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アパホテル〈八戸中央〉のお知らせ・ブログ
八戸に河童がいた?
更新 : 2025/4/11 16:25
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
寒い日が続いたと思ったら暖かくなったりして体調を崩しておりませんか?
先日フジTV『世界なんだコレ!?ミステリー』にて八戸での河童の目撃者が現れました、
TVでおなじみの十日市秀悦氏が少年の頃に、田向の神社のあたりの沼で釣りをしていたところ、ガサガサッと後ろのほうで音がしたと思ったら、すごい勢いで沼に飛び込んだとのことです。その時に下半身しか見えてなくて足に水かきがあったとのことでした。
皆さん、またホラ話だとお思いでしょうが、「メドツ注意!」の看板が八戸博物館の常設展にて展示されています。ちなみに「メドツ」とは方言で河童のことでした。わたしも始めて知りました、
あと、日光の東照宮を建てた左甚五郎という名人の大工が八戸櫛引八幡宮を建てた際、その方が柱の長さを間違えて余分な所へ、穴をあけてヌキを通してしまいました。間違いに気づいた大工がその柱の部分を切り取って川に捨てようとしました。その時に切り取られた柱が「捨てないでくれ!」と懇願しましたが「何を言うか。ケツでも食え」と川に投げ捨てました。その柱はその川のメドツになったとのことです。ケツを食えと言われたので川で人や馬の尻を狙うようになったのです。
悪さをするのに困った村人が八幡宮に祈願しますと、どこともなく鷹が現れてメドツを懲らしめたのです。逃げようとするメドツを押さえつける鷹により、頭部は禿げたと言われます。
その押さえられている様子が神社の本殿の脇障子に彫刻されておりますが、肉眼では距離があるのでなかなか見つけられませんが近くに説明文と写真が掲示してありますのでじっくりとご覧ください。
余談ですが直木賞作家の中島京子著『かたづの!』には左甚五郎の削ったかんなくが川に落ちて河童となり、岩手県の遠野市に移封された際に、当主とともに一部の河童が遠野まで行って民話となったとの記述があります。ですから有名な遠野の河童は実は八戸の河童かもしれません。
どうです、八戸の河童と遠野の河童は体が緑色で顔が赤いとのことですので、一概にただの民話にしては面白い共通点がありました。
歴史って面白いですね!
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