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厳島合戦B 「常識外れで奇跡を起した毛利元就」
更新 : 2020/10/1 23:40
こんにちは!
前回からの続きで、厳島合戦です(引き続き、宮島の呼称も使用)
村上水軍の協力を得て、海上勢力を互角にした毛利軍。 いよいよ決戦です。
陶軍に気付かれずに宮島に上陸するには、夜間に渡海する必要がありますが、予定日の30日夕刻より暴風雨が襲います。
「あ〜あ。日延べか」と思った毛利軍将兵に対し、元就は宮島への渡海を命じます。
宮島フェリーは、風速15mの強風が続くと欠航します。ましてや当時は木造船。元就の無茶ぶりは、海上のプロ・村上水軍が渡海に反対した事で証明されます。
しかし、陶軍も暴風雨では渡海して来れないと油断しているはず。 勝てるチャンスは今。
元就は一世一代の大勝負に出ます。
元就と長男隆元(当時の毛利家当主)と次男の吉川元春が包ヶ浦から上陸し、山を登って博奕尾を超え、陶軍背後の山中に待機します。
元就達を運んだ村上水軍は、そのまま宮島沿岸で待機。
その内、小早川隆景の一団は、大胆不敵にも陶軍の味方と偽り、堂々宮島に上陸して陶軍に紛れて待機します。
そして、10月1日早朝。
毛利軍は、一斉に陶軍に攻撃を始めます。
寝込みを襲われたのと、前夜の嵐で完全に油断した陶軍はたちまち大混乱に陥り、壊滅します。
宮島を逃れようとした陶軍ですが、沿岸にいた村上水軍が、陶軍の軍船をバコバコ沈めた為に孤立。
逃げ場を無くした陶晴賢は自害して果て、毛利軍の大勝利となります。
ですが、毛利軍は何故か戦闘を中断。
民家で火災が発生し、厳島神社への延焼の危険があり、全軍に消火活動をさせたのです。
筆者が知る限り、追撃を止めて消火活動をしたのは、歴史上この時の毛利軍だけ。
その為、山中に逃れた陶軍と更に1週間戦う事になりますが、お陰で厳島神社は、奇跡的に守られました。
合戦後、元就は血で汚れた土を島外に持ち出し、厳島神社の社殿を綺麗に洗い清めました。合戦の死者も全て島外に埋葬します。 同じ安芸に住まう毛利一族は厳島神社を日頃より崇拝しており、宮島の風土をよく理解していました。
奇跡の勝利を手にした毛利軍。
ですが、実現する為には、事前工作と交渉、僅かな好機を掴み取る決断力と実行力。全てが成功した結果です。
これまで安芸の小さな勢力に甘んじていた毛利が、僅かなチャンスを掴んで大大名に飛躍する最初の一歩。それが厳島合戦なのです。
大野瀬戸を挟み、左側のマンション奥が、毛利軍が布陣した地御前。
右側に宮島の聖崎が見えます。
毛利軍は大嵐の中、陶軍に見つからないよう、松明1本のみで宮島に決死の渡海を敢行します。
厳島合戦、奇跡の勝利への第一歩でした。
嵐の中、毛利軍は包ヶ浦の海岸に上陸します。
ここは宮島桟橋から左手(厳島神社の反対方向)の道路を進み、約3キロ先です。
宮島の市街地から見たら山の向こう側になり、陶軍に気づかれないよう密かに近づくには、絶好の上陸場所でした。
毛利軍が上陸した包ヶ浦の海岸には、宮島桟橋と同じような厳島合戦の説明用の看板があります。
冒頭の写真も、包ヶ浦にある毛利軍上陸の碑です。
包ヶ浦は、海水浴場やキャンプ施設も備え、週末を中心に家族連れで賑わいます。
包ヶ浦までの道中は、宮島の市街地とはまた違った雰囲気で、もう一つの宮島を体験できます。
行かれる際は、レンタサイクルがオススメです!
海上より、宮島市街地を望みます。
毛利軍の奇襲で大混乱に陥った陶軍に追い打ちをかけたのが、沿岸に待機していた村上水軍。
この海域で陶軍の軍船を次々と沈めた為、帰れなくなった陶軍は全滅。
逃げ場をなくした陶晴賢は、宮島島内で自害します。
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