宿番号:332780
コンフォートホテル横浜関内のお知らせ・ブログ
横浜から世界へ、海を渡った生糸
更新 : 2022/10/28 21:36
今日はコンフォートホテル横浜関内です。今回ご紹介するのは、「横浜から世界へ、海を渡った生糸」にまつわる建造物についての紹介です。世界遺産に登録されている群馬県の富岡製糸場を、横浜三渓園の創設者、原三渓が所有していました。安政6年(1859)に開港して以来、横浜は輸出港として発展してきました。開港当時の一番の輸出品が生糸で、群馬県、福島県、長野県などから生産された生糸が横浜から海を渡って世界に輸出されました。原三渓もこの横浜を拠点として生産した生糸の貿易を商ってきました。この輸出する生糸の品質検査を行ってきた「横浜生糸検査所」が現、横浜第二合同庁舎であり、生糸や茶の輸出や、毛織物、綿織物の輸入取引を円滑に行う外国貿易金融を取り扱う銀行として「横浜正金銀行」(現在は、神奈川県立歴史博物館として建っています)が誕生しました。また、物流の重要拠点として赤レンガ倉庫が明治末期に建設されおります。幕府はこれらの輸出入に際し、波が高くても荷の揚げ下ろしが出来るようにするため波止場を弓なりに造り直したのが「象の鼻」の由来であります。このとおり横浜には生糸にまつわる歴史的建物がいろいろあるものですね。
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