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宿番号:312853

[夕食クチコミ4.7]自慢の料理とおもてなしが光る十和田の一軒宿

奥入瀬渓流温泉
JR奥入瀬渓流温泉バス停下車徒歩3分。十和田IC奥入瀬方面へ向かい約90分。青森空港より車で80分。

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    ちょっと寄りG〜完  乙女の像 完成後の騒動 

    更新 : 2014/7/17 14:39

    昭和28年10月21日 裸像(乙女の像)除幕式 天候は雨。

     光太郎は「清めの雨だな〜」とつぶやいた。



    振り返って考えてみると建立当時いろいろ批判的ことばが聞こえていた。

    我々日本人は公共の場で裸をさらす事には大きな羞恥心を持っているので当然といえば当然な反応だったろうが、特に高名な作家の作品で、デザインも完全に任せての制作であってみれば穏やかな言葉で現状を肯定できなければならず、高村光太郎の実績と社会的評価の高さとで大いに文化的影響を受けている自覚もあるので、なんとか納得できる評価の言葉を模索しながら時間を過ごしてきたのが事実である。


    当然本事業達成のために三顧の礼をもってお願いした横山武夫にしても、神秘の湖に裸婦像を建立したことへの県内外の批判の声は聞こえていたと考えることはできる。
    旧十和田湖町で横山副知事の講演会が開かれた時、十和田湖の環境に裸婦像が建てられた問題に触れられ、高村光太郎は岩手県の山の中でまるで自分を虐めるかのように苦労の多い生活をしていて、常に人恋しい思いを抱いて生活をしていて本来的に人間そのものに強く心を惹かれての毎日で、それはまるで人間に飢えているがごとく激しいほどの願望であったようで、その様子のことを「人体飢餓感」と表現して説明された。

    高村光太郎の詩集に「人体飢餓」があった。
    「彫刻家山に人体に飢えて 精神この夜も夢幻にさすらい」
    「戦争はこの彫刻家から一切を奪った」。と岩手の山中に籠ってからの作品である。

    高村光太郎は24歳から27歳までの3年間、アメリカ、ヨーロッパに留学したがその頃のオリジナルの彫刻作品が残っていないところを見ると文化文明の違いから受けたカルチャーショックの大きさがしのばれる。

    赤裸々を恥じる文化と、赤裸々を誇る文化、このせめぎあいが「人体飢餓」まで繋がっているように考えられる。



    「自分が自分を見る、人間の本質と理想」が伺える渾身の像。それが乙女の像だったと感じている。


    *乙女の像の建立の歴史は、「十和田湖・奥入瀬観光ボランティアの会」の研究発表から抜粋引用し構成しています。

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