋引用します。

    昭和25年12月青森県では津島文治知事(太宰治の長兄)のもと、国立公園指定15周年記念事業について検討されていた。
    十和田開発に功労のあった大町桂月、武田千代三郎(十八代県知事)、小笠原耕一(十和田村村長・県議員)の三氏の功績をたたえる記念碑建立が発案されており、ここに1人の重要人物がいた。
    当時副知事の横山武夫氏である。
    アララギ派の歌人として自ら歌誌「あすなろ」を主宰するなど文人であった。
    その横山が記念碑の制作を、詩人としても日本の彫刻界ででも高い評価を得ている高村光太郎に依頼することを希望した。

    そこから、別なところからも高村光太郎の名が上がったことにより、話は急展開を迎えるのである。どのように決定したのか、また高村光太郎に辞退されてから除幕式まで、どのような経緯があったのか、ここからはまた次回へとする。

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