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リブマックスリゾート安芸宮島のお知らせ・ブログ
広島城 広島の今昔を見守るシンボル
更新 : 2021/8/5 22:22
こんばんは。
リブマックスリゾート安芸宮島です。
明日8月6日は、広島の原爆の日です。
原爆は広島のあらゆる物や人々の営みを、一瞬で消しされました。
その中に、広島開府以来のシンボルも含まれていました。
広島城です。
広島城は、毛利輝元が山間部の吉田郡山城から拠点を移して始まります。
広島城は砂洲に建てられた平城。
豊臣秀吉は、水攻めに弱いと酷評したそうですが、海に面して海運拠点となり得る広島城は。重要視されます。
後に「日本三大平城」「日本100名城」にも選ばれます。
毛利輝元が関ヶ原の戦いで徳川家康に破れた後、福島正則や浅野長晟と城主は変われど、広島城は幕府の重要拠点として、益々発展します。
幕末には、幕府と毛利長州藩との四境戦争(第2次長州征伐)の前線基地に広島城が選ばれますが、当の広島藩は先鋒辞退する異常事態となります。
戦争は、徳川幕府14代将軍・家茂の死で和睦し終戦。
その2年後に、大政奉還で江戸時代が終わります。
明治の広島城は、以前ブログでご紹介した通り、本丸跡地に大本営が設けられ、明治天皇をお迎えして臨時首都となります。
国会も広島で開会されました。
更に周辺や市内の至るところに陸軍の施設が設けられ、鉄道や海運の拠点となり、国内有数の軍都となります。
そして1945年8月6日。
広島に原爆が投下され、広島城も被爆で倒壊。
開府以来、江戸から昭和へと広島を見守ってきたシンボルも、爆風には勝てませんでした。
天守の他、陸軍の施設も一瞬で消失します。
しかし、広島城の復活は直ぐでした。
被爆から約12年後の1958年。広島城天守は、鉄筋コンクリートとして外観復興を果たし、再び広島市民の前に現れます。
同年開かれた「広島復興大博覧会」の第三会場として、日本中に広島の復興を印象づけるのでした。
あれから50年。
広島城天守閣に、老朽化による耐震強度の懸念が生じます。
そこで広島市では、天守閣を木造に建て替える計画を勧めております。
広島城の資料は比較的多く残っているので設計は容易ですが、費用86億円(耐震補強なら1億円強)の費用捻出が課題です。
今でも広島市は、広島駅再開発、サッカースタジアム建設等で莫大な資金を捻出しています。
広島市のシンボル・広島城が、どのような形で受け継がれるのか。
観光と市民生活の両面から、納得出来る着地点を期待したいです。
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