メタボ大王さんの宮城県〜新潟県の旅行記

奥の細道 芭蕉の足跡を追って
- 家族(子連れ)
- 3人〜5人
- 温泉
- 史跡・歴史
- 自然
- グルメ
- ショッピング
- 海
- イベント・祭り
松尾芭蕉が5か月余で踏破した「奥の細道」とほぼ同じ距離を逆コースで車で3日で回った。1日目 上信越道〜北陸道〜日本海東北道〜山形道〜湯殿山神社〜「東根の大ケヤキ」〜東根温泉泊 2日目 東根温泉〜立石寺(山寺)〜山形道〜東北道〜仙台南部・東部道路〜松島島巡り観光船(塩竈みなと祭神輿船パレード)松島温泉泊 3日目 瑞巌寺〜鹽竈神社〜多賀城跡〜東北道〜圏央道。畑や植木を考えると夏の旅は3日間が限度。忙しい旅だったがいろいろな事を考えさせてくれる旅だった。行ける時に思い切って行かなければならない年齢となっている。
長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代
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- 1日目2018年7月15日(日)
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09:00-09:00
旅の出発。最初の休憩。今日は晴れているが、黒姫・妙高は雲の中。
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10:00-10:00
北陸自動車道米山SA下り
運転交代のための休憩。上越の海は信州の海でもある。慣れ親しんだ海水浴場が続く。「荒海や 佐渡に横たふ 天河」の芭蕉の句碑があったが、詠んだのは出雲崎でのこと。「奥の細道」での鼠ヶ関から市振までの越後路は、酷暑と苦労の連続で、日記の記載も少なく二句しか詠んでない。しかし、「荒海」「佐渡」「天の川」の端的な表現が、流刑地佐渡の哀しみを表現して余りある。夏の日本海は「荒海」ではない。本日も佐渡は曇っていて見えなかったが、白波も見えない穏やかな海。
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10:00-11:00
北陸自動車道栄PA下り
少し早めの交代のための休憩。栄PAからは芭蕉が参拝した弥彦神社がある弥彦山がよく見える。越後平野の海岸線に弥彦山と多宝山系は良く目立つ。
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11:00-12:00
日本海東北自動車道が朝日まで開通しているので降りるとこの道の駅だ。海岸通り(国道345号)を行きたい場合は手前で降りた方がいい。丁度昼食時だか魚料理が食べたくてやはり日本海の道の駅で。芭蕉と曽良は村上で2泊し、家老を訪ねたり瀬波海岸に出かけているようだ。
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13:00-14:00
国道7号で村上市勝木に出て再び日本海沿いに北上。山形県鶴岡市鼠ヶ関を過ぎて直ぐ「道の駅 あつみ」がある。2回目の訪問。船の形の食事処「早磯」や土産店、屋外の軽食場所もある。駐車場が混んでおりぐるぐる回りながら空いた所に入る。芭蕉は「あつ美山や 吹浦(ふくら)かけて ゆふ涼み」と詠んでいる。
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13:00-14:00
外の軽食も美味しそうだがやはり食堂で魚料理。本日のおすすめは鯛、甘鯛、かれいの焼き魚定食。三人で別のものを注文し食べ比べる。獲れたてで脂がのっていて美味しかった。
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13:00-14:00
食堂を出たががいい匂いに誘われ外の店でホタテを食べる。肉厚で美味かった。
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14:00-15:00
温海温泉から日本海東北自動車道に乗り鶴岡西で降り、鶴岡から山形自動車道に乗り湯殿山で降りる。月山を撮ったつもりですが確証はないので(_ _)。芭蕉は、陽暦7/22、月山、湯殿山に登山、参拝している。
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15:00-16:00
時間が早めだったので湯殿山神社に寄る。こちらは駐車場から見る大鳥居。狭い山道を走っていきなり現れる大鳥居の大きさに圧倒される。本宮まではこちらからバスに乗るか歩くと20分。時間の余裕がないのでバスで。
