横濱散策 Vol.3 横浜外人墓地
更新 : 2015/11/10 18:06
横浜観光スポットの一つであります外人墓地、その起源はペリー来航までさかのぼります。
1853年ペリーが黒船で横須賀久里浜に上陸した翌年、黒船ミシシッピ号の船上で二等兵が転落して死亡するという事故が起きました。日米会談が始まるとペリー提督は、遠い異国に葬られる外国人のために、故郷に通じる海が見える場所に墓地の提供を要求してきました。これに対し日本側は、水兵の亡骸を浦賀へ運び、長崎の外国人墓地へ移送するよう手配すると伝えました。しかし、ペリーは即座に断り、横須賀の夏島への埋葬を主張するのですが、日本側はこれに応じず、横浜にある日本寺院の附属地を提供することになります。ペリーの意向を受け、横浜村の増徳院の境内を提供することとなり、これが後の外人墓地となりました。
後年、外人墓地が異国情緒な横浜の観光地となろうとはペリーさんも想像しなかったでしょうね。ちなみに、この二等兵の遺体は3ヵ月後に埋葬地から掘り起こされ伊豆下田にある玉泉寺に運ばれています。
外人墓地内部は非公開ですが、3月から12月までの土、日、祝日は有料で公開されています。近くには港の見える丘公園や、山手イタリヤ山庭園など往年のデートスポットが点在し、見どころがいっぱいです。最近の横浜観光はみなとみらい一辺倒ですが、ぜひ歴史ある元町から山手周辺も散策してほしいものです。
山手といえば、ユーミンの楽曲 『海を見ていた午後』 の舞台にもなった山手のドルフィンがあります。坂道を上り、ドルフィンでソーダ水を注文し、貨物船をソーダ水越しに眺めようとした遠い記憶がよみがえってきました。最寄の駅は根岸駅なのに、なぜか山手の名前を使ったあの歌、紙ナプキンが思いのほかにじまなかったインクの文字、三浦岬を二人で探した午後、 あの時 テーブルの向こうにいた女性は妻ではない事だけは確かなのですが、そして・・・ エー 突然ですが本題から外れ、墓穴を掘りそうなので今回はここで終わりにします。 T.S
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