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    走れ! 被爆電車 「希望を乗せて、出発進行」

    更新 : 2020/8/26 3:35

    皆様こんにちは。

    8月6日は、広島の原爆の日です。
    75年前。いつもと同じ朝の広島は、一発の原子爆弾で世界が変わりました。
    今日は被爆しながらも復活し、今なお現役で働いている広島電鉄の電車のお話です。

    広島電鉄(以下、広電)の路線は、市内線と宮島線を合わせて総延長35.1kmの、日本最大の路面電車です。1945年には、既に現在と同じ路線網が完成されており、広島市民の足として活躍していました。

    被爆を乗り越えて今なお走るその電車は「650形」。1両編成の単車です。広電の期待を受けて、1942年に5両(651〜655)新製されました。

    誕生から3年後の1945年8月6日。原爆投下により、当時広電に在籍していた123両のうち約9割の108両が被災。650形電車も5両全て被災しました。
    線路や電線は勿論、市内の変電所も壊滅。広島の街は一瞬にして焦土と化し、75年間は草木も生えないと言われた程に傷ついてしまいました。

    ですが被爆から3日後の8月9日には、早くも広島市内の一部で電車が復旧しました。
    広電社員と軍関係者の協力の元、線路の復旧工事や電線張替を行い、電気は約20キロ先の廿日市変電所から送電を行い、己斐(現広電西広島)から西天満(現天満町)まで運行。電車を運転したのは女学生でした。
    絶望の淵にいた広島市民が、どれほど勇気づけられた事でしょうか。
    なお、郊外の宮島線は、被爆翌日の7日には草津町(現草津)から電車宮島(現広電宮島口)で運行再開しています。

    被爆した650形電車の内、軽傷の652は、同年8月中旬から運転を再開。他の大破した車両も、被爆から4年後までには全車復活し、広島の復興を支えました。
    以来75年。時が流れ、広電電車も順次新車に変わりゆく中で、650形は現役で元気に広島市内を走っています。今では「被爆電車」と呼ばれ、注目を集めています。

    5両の650形電車の内、655は既に廃車。654はヌマジ交通ミュージアムにて展示。653はイベント列車として臨時運転に使われ、残った651と652が、平日朝のラッシュ時と、毎年8月6日に広島市内を走ります。

    期待を胸に投入してから直ぐに絶望を味わいながらも、広電の熱意で復活し、復興し成長していく広島と共に、今日まで走り続ける650形電車。
    ヒロシマの象徴として、当たり前の日常を支える足として、みんなの希望を乗せて、いつまでも走り続けて欲しいと願っています。

    ・PCビュアーで車両紹介をどうぞ!

    650形の車内の様子です。
    木製の窓枠や椅子が、昭和レトロな感じを醸し出し、どこか懐かしさと温かさを感じます。

    650形の運転台です。
    最近の車両と違い、マスコンハンドルや計器類がアナログ感満載です!

    車内前方と後方の二か所に、車両の生い立ちが記載されています。
    1945年8月6日の被爆時に何処で被爆したのか、どの程度の被害だったか、いつ復活したのか等の詳細が記されています。
    写真は651の物で、652は別のいきさつが記載されています。
    651は爆心地からわずか700mの至近で被爆したため、復旧に半年かかりました。

    こちらは652です。
    昨年の「ひろしま夢みなと花火大会」(広島・宇品で開催)の臨時輸送で活躍していました。
    多客時臨時運転でも、650形電車は大活躍です♪
    652は爆心地から約5km離れた広島港・宇品で被爆しましたが、被害が小さかったおかげで、被爆から半月後には復旧して、広島市民に勇気を与えました。

    続いて、653です。
    イベントや平和学習などの、貸切専用として運転されています。(写真は広島駅です)
    なお、このカラーリングは、被爆した1945年当時の650形車両の塗装を復元したもので、ヌマジ交通ミュージアムに展示の654も、同じ塗装です。
    653は爆心地から約4kmの江波で被爆し、4か月後に復旧しています。

    ここは広電の天満町電停です。被爆当時は「西天満町」でした。原爆の爆心地から、約2kmの所です。
    被爆から3日後の8月9日。ここから西広島(当時は己斐)まで広電電車が復活し、広島市民を大いに勇気づけました。
    (見たら分かりますが、画像の車両は650形ではありません!)

    最後に、被爆後広電が復旧した際の終着駅、当時「己斐」と呼ばれていた、広電西広島です。実際に電停があった場所は現在地の少し市内寄り、現在は多目的スペースとなっております。爆心地から約3kmです。
    被爆から75年。広島の復興と共に歩んだ650形電車は、今日も当たり前のように、日常を生きる私たちを運んで走ります。

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