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【日本三景宮島】〜世界遺産厳島〜を望む「源泉天然温泉」絶景温宿

神の湯
宮島口桟橋よりフェリーで10分→桟橋から徒歩にて厳島神社方面へ約10分※タクシーのご利用は8:00〜18:00

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    【宮島を歩く】魚之棚町 〜古の面影を探して〜

    更新 : 2021/5/20 0:53

    皆様こんにちは。

    私どもの住所は、「〒739-0515 広島県廿日市市宮島町634」です。
    荷物を事前にお送りになる場合は、上記住所宛てにお送りください。
    一方、私どもの公式ホームページに記載の住所は、「〒739-0515広島県廿日市市宮島町魚之棚町634」です。

    ん?魚之棚町(うおのたなちょう)??

    実は宮島島内には40近くの町名があり、魚之棚町もその一つです。
    通りの電柱などに町名の記載があります。
    宮島町から廿日市市に合併の際、宮島町と番地だけでも届くようになりました。
    ただ、郵便番号は町名により異なるので、気をつけなければいけません。

    「魚之棚」って、何やら美味しそうな名前に聞こえますが、そう感じられたそこの貴方。

    正解です!

    ここは昔、魚を売買していた街なのです。
    魚がたくさん並んでいる棚があるから「魚之棚町」なのです。

    魚之棚町は範囲が広く、私共のホテルを中心に、山側は「うぐいす道」の辺りまで、海側は町家通りまでになります。
    ですが、海岸線は町家通りのさらに先・・・
    なんで、この山の麓で魚が商いされていたのでしょうか?

    それは「海岸側が埋め立てられた」からです。

    現在の宮島市街地は、殆どが埋め立てで広がった土地です。
    表参道商店街は江戸時代後期に、町家通りは江戸時代初期に、それぞれ埋め立てられました。
    戦国時代以前の海岸線は、かなりホテルに近かったのです。

    宮島桟橋近くの要害山(宮尾城跡)も、千畳閣と五重塔がある塔の岡も、海に面した山でした。その間は、広大な入江であったのです。
    戦国時代の1555年に、毛利元就と陶晴賢の厳島合戦を描いた絵図(毛利家文書・芸州合戦絵図)にも描かれています。

    宮島は、古より瀬戸内の交通の要所。
    そして、広島・瀬戸内地方の経済の中心地でもあったのです。
    宮島には、商いの為東西に行き交う様々な船が寄港しました。
    地元の食材が関西や九州方面に、その逆パターンも多くあった事でしょう。

    町家通りには、「北之町東表(きたのちょうひがしおもて)」という長い町名があります。
    「表」と付くのは、かつて町家通りが長く宮島のメインストリートであった名残です。

    現在の姿とは少し違う、宮島を想像してみるのも楽しいかもしれません。
    皆様も街歩きの際は、是非町名の看板にも注目して見て下さい。
    以上、今回も殆ど歩いていない、【宮島を歩く】でした(笑)

    宮島、魚之棚町をGoogle Mapで検索してみました。
    結構広範囲です。
    現在は殆どが住宅地と山ですが、昔の海岸線はこの付近であったと推察されます。

    魚之棚町の町名看板です。魚の絵があしらわれているのがユニーク。
    奥に見えるのが、リブマックスリゾート安芸宮島です。

    町家通り沿いにある、お魚屋さん。
    昔の面影を今に伝えているようです。

    先週もご紹介した、1555年の厳島合戦の様子を描いた絵図(毛利家文庫・芸州厳島御一戦之図)です。
    奥に描かれている宮島の中央やや左、石垣のある山が、今の要害山。
    厳島神社左の五重塔のある山が塔の岡です。
    その間に多数の軍船が係留された入り江が描かれています。
    これが今の表参道商店街と町家通りです。

    こちらは町家通りにある町名看板。
    宮島散歩で是非探して見て下さい♪

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