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    横濱散策 Vo.2 生麦事件

    更新 : 2015/8/3 12:55

    まるで日本列島がサウナのロウリュのような熱波に見舞われていますが、皆様お元気でしょうか。
    今回は事件です。
    古い記憶で不確かですが、たぶん中学校の歴史の教科書に出てくるこの事件は、現在の横浜市鶴見区で起こりました。
    事件のあらましは、幕末、薩摩藩士が異国の英国人を無礼者として切り捨てるという事件です。

    1862年8月21日、江戸からの帰途、島津久光一行が神奈川宿の手前の生麦村に差し掛かったときに事件は起こりました。横浜在住のイギリス人商人と友人の2名、それに香港から旅行に来ていた夫人の計4名は、川崎大師を見物するため騎馬で東海道を東へ向かっていました。生麦村で久光の行列に出会った彼らは、「馬から下りて道端によけよ」という随行者たちの言葉や手振りが理解できず、そのまますれ違いながら進んでいきました。久光の駕籠の近くまで来た時、馬の取り回しで行列が大混乱となってしまいました。
    そして乗っていた馬が横向きとなって行列を妨げてしまい、これを久光に対する無礼暴挙とみなした薩摩藩士たちによって斬りつけられたというものです。(1名死亡、2名重傷)

    当時の日本では無礼者として当然の措置だったのですが、この問題は国際問題となりました。

    明けて1863年6月22日、英国は薩摩藩に賠償を求めて、横浜から艦船7隻を鹿児島へ派遣し、生麦事件犯人の処罰と賠償金2万5000ポンドを要求する国書を薩摩側に渡しました。これに対し薩摩藩は英国の要求を拒否、英国艦船へ砲撃を開始、薩英戦争が始まりました。この戦いから攘夷の不毛を確信した薩摩藩は、その後英国に接近し、積極的に西洋技術を導入し、開国へと方針転換することとなりました。一方、薩摩藩が予想外の戦力を持っていることを知った英国側も、幕府を後押ししているフランスとの対抗上、薩摩を支援するようになり、結果として、明治維新が大きく前進する事となった事件でした。

    正しい戦争はありませんが、この時代、一つの県が一国(しかも大国)を相手に戦いを始めるという薩摩の行動には驚きます。長州も同様の事をしますが、昔の藩はまさに国だったわけですね。

    現在は生麦駅前に事件碑が残っております。その後の日本外交に大きな影響を与えた生麦事件の場所までは、ホテルから京浜急行 生麦駅まで乗換なしで20分です。 T.S
                                             

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