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    【宮島・桜だより2021】満開とお花見の文化

    更新 : 2021/4/5 22:24

    皆様こんにちは♪

    ついに本日25日、広島地域の桜が観測史上最速で満開となりました♪
    桜の満開宣言は、標本木が8割以上開花したした状態を指します。宮島でも、多くの桜が咲き誇っております!

    しかし、何故私達は、ここまで桜に魅了されるのでしょう。
    今日は日本人と桜の関わりについてお話します。

    桜を愛でる文化は奈良時代からあり、『万葉集』には桜を詠んだ歌が43首、梅を詠んだ歌が110首程度みられ、当時は梅の方が主役でした。
    これが平安時代初期の『古今和歌集』では、桜が70首に対し梅が18首と逆転。「花」が桜の別称として使われ、女性の美貌が桜に例えられるようになるのもこの頃からです。

    812年3月28日に嵯峨天皇が「花宴の節」を催され、花見の主役が桜となったと考えられています。その後、花見は平安貴族の間で急速に広まり、831年からは花見が宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられ、その様子は「源氏物語」にも描かれています。
    光源氏も、お花見したのでしょうか?

    鎌倉・室町時代には武士階級にも花見文化が広がり、『徒然草』では既に地方でも花見の宴が催されていたことが窺えます。

    安土桃山時代には、野外に出て大規模な花見が行われます。
    豊臣秀吉が行った吉野の花見(1594年)や醍醐の花見(1598年4月20日)は、一族や主要大名を集めて派手に行われました。

    花見が広く庶民に広まっていったのは江戸時代になってから。
    1720年に、八代将軍徳川吉宗が、浅草の墨田川堤や、飛鳥山に桜を植えて開放した事で、花見はたちまち庶民に広がります。

    明治に入ると、桜が植えられていた江戸の庭園や大名屋敷は次々と取り壊されて桜も焚き木とされ、絶滅の危機に瀕します。

    現状を憂いた東京駒込の植木職人・高木孫右衛門は、これらの桜を移植して守り抜き、1886年荒川堤の桜並木造成用に植栽します。その数は実に78種。

    荒川は花見の新名所として定着し、植栽された桜は各地の研究施設に移植されて全国へ広がり、今日へと繋がるのです。
    その時移植された代表が、ソメイヨシノでした。

    1912年、日米友好の印として、荒川の桜の苗木3000本がアメリカ合衆国の首都ワシントンに贈られ、ポトマック川畔に植栽されました。

    今年もまだコロナ禍で、どんちゃん騒ぎは自粛のムードですが、日本で初めに桜を愛でた平安貴族のように、今年の花見は静かに、そして雅に愛でたいものです!

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