メタボ大王さんの茨城県〜東京都の旅行記

古代東国の氏族を追って〜武蔵・下総・常陸の旅
- 1日目2017年11月2日(木)
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11:00-12:00
高麗神社には道路沿いに大きな一の鳥居があり、駐車場からだと二の鳥居から入ることになる。丘陵に沿って社殿が並んでいる。丘陵の上には水天宮が祀られている。先日は天皇皇后両陛下がご訪問された場所。菊花展も開催中。
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11:00-12:00
「続日本紀」の「大宝3(703)年 従五位下高麗若光に王姓を賜う 霊亀2(716)年駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7国から高麗人1799人を武蔵国に移し、高麗郡を置く」との内容。上部のマークは「八咫烏(やたがらす)」 らしい。古事記、日本書紀に出てくるが、高句麗の古墳にもあるようだ。
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11:00-12:00
日高市が作成した高麗神社由来。
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11:00-12:00
神門にかかる額「高句麗神社」と小さい「句」が入っている。
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11:00-12:00
高麗神社の末社として丘陵の頂上に水天宮が祀られている。御祭神は源平の合戦で壇ノ浦で入水された安徳天皇である。
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11:00-12:00
高麗神社から階段で山を登ると10分位で頂上となり水天宮がある。樹木に囲われ眺望はなく、暗い中でひっそり佇んでいる。位置的には高麗神社の奥宮的な場所だ。
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11:00-12:00
歴史ある宮司高麗家の住居にしては質素
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12:00-13:00
聖天院縁起によると「高句麗王若光の菩提寺として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751年)に創建」とのこと。
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12:00-13:00
山門(雷門)。浅草寺と同じ雷門。ここを入り右手に若光王陵。その上の中門で拝観料大人300円を払う。阿弥陀堂、本堂、鐘楼、慰霊塔などがある。本堂前が見晴台。
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12:00-13:00
山門をくぐって右手に高句麗王若光の陵墓がある。元韓国国務院総理金鍾泌氏の揮毫。本物の墓より立派な石碑。
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12:00-13:00
王陵入口。門柱が立派だ。
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12:00-13:00
「高麗王廟」との掲示。左から書かれている。想像していたより以外と小さいものだ。
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12:00-13:00
王墓石。石灰岩のようであり、削られたのか元の形がわからない。高句麗が栄えていた現在の中国集安付近では積石塚古墳があり日本各地にもあるが、この地に積石塚はないよう。冬も温暖で石の墓を作る必要がなかったからか。関東平野で石がなかったからか。若光は白髭だったことから白髭明神とも言われ、白髭神社の由来とも。
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12:00-13:00
高麗神社は参詣者も多かったがここは少ない。拝観料300円を取るためか。本堂からは眺めがいい。若光王像などもある。寺の紋章は16弁菊。江戸幕府は葵紋とは逆に16弁菊の使用を認めたので、全国でもあるらしい。本堂の右手に造成したときに出てきた石灰岩を雪山に見立てている。若光王陵の墓石も石灰岩かもしれない。
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13:00-14:00
曼殊沙華の時期をとうに過ぎたので混雑はない。河原で遊ぶ家族連れがいる。高麗川が蛇行する形が韓国安東河回村の洛東江を思い出した。
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14:00-15:00
川越観光で駐車場を考えた時、公共のものとして本丸御殿前を考えた。徳川幕府を支えた重臣がいた川越の栄華を伝える御殿。小学生がきていたが誇りだろう。入館料100円
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14:00-15:00
縄文時代から現代まで、盛りだくさんの資料がわかり易く展示してある。川越がいかに発展してきたか、その歴史がわかる。家康を神格化した天海大僧正の役割が大きかったことがわかった。入館料200円
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14:00-15:00
企画展示室で特別展、常設展示室と地元出身の洋画家相原求一朗記念室がある。常設展示室には難波田龍起、古茂田守介、猪熊弦一郎、北川民次などがある。常設展200円
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14:00-15:00
中林忠良は20年以上前初めて画廊で出会い、植物が朽ちて行くモノトーンの暗い作品に惹かれた。今回、ビデオも見たが、銅版画制作の薬品で体を壊したこと、また、東日本大震災で制作ができなくなる程ショックを受けたことなど話されていたが、生物のゆっくり朽ちる姿を凝視してきた画家にとって一気に朽ちる自然の脅威を前にした無力感があったのか。特別展500円
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15:00-16:00
