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【天長祭記念企画】宮島を訪れた天皇陛下
更新 : 2021/2/23 2:02
皆様こんにちは。
日本の歴史を語る上で欠かせない天皇陛下。
今上天皇で126代となります。
2月23日は、天長節(天皇誕生日)。
各地の神社では、天皇の誕生を祝う天長祭が執り行われます。
厳島神社では、舞楽の奉奏が行われます。
これまで多くの皇族の皆様が、宮島を訪れました。
その多くは皇位に就く前の皇太子、または退いた上皇や法皇で、天皇として宮島を訪れたのは、お2人だけ。
明治天皇と昭和天皇です。
1885年7月、明治天皇の一行が宮島を訪れます。
町家通りを大行列で進み、大聖院にご宿泊されます。
大聖院の観音堂には当時の様子を描いた絵が飾られており、随行した伊藤博文(後に初代内閣総理大臣)や、広島県令(今の県知事)千田貞曉の姿も描かれています。
宮島での一夜を過ごされた明治天皇は、翌日は厳島神社等を散策され、廿日市へと向かわれました。対岸にある廿日市市の阿品には、上陸の記念碑が伝わっています。
次に宮島を訪れた昭和天皇は、明治天皇のお孫です。
昭和天皇が宮島を訪れたのは、終戦から僅か2年後の1947年。
上陸後はお車でしたが、思わぬ故障で徒歩となりましたが、陛下は故障者の運転手を逆に気遣われたとの逸話があります。
宮島では、老舗旅館の岩惣にご宿泊されました。
当時アメリカ占領下の沖縄を除く、46都道府県を行幸中。
宮島は束の間の休日となります。
現地の島民とふれあい、紅葉谷公園等を散策され、船で宮島を一周されました。
2泊された後、被爆の傷癒えぬ広島を訪れ、市民を激励されました。
行幸とは、天皇の地方巡察です。
これまでも行われていますが、在任中は近畿圏内がせいぜいでした。
その流れを変えたのは、明治天皇の時代。
広く天皇の威信を周知せしめる為、日本各地の行幸を数年に渡って繰り返し、天皇を頂点とした中央集権国家へと導きます。
しかし昭和天皇の行幸は、戦災で傷ついた国民の慰問と現状視察の為で、休みを惜しんで日本各地を行幸された点は、明治天皇の行幸とは異なります。
時代背景の大きな変化はありますが、これまで一定の官位が無いと会えない天皇が、自ら足を運んで人々の前に現れる事自体が、常識を覆す大転換でした。
天皇をお迎えした宮島は、他の地域同様に、宮島島民を上げて大歓迎でした。
神の住む島と古より伝わる宮島。
天皇陛下の目に、宮島はどう映ったのでしょうか。
明治天皇の肖像です。
近代国家への成長を広くアピールするために、積極的に断髪(江戸時代の風習であった、ちょんまげを切る事)を行い、慣れ親しんだ装束から洋服に改められたのでした。
昭和天皇が宮島を訪れた際、宿泊先の岩惣2階から、記者団の質問にお応えする様子です。
宮島では、随行員や島民とも気さくにお話をされながら過ごされました。
宮島でのひと時が、御多忙な陛下にとって、少しでもお寛ぎいただけたのなら幸甚です。
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