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赤い広島シリーズ B 広島東洋カープ
更新 : 2018/11/5 17:06
皆様こんにちは。いつもご拝読いただき、ありがとうございます。
今日は久しぶりに「赤い広島シリーズ」。第3弾にして最終回の今日取り上げるのは、、、
そうです! 広島の赤いイメージを一身に背負う、我らが「広島東洋カープ」です!
今年の日本シリーズは後一歩及ばす、34年ぶりの日本一とはなりませんでした。
それでもセ・リーグ3連覇の偉業は変わることなく、私たちの広島県民の誇りです。
そんな広島カープですが、元々は赤じゃなかった事実をご存知でしょうか?
広島の街に球団が誕生したのは、原爆投下から5年後の1950年。球団名の「カープ」は「鯉」に由来します。当初は運営資金の枯渇に悩まされ、市民から樽募金をして賄った逸話が残されています。正に市民球団ならではの逸話といえますね。当時のユニフォームは、紺をベースにしたものでした。
球団結成から25年経った1975年。広島東洋カープ(1968年に東洋工業が筆頭株主となり、球団名に東洋が加わる)は一度も優勝することなく、最下位争いの常連となっていました。
そんなチームに「野球に対する情熱を前面に出す」ことを求めた新監督のショー・ルーツが、ヘルメットやユニフォームに「赤色」を取り入れたのです。
ショー・ルーツ監督はシーズン途中で辞任となりましたが、後を継いだ選手たちは、「赤ヘル旋風」と呼ばれる大活躍を見せ、万年最下位候補筆頭だったカープを、なんと赤ヘル誕生の年に、セ・リーグ初優勝に導いたのでした。
以来、赤といえばカープ。カープといえば広島。そして広島といえば赤、、、というイメージが定着していきました。広島に赤をもたらした恩人は、実は外国人監督だったんですね。
カープの本拠地マツダスタジアムは、JR広島駅から徒歩10分と試合観戦に大変便利です。そのマツダスタジアムの片隅に、戦後の広島市内で野球観戦する子供たちの様子を再現したモニュメント「広島カープ誕生物語」の銅像があります。子供たちの視線の先にはマツダスタジアムがあり、優勝かけて熱く戦うカープを今でも応援しています。
カープ所縁のグッズは、広島から約27キロ離れた宮島にもございます!
宮島・表参道商店街の一角「杓子の家」に、カープやサンフレッチェが優勝を達成した際の選手や監督コーチ全員のサイン入り大杓子が今でも展示されており、多くの人が見物に訪れています。宮島にお越しの際は、是非覗いてみてください。
球団創設から68年。今も変わらず熱く燃えるカープに熱い声援を送る子供たち(広島カープ誕生物語)
宮島・表参道商店街「杓子の家」では、カープやサンフレッチェの優勝メンバーの寄せサインの杓子が展示されています。
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