お食事処 おおわだ
お腹が空いていたので店に入る。といきなり「豚丼は終わり」。焼きそばを注文。紙コップのお茶。
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15:00-16:00
甘味処でみたらしだんごを1本注文したところ、「スリーハンドレッドエン」と請求されたので、300円を払い「サンキュー」と答えた。
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15:00-16:00
ここも外国人であふれかえっていた。「小江戸」としての川越のシンボルは時の鐘。全国でも古いものを大切に残した所だけが見直されている。
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18:00-18:00
このホテルは駐車場があり予約順で確約されるので安心だ。コスパ、ロケーションもいい。
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19:00-20:00
宝蔵門。夜来たのは初めて。浅草寺の縁起は二人の漁師が網にかかった人型の像を持ち帰り、土師氏が観音菩薩像だとし僧となり自宅を寺にして供養護持したとのこと。拾ってくる縁起は信州の善光寺と同じよう。本尊は百済仏のようだがいずれも秘仏。渡来人との関係も濃厚だ。高麗神社との関係を指摘する説も。近くには白髭神社も。
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19:00-20:00
本堂と五重塔
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19:00-20:00
宝蔵門と五重塔
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18:00-19:00
浅草寺はお参りするが、直ぐ横にある神社にはお参りしたことがなかった。三社様といわれ浅草寺縁起の三人を祀ったもの。
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19:00-21:00
六文銭 浅草
台東区
「六文銭」の看板に誘われて入る。もんじゃ焼き2種類、お好み焼き1種を依頼。1か月前中国から来たという店員さんが、かいがいしく作ってくれる。日本語も流暢。
- 2日目2017年11月3日(金)
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13:00-14:00
午前中都内で展示場見学。午後出発、東関東自動車道で佐原香取IC。駐車場から参道商店街を抜けると「香取神宮」の立派な社号標が目に付く。「延喜式」神名帳(平安時代の官社一覧)では「神宮」と記されたのは、大神宮(伊勢神宮内宮)、鹿島神宮、香取神宮の3社のみ。祭神は「経津主大神」(ふつぬしのおおかみ)。鹿島・諏訪と共に軍神でもある。
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13:00-14:00
「海獣葡萄鏡」(国宝)は、中国唐時代の作品で奈良の正倉院及び大山祇神社にある御鏡と共に日本三名鏡とされている。東国を支配していた物部氏の偉功を示している。
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14:00-15:00
旧参道を上ると最初に右手にあるのが奥宮だ。通常、一番奥にあってよさそうだが、一番手前にある。経津主大神の荒魂を祀る。物部氏の始祖だ。現在の社殿は昭和48年伊勢神宮遷宮の折りの古材によるものとのこと。藤原氏が物部氏を凌駕したことを示しているのではないか。
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15:00-16:00
鹿島神宮の社号標と大鳥居。鹿島神宮は太平洋の鹿島灘に東の一之鳥居、西の北浦にも一之鳥居がある。太陽が昇る方向と沈む方向だが、両者を航行する船からも参拝できるだろう。
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15:00-16:00
鹿といえば神獣としている奈良の春日大社が有名であるが、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神が白い鹿に乗って春日大社に行ったとされている。しかし、飛鳥に生まれ談山神社に祭られる藤原鎌足の先祖がこの地にいたと考えるより、東国支配の拠点として鹿島神宮を建てたと考える方が自然だ。関東では藤原(中臣)氏の足跡がみられない。
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15:00-16:00
参道を歩くと絨毯のように柔らかい。砂地のようだが、湿気もあり、かといってぬかるんだりしていない。鬱蒼とした森が湿気を醸している。この切り株は樹齢600年の木だったもので大鳥居に使用されたらしい。太平洋と北浦に囲まれた砂地のような場所でこれだけの森が残っているのは奇跡のようだ。
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15:00-16:00
1日400kl以上の清水が湧出する御手洗池。広大な鹿島の森が雨を溜め、ここに湧水するのだろうか。古代、広大な香取の海があったとされる霞ケ浦一帯。その頃から鹿島・香取神宮の場所には森が形成されていたのかも。この池の傍に出雲の神様である「大国社」がある。
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16:00-17:00
東の一之鳥居に昇った太陽が大鳥居に沈む。その先には西の一之鳥居があるのか。天照大神を祀る伊勢神宮が一番東にあたる鹿島に鹿島神宮を作ったとの話しがある。また、春日大社の由来をみると鹿島・香取神宮を上にみており、藤原氏=中臣氏の出身が鹿島で大和を支えた藤原氏の出自を奉るとも言われる。倭(大和)から東国までを支配していた物部氏を蘇我氏・聖徳太子が討ったと日本書紀に記されているが、藤原氏が支配したことを鹿島神宮が示してくれている。夕陽の行く先は伊勢神宮である。
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17:00-18:00
割烹旅館 銚子屋
