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    〜渋谷文学散歩 与謝野晶子 歌碑〜 

    更新 : 2021/5/24 13:48

    ここ数年大規模再開発が進み、また流行の発信地とも呼ばれている渋谷ですが、かつて多くの文化人が住み、渋谷の自然や風景を、書物や絵画に残してきました。そうした著名な文化人の住居跡や記念碑、また終えんの地などの碑を渋谷東武ホテル近辺でも見ることができます。

    本日は、道玄坂にございます与謝野晶子の歌碑をご紹介致します。

    与謝野晶子歌碑 ・ 道玄坂道供養碑 ・ 由来碑

    所在地: 渋谷区道玄坂2-10
        (渋谷マークシティ4階西側のアベニュー口を出てすぐ右側)

    与謝野晶子歌碑には、
    「母遠うて瞳したしき西の山 相模が知らず雨雲かゝる」
    とあります。

    「歌人与謝野晶子が詠んだこの短歌は、明治35年(1902)4月に発行された東京新詩社の機関誌「明星」に収められています。
    晶子は、前年に、郷里の大阪府の堺から単身上京し、渋谷道玄坂の近傍に住んで、与謝野寛と結婚しました。処女歌集の「みだれ髪」も刊行しています。詩歌の革新をめざした寛との結婚生活でしたが、晶子にとって身心の負担は思いもよらず大きなものでした。
    歌人として、また妻としての多忙な日々のひとときに、住まいから近い道玄坂の上にしばしばたたずんで、西空の果てに連なる相州の山々を眺めていたのです。 その山々の方向にあたる遠い堺の生家を思い、母親を懐かしんだのでした。
    みずから、生家を離れて、新しい生活を渋谷で始めた晶子が、当時ひそかに抱き続けていた真情の一端を、この一首の短歌は語っているのです。
    なお、この歌碑に彫られている筆跡は、晶子自身の書簡による集字です。」


    渋谷道玄坂
    「渋谷氏が北条氏綱に亡ぼされたとき(1525年)その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍らに道玄庵を造って住んだ。それでこの坂を道玄坂というといわれている。 江戸時代ここを通る青山街道は神奈川県の人と物を運ぶ大切な道だった。やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると渋谷附近はひらけだした。近くに住んだ芥川龍之介・柳田國男がここを通って通学した。坂下に新詩社ができたり、林芙美子が夜店を出した思いでもある。これからも、道玄坂は今までと同じくむしろ若者の街として希望と夢を宿して長く栄えてゆくことだろう。 樋口清之 」

    道玄坂を上っていくと、左手に3つの碑が並んでいます。
    こちらは、渋谷区教育委員会による短歌の解説です。

    「道玄坂道供養碑」

    渋谷道玄坂について説明されている碑

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