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厳島合戦A 「勝敗のカギを握ったのは・・・」
更新 : 2020/9/28 20:35
皆様こんにちは。
前回の続きで、今から455年前の戦国時代に行われた、毛利VS陶の厳島合戦の紹介です。
(前回同様、宮島の呼称も使用します)
毛利に占領された宮島を奪還するため、陶晴賢は500艘の船団で、9月22日に宮島に上陸します。総勢2万の大軍です。
対する毛利軍は、宮島島内に5百。対岸に4千。数では全く勝負になりません。
そこで登場するのが、「村上水軍」です。
村上水軍は、芸予諸島を中心に勢力を伸ばしていた、言わば海賊です。
瀬戸内海の安全を守る警備業や、海域を通過する船の水先案内業で通行税を徴収して生計を立てていました。
村上水軍は、「能島(愛媛県今治市)」「来島(愛媛県今治市)」「因島(広島県尾道市)」の三家に分かれており、それぞれ独立していました。
因島村上家は、厳島合戦前から毛利に従属していましたが、それでも合わせて200艘と、陶軍には遠く及びません。
残る能島村上家と来島村上家の動向が鍵を握っていました。
陶軍の宮島上陸の方を受け、毛利軍は対岸の草津城(広島市西区)に進出し、村上水軍の援軍を待ちます。ですが村上水軍は現れず。
陶晴賢も村上水軍に援軍交渉していたので、どちらに転ぶかは定かではありません。
陶軍の猛攻に耐えていた宮尾城も、27日までに堀を埋められ、水源も絶たれ、絶体絶命のピンチ。
焦った元就が、交渉役の三男・小早川隆景に当たり散らしたり、援軍を待たずに渡海しようとした様子が、当時の資料で残っています。
28日。村上水軍にヤキモキしつつ、毛利軍は宮島の目の前の対岸、地御前(広島県廿日市市)に到着。
そこに来島村上水軍が約300艘の大船団で登場し、毛利軍に合流します。
何故劣勢の毛利に味方したのか?
一説に、陶は「味方につけ」と言ったのに対し、毛利は「1日船を借りたい」と一言。
この戦いに負ければ毛利は滅亡。勝てなければ帰る場所は無いと決死の覚悟が伝わったのです。
一方で、陶晴賢は、村上水軍が徴収していた通行税の取り立てを禁止した事があり、恨みがあったとも考えられます。
これで船の数では互角になりました。
宮島に渡る目当ても付きました。
ですが、途中で陶軍に見つかれば、上陸前に殲滅されるか、逃げられてしまいます。
しかも味方の宮尾城は陥落寸前で時間がありません。
その時、毛利に最後の奇跡が味方します!
それは... 文字数制限により、続きは次回のお楽しみ♪
ホテルを出て、坂を下ってすぐ左手に「山辺の小径」があります。
小径をまっすぐ歩くことすぐ。丘の上から見える小高い小山が「宮尾城」です。
陶軍は2万の大軍で宮尾城を包囲し、猛攻撃をかけます。
必死に耐える宮尾城ですが、水を絶たれた上に、堀も埋められ、絶体絶命のピンチに陥ります。
宮尾城跡から市街地方向です。
現在、豊国神社(千畳閣)と五重塔がある「塔の岡」に、陶晴賢の本陣がありました。
その眼下に広がる一帯に陶軍が集結します。
当時は表参道商店街まで海だったので、実際はもっと密集していたと思われます。
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