元弘帝御着船所の碑
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英雄譚 - 元弘帝御着船所の碑の口コミ
岡山ツウ しちのすけさん 男性/50代
- カップル・夫婦
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元弘帝は後醍醐天皇をさす
by しちのすけさん(2017年11月撮影)
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場所は旧国道沿いで、御来屋港の「御腰掛の岩」とは指呼の間にある。上陸した天皇はここにかくまわれたが、その環境がまるでニワトリのねぐらのようだったことから、この家に「塒(ねぐら)」の名字を下賜した。石碑がある場所は、この家の前である。石碑は天皇をかくまった功をたたえて鳥取藩が建立した。この付近には天皇ゆかりの地名、名字があり、歴史ロマンを掻き立てる要素となっている。
- 行った時期:2017年11月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月4日
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安政5年
旧街道の面した民家の前に「元弘帝御着船所」の碑が建てられています。碑文には「安政5年」とありました。幕末、尊王の機運の高まりの中で建立されたのでしょう。
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- 行った時期:2019年9月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2021年4月29日
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立派な家の前に「元弘帝着船所」と刻まれた石碑が建っています
隠岐島を脱出した後醍醐天皇が本州大山町に上陸したとされる港は説が2つあるそうです。「後醍醐天皇お腰掛けの岩」のあるここ大山町御来屋港と、もう少し東に位置する大山町岡にある逢坂港です。御来屋港の方では隠岐の島から脱走し上陸した後醍醐天皇をかくまった家の前に、「元弘帝着船所」と刻まれた石碑が建っています。この石碑は天皇をかくまった功をたたえて鳥取藩が建立したもののようです。立派な家で昔ながらの造りがとても印象的で、今でも現役の住家のようででした。一方、逢坂港の方は、寂しい田園地帯の丘の上に「後醍醐天皇御着船地」と刻まれた石碑が建っていました。
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- 行った時期:2018年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年8月24日
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納屋に板戸を立ててしばらくの間天皇をかくまったとされる家の前に建つ石碑
鳥取県の西伯郡大山町御来屋漁港にある「後醍醐天皇お腰掛けの岩」を見学後、すぐ南の御来屋街道通りにありましたので見学しました。柵で囲まれた石碑が建っていて、背後の家が元弘帝こと後醍醐天皇が御来屋に上陸されたとき、納屋に板戸を立ててしばらくの間天皇をかくまったとされる家のようです。鳥取藩がその功を賞して建てたそうです。
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- 行った時期:2018年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年8月22日
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後醍醐天皇を匿った家の前にある石碑
御来屋漁港の「後醍醐天皇御腰掛の岩」から路地を一筋南に下ると、民家の玄関先に「元弘帝御着船所」と書かれた白柱板と石碑がありました。元弘帝とは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)のことだそうです。後醍醐天皇が隠岐の島から逃れて名和の湊にたどり着いた際、戸屋助右衛門が自分の家に天皇を迎え、鶏のねぐら(塒)に偽装してここにしばらくの間、匿ったそうでます。後年、その功を賞して鳥取藩が1858年に彼の家の前にこの碑を建てたそうです。ただ、石に刻まれている文字は達筆過ぎて私には解読できませんでした。
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- 行った時期:2018年7月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年8月21日
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興味がわきました
元弘帝御着船所の碑に行きました。後醍醐天皇が隠岐の島からの逃亡中に御来屋に来られた時、天皇が腰掛けられた岩を呼んだそうです。興味がわきました。
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- 行った時期:2018年5月
- 人数:2人
- 投稿日:2018年7月14日
れいすさん