旅館の部屋から霞ケ浦の夕焼けを見る。日本100景。もう少し早く着けば夕日が沈むところが見えた。夜釣りをしながら車中泊する車が何台も堤防に止まっていた。割烹旅館だけあり料理は良かった。鯉の甘露煮がでたが鯉釣りが好きでよく鯉こくを作ってくれた亡父を思い出した。
- 3日目2017年11月4日(土)
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08:00-09:00
割烹旅館 銚子屋
潮来ブームの頃は客も多かったらしい。建物は古いが、数寄屋造りの部屋は往時を伺わせた。夕日と霞ケ浦が御馳走だと話していたが、朝食も美味かった。
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09:00-10:00
ほっかほかの作り立ての餅、おにぎり、弁当などが並んでいる。コンビニやスーパーの均一された冷たいものを見ているので、不揃いなものが新鮮で美味そうだ。炊き込み御飯のおにぎりなどを購入。これが、時間がなく運転しながらの昼食になろうとは。
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10:00-11:00
古書武雄書店
小江戸:佐原を見るために「きめらパーキング」に駐車した。その近くの古本屋に寄る。観光地とは思われない専門書からマニアックなものもあり、日本石仏協会初代会長で埼玉県立博物館館長大護八郎氏の手書きの旅行記「韓国の石仏」を300円で購入。今回の旅での一番の収穫かもしれない。
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10:00-11:00
伊能忠敬について知っていても、その労苦はこの記念館に来なければわからなかった。当館の資料2345点が平成22年国宝に指定された理由がわかる。忠敬は17歳で伊能家の婿養子となり36歳で名主、49歳まで稼業を盛り立て隠居。50歳で江戸へ出て天文方に入門、10次の測量を行い73歳で亡くなる。その3年後に弟子達により大日本沿海輿地全図が完成。忠敬は望遠鏡で月のクレーターや木星の衛星、土星の輪などを見ていたばかりか、六分儀等を使って経度、緯度の観測をした。現在の人工衛星が宇宙から映した日本と伊能達が作成した日本地図がほぼ一致することが驚きだ。その正確性などについて疑義を向ける話しもあるが、第二の人生をどう生きるか、重要な示唆を受けた気がした。
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11:00-12:00
小野川に面した店舗と正門は忠敬が婿養子に入る以前の建物で、書院は忠敬が設計したと伝えられる。養子先の財産を増やしたのだから、もっと豪勢な家を建ててもよさそうだが、池や築山を作るわけでもなく無駄のない実用的な家だ。
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11:00-12:00
川越と同様「小江戸」といわれた佐原の繁栄を伺わせる江戸時代からの建物。川越が江戸幕府を支えた重臣の庇護を受けた商人により栄えたのに対し、佐原は商人だけで「江戸まさり」とまでいわれた栄華を作った。温暖な気候と広い土地、利根川、霞ケ浦での水運が繁栄させたのか。しかし、全国には大名を上回る豪商がたくさんおり、豪商の館など残されているものに比べると実に質素で堅実だ。そんな気風が忠敬を生んだのかもしれない。
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11:00-12:00
八坂神社
佐原には有名な祇園山車巡行があるが、本宿の山車会館はこの八坂神社境内にある。京都の八坂神社の祇園祭が有名だが、いずれも素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祭神だ。
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11:00-12:00
身の丈5mの菅原道真の大人形と山車。八坂神社境内の山車会館の山車は夏祭りの大祭で引き回されるもの。この他、新宿地区の諏訪神社の祭礼である秋祭りの大祭でも山車が引き回される。夏は10台、秋は15台。「佐原の大祭」と「佐原囃子」は国の重要無形文化財でありユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
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12:00-13:00
佐原から首都圏中央連絡自動車道の神崎ICに入る直前に寄る。佐原を出て利根川沿いを走り20分位しかたっていなかったが、「発酵の里」に妻が誘われ入った。発酵食品やお酒などがあったが、サツマイモを3袋も買って出発。
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12:00-13:00
千葉の佐原から埼玉に向かう途中、寄る予定の大仏でしたが、佐原で時間をとってしまったので、高速を走りながら参拝。わかっていたものの実際に見るとその大きさにビックリ。次回お参りさせて下さい。
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14:00-15:00
千葉の佐原から車で来たが関東平野の広さを実感。高速を利用したので何とか見ることができた。県名発祥の地「埼玉」(さきたま)古墳群。雨が降りそうだったので博物館を後に、古墳を先に見ることにする。
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14:00-15:00
国宝「金錯銘鉄剣」が出土された稲荷山古墳。世紀の大発見と騒がれた古墳をようやく訪ねることができた。鉄剣、鏡、勾玉の三種の神器が出土しており、ヤマトの大王に仕えた者のようだが、金石文が記紀より他の銘文のある古墳時代の鉄剣、太刀より古いことに価値がある。
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15:00-16:00
埼玉県立さきたま史跡の博物館
国宝「金錯銘鉄剣」が展示してある。接写でなければ撮影も可。その他の展示品もガラスケースの上部からの撮影は禁止されているが、前部からの撮影は可。副葬品をみても大陸・半島の影響が大きいことがわかる。高句麗、新羅、百済、伽耶(任那)など多くの渡来人が入った東国は大陸・半島とも独自の交流もあったよう。
古代東国の氏族を追って〜武蔵・下総・常陸の旅
1日目の旅ルート
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