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広島が「鯉の街」になったルーツを訪ねて【旭山神社】
更新 : 2021/5/27 6:27
皆様こんにちは。
5月は空高く泳ぐ、鯉のぼりの季節です。
鯉は広島の代名詞。
広島カープ、広島城(別名鯉城)、錦鯉の生産販売大手の小西養鯉場と、広島は恋…いや、鯉で溢れています。
今日は広島が鯉の街になるルーツを紹介します!
そのルーツがあるのは、広島駅から山陽本線で3駅先(宮島口からなら6駅先)の西広島。
そこから徒歩10分の所にある、「旭山神社(あさひやまじんじゃ)」。地元では「鯉の神社」と親しまれている社です。
本殿に息長帯比売命(神功皇后)、品陀和気命(応神天皇)、宗像三女神が祀られています。宗像三女神は、厳島神社の祭神でもあります。
旭山神社は、麓から146段の石段を登った先にあり、広島市街を一望できます。
旭山神社の創建は、厳島神社よりも遥かに古く、今もって不明です。
伝説によると、御祭神である神功(じんぐう)皇后が193年に船で九州に向かわれる途中、この地の岬にお登りになり休憩されたとの事。
出迎えたこの土地の県主(あがたぬし)が大きな鯉を献上したところ、神功皇后は「おお、こひ、こひ」と大変お喜びになりました。
それを機にこの地に社が創建され、以来「鯉村」というようになったのが、広島=鯉の始まりです。
時は大分下り、1555年に毛利元就がここへ必勝祈願に訪れます。その時、ちょうど朝日が昇ったため、元就は高揚し士気を高めたことから、この付近の山を旭山、社名を旭山八幡宮と名付けます。
勇気をもらった毛利元就は、決戦の地厳島(宮島)へと向かい、見事に厳島合戦で勝利して栄光の架け橋を渡り始めるのです。
孫の毛利輝元も、1589年広島城築城の際、場所決めの下見でここを訪れています。
広島は太田川の中州が成長して生まれたデルタです。
広島城築城当時の海岸線は、今の平和大通りから西広島駅周辺でした。
この辺りの海は「こいの浦」と呼ばれ、その中州に築城したので、「鯉城(りじょう)」とも言います。(諸説有り)
そして更に時が下り、戦後広島に生まれたプロ野球球団は「広島カープ」と名乗り、「広島=鯉」のイメージは、不動のものになります!
旭山神社は被爆を受けながらも現存じ、地域の氏神として親しまれています。
地名の鯉は「己斐」と漢字が変わりますが、今でも「こい」と呼びます。
鯉の街、広島のルーツ「旭山神社」
石段を登った先には、きっと「こい」の御利益があるはずです!
JR西広島駅は、現在橋上駅化に向けて工事中。手前の仮駅舎での営業です(仮駅舎でも2階建てで立派ですが)。南北自由通路に店舗も出店し、広島駅に次ぐ巨大な駅に生まれ変わる予定です。
完成は2023年春です。
宮島から平和記念公園へ行く場合、実は西広島で乗り換えた方が、便利で早いです。
南口のバス乗り場(1番)から出ている、広島バス(赤色のバス:通称赤バス)の「25:平和記念公園経由広島駅行き」に乗り換えると、約10分で平和記念公園の目の前に着きます。
西広島付近の店舗には、このような赤い旗が。
これは西広島商店連合会が、商店街活性化や地域コミュニティー強化の一環として作成したもの。
「鯉に恋して己斐の街」と書かれています。
西広島駅から歩くこと約10分。旭山神社の前に着きました。
赤い橋を渡って鳥居をくぐると、遥か長い石段が登場します。
頑張りましょう!
と、その前に。
鳥居の手前右手には、旭山神社の御由緒と、ズッコケ三人組の碑が。
ズッコケ三人組は、那須正幹原作の児童文学シリーズで、テレビアニメ化されています。
那須正幹氏の故郷がこの辺り(西区己斐本町)で、ズッコケ三人組の舞台も西広島周辺がモデルです。
旭山神社は、花山神社として登場します。
かなり長い上り坂。
焦らずゆっくり行きましょう♪
右手にレールらしきものがありますが、何かを運ぶのに使うのでしょうか?
146段登り切り、ようやく山頂の本殿に着きました。
流石鯉の神社。お守りやお札も鯉だらけ(笑)
本殿を覗くと、天井近くにこのような絵が。
これは神功(じんぐう)皇后が、この土地の県主(あがたぬし)から大きな鯉を献され、「おお、こひ、こひ」とお喜びになった時の様子を描いています。
旭山神社からの眺望は抜群。眼下に西広島駅を見ながら、遠く広島市中心部が一望できます。
ここからの朝日はさぞかし美しいでしょうね。
毛利元就が手を合わせて拝んだのも分かる気がします。
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