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★八戸義経北行伝説★
更新 : 2018/6/20 23:44
みんさんいかがお過ごしですか?
今回は八戸に伝わる伝説をご紹介いたします♪
題して「源義経北行伝説」です♪
平安末期、時の権力の中枢を担った平氏。その平氏を打倒した源氏最大の功労者・源九郎義経。しかし彼は兄・源頼朝と対立し、奥州藤原氏を頼って平泉に落ち延びたものの、頼朝の圧力によりその追求からその地で自刃して果てたと云われております。
その後の彼は伝説となって語り継がれていきます。
からくも難を逃れた彼は、平泉より密かに脱出し、海路八戸から北海道、樺太、モンゴルと渡り、成吉思汗(チンギス・ハーン)になったといいいます。
それが今でも語り継がれる「義経北行伝説」です。
この八戸にも、義経が立ち寄ったといわれる場所が古くから伝えられており、800年以上経った現在でも市民に受け継がれております。
今回は八戸に残る義経伝説を簡単ではございますがご紹介します♪
1、熊野神社・・気仙の港より海路を北上し、種差海岸に上陸し休憩または八戸上陸の地と伝わります。
2、源氏囲内(げんじかこいない)・・白銀の村に一時仮住居を定めることにしたといいます。「源氏囲内」という地名は「源氏の屋敷」という意味だったといわれます。
3、舘越(たてごし)・・海路を北上し新井田川をさかのぼり最初に居を構えたのがこの「舘越」といわれております。
4、高館(たかだて)・・舘越に一年あまり住んだのち利便性の観点からこの地に越すことをきめたといわれております。
5、小田八幡宮・・高館にあるこの宮に義経が持参した毘沙門天の像を八幡の神に合わせ奉ったともいわれます。
6、藤ヶ森稲荷神社・・京の都にある日ごろ信仰している藤ヶ森稲荷の土を一握り持参させ、その土を埋めさせたところに作ったお宮が「藤ヶ森神社」といいます。
7、おがみ神社・・元久年間(1205)義経婦人が亡くなると京ヶ崎に葬り、報霊神社とあがめられました。おがみ神社がその場所であると伝わり、義経婦人が使用したと伝わる手鏡と八戸義経伝説の記録「類家藤ヶ森稲荷大明神縁起」が所蔵されております。
・・まだまだ八戸には義経にまつわる伝説が残っております。
平安末期の悲劇のヒーローは「判官贔屓」として広く日本人の心に根強くのこっております。
八戸におこしの際は是非、義経北行伝説を探ってみてはいかがでしょうか。。♪