沖縄陸軍病院南風原壕群20号
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沖縄陸軍病院南風原壕群20号の口コミ一覧
1 - 10件 (全12件中)
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- 一人
南風原文化センターで申し込むと見学できます。壕の外で安全管理と史跡の保護に関する注意事項の説明を受け、ヘルメットと懐中電灯を受け取り壕内に入ります。壕から発掘された医薬品の瓶や砲弾の歯返答の遺物などを見ながらガイドさんの説明を受け当時の状況について勉強することができます。- 行った時期:2022年3月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2023年11月5日
アートツウ のりゆきさん 男性/50代
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- カップル・夫婦
当時のままに残されている部分が多くて、リアルさがあり、震えるほどでした。ヘルメットの着用や懐中電灯の形態などの約束があります。- 行った時期:2017年6月
- 投稿日:2019年2月21日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- 一人
ガイドさんの案内で入豪しました。当時の厳しい環境には驚愕です。今の平和と当時の環境の激しいギャップに、戦争を繰り返してはならないと強く思います。- 行った時期:2018年6月9日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年6月15日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
この口コミは参考になりましたか?0はい
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真っ暗な、陸軍病院壕跡を、ガイドの解説を聞きながら、見学する
- 一人
南風原文化センターで展示された当時の陸軍病院壕の状況について、ガイドの方の話を聞きながら見学できます。当時の思いを知ろうと思い、参加しましたが、真っ暗な壕は、ガイドの方の解説を聞きながらでも、早く出たいと思う、重い見学コースです。- 行った時期:2018年1月20日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年1月29日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
この口コミは参考になりましたか?1はい
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- カップル・夫婦
沖縄戦の時に病院壕として使われていた場所です。当時の医療器具なども見ることが出来ます。平和学習としてぜひ訪れたい場所です。- 行った時期:2016年8月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年11月20日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- カップル・夫婦
名前の通り…ココは、旧日本軍の病院壕(人工)です。 ボランティアの方が付き、先ずは、壕周りの案内をされ、いよいよ壕内部へ、その前に、小さな小瓶の中の臭いを嗅ぐ事が出来ます…が、何を嗅がされるのか?と言うと…戦時中当時のココへ担ぎ込まれた血だらけの負傷兵、消毒液、の臭いが入り混じった… 臭いです!! 感想は、やはり血なまぐさい臭いと昔の病院の消毒液の臭いでした(>_<) そして、内部に入ると、いきなり入口付近にガラス瓶やら医療用具(アンプル)等が置いてあります。 更に、焼けただれて、すすで黒くなってる部分も見受けられました(>_<) 壕のちょうど真ん中辺りに手術室がありましたが、あの真っ暗闇の中、蝋燭の灯りだけで手術(薬も医療器具も揃って無いので、腕や足の切断のみ)をしたのかと思うと、いたたまれません(T_T) ココで亡くなられた全ての方々のご冥福を祈ります( ー人ー)|||- 行った時期:2016年5月
- 混雑具合:やや空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2016年10月16日
この口コミは参考になりましたか?2はい -
- 一人
第32軍の陸軍野戦病院が那覇市内で活動していたものの十・十空襲で焼け出され南風原国民学校校舎に移転、現在の壕群がある一帯に掘られた約30もの横穴壕に米軍の艦砲射撃が始まった3月下旬、南風原国民学校から各壕へと移動し、南風原陸軍病院としての歴史が始まります。広池文吉病院長以下軍医、看護婦、衛生兵約350名に加えて3月24日にはひめゆり学徒222名が引率教師18名に引き連れられて来院、学徒看護要員として動員されます。
4月1日の米軍上陸後激増した外傷患者に対応するために診療科の編成と配属により後々学徒の犠牲者数を大きく左右することになることは、その当時わからなかったこととは言え、無情な運命を感じずにはいられません。そして5月下旬軍司令部より南部への撤退命令が出たため、南風原病院も撤退することになります。ここで重症患者には青酸カリや手榴弾が渡され、自決を強要されたとの証言もあります。また置き去りにされた重症患者の中には、撤退する部隊を追うように這って壕を出た者もいたそうですが、砲弾が飛び交う中泥まみれになって途中でこと切れたものも多々いたそうです。
戦争が終わり病院としての役割を終えたこの南風原陸軍病院壕ですが、南風原町により平成2(1990)年第二次世界大戦の戦跡として初めて文化財に指定されました。その後平成19(2007)年には壕の中でも保存状況が良かった第20号と第24号が一般に公開されました。しかし残念ながら公開による壕内部を取り巻く環境の変化は想像以上に大きく、24号は土砂の流入により閉鎖。20号でも火炎放射器の跡である焼け焦げた壕内部のはく離や患者が刻んだとされる文字のはく離の危険性など、その処置のため公開当時の様子が見学できないところもあります。ポリウレタンで補強などもされているものの公開を始めて8年の月日で変わってしまったことは、戦争の傷跡を残す場所を体験できる体験学習≠フ場を提供してもらえることのありがたさを感じると同時にそのギャップに心が痛むところもあります。その現状を目の当たりにしながら入壕体験をさせて頂き、ガイドさんが語ってくれた「可能な限り公開したい」という言葉の重みを改めて感じました。入壕体験は予約制で一組20分程です。その時間には短過ぎる≠ニも思いましたが、壕保全の考えからそのようになっていることをし知り、納得しました。- 行った時期:2016年2月29日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 投稿日:2016年8月6日
この口コミは参考になりましたか?8はい -
- 家族
最初に南風原文化センターで資料をみてからがいいと思います。壕の見学は少人数であれば電話で当日でも大丈夫なようです。
ボランティアの方がついて、説明をききながら壕の中を見ることができます。
自然壕ではないので、見学するときにそれほど汚れたりすることはありません。雨ふりだと床は泥っぽくなると思います。
他のガマといわれるところは、危険なところが多いので小さい子どもはつれて行くことが難しいですが、
この病院壕であれば平坦な道のりなので、幼稚園〜小学生でも暗闇が平気であれば平和学習に最適です。
(ヘルメットと懐中電灯はかしてもらえます)
本土からの観光でも、ガマに入るよりは見学しやすい場所なので、お友達を連れて行くことが多い学習場所です。
ここを見学すれば、ひめゆりの資料館での体験談ももっと身に染みて感じることができると思います。
夏場は蚊が多い場所なので、虫よけスプレーをしてから行くといいと思います。- 行った時期:2014年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1〜2時間
- 家族の内訳:お子様、配偶者、その他
- 子どもの年齢:2〜3歳、7〜12歳
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2015年4月10日
この口コミは参考になりましたか?4はい