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15:00-16:00
湯殿山本宮入り口。ここから神域で結界を示す注連縄が張られている。撮影は禁止。沢に下り裸足になりお祓いを受け、紙人形に自分の穢れを込めて流す。奥に進み黄褐色の岩から流れる熱湯を上り参拝。裸足での初めての参拝形式。最後に足湯もある。沢の冷たい雪解け水と熱い湯を交互に感じ気分転換になるが、寒い時期は足湯が必要のよう。
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16:00-17:00
湯殿山仙人沢。本宮からの帰りのバスはこの前で停車する。行人塚(即身仏)、玉垣供養碑、水子地蔵尊などがある。即身仏が樹脂のようなもので保存されておりびっくりする。娘は見るのを避けた。最初にこれを見せられるとショックかもしれない。湯殿山は古来、出羽三山の奥宮とされ修験道の霊地であり、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の世界とのこと。大鳥居から本宮まで20か所近い神社がある。多くの行者が即身仏になろうとこの地を選んでおり山全体に霊気を感じ、大鳥居でもう一度拝礼した。芭蕉は「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」と詠んでいる。御神体だけのことではなく、再生を願い、荒行の途中で果てた骸がそこここにあったのではないか。「語るな」ではなく「語られぬ」としており、語ることができないのではないか。修験道の凄さと怖さを思い起こさせた。
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17:00-18:00
山形道の東根温泉で降り少し迂回して日本一の大ケヤキを見学。東根小学校の校庭にある。この日は日曜日のため見学者がもう一組いただけ。右下のベンチに座る人と比較するとその大きさがわかる。湯殿山の暗鬱な気分を一気に解放してくれた。
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17:00-18:00
大ケヤキの案内板。幹回り16m、高さ26m、樹齢1500年以上。地元の老人の方に聞いたところ、小学校の頃は大ケヤキの洞に入って遊んだとのこと。巨木のHPだと秋田に更に幹回りの太いケヤキがあり全国第二位のよう。しかし、こちらの方が樹勢がよく名実ともに日本一のケヤキになるのでは。
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18:00-19:00
東根温泉は明治時代に水田の水飢饉で井戸を掘っていたところ湯が湧き出たことから、田園地帯の真ん中にある。湯量は豊富なようで旅館の近くに湯の井戸があった。大きなホテルもあるが所謂「温泉地」の賑わいはない。東根市も隣接する天童・寒河江もサクランボの産地でもある。山形空港もこちらにあるので飛行機で来るには便利。
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18:00-19:00
東根温泉の今夜の宿、「旅館さくら湯」。家族的な旅館で地元の方や常連客ばかり。熱い源泉を水道でうめたり、湯もみ棒でかき回してから入る。茶色っぽい色だが鉄分の匂いはない。熱いが蔵王の湯のようにぴりぴりはこない。
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18:00-19:00
さくら湯の夕食。料理も美味しかったが山形の地酒とつや姫のご飯も最高。若女将の琴の演奏を聴きながらゆったりと食事ができた。
- 2日目2018年7月16日(月)
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06:00-07:00
朝食前温泉地を散歩。一回りするのに時間はかからない。北村山公立病院敷地内にある方墳。方墳は全国的にも少なく、東北地方ではここだけらしい。病院の創立者らしい方の銅像などがあるが、古墳の案内は直近にはなかった。もっと大きな方墳だったものが現在の一辺20mに削られたようだ。
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07:00-08:00
朝食時、地元の方の山形弁は何を話しているかわからない。この村山地方の方でも庄内地方の言葉がわからないとのこと。県外者はわかりっこない。しかし、東北独特の温かい人柄に触れ、時にはこんな家族的な旅館に泊まるのも地元を知るには必要だ。温泉街の成田山神社境内には、芭蕉の足跡をたどつて東北を旅した正岡子規の句碑もあるらしい。外国人の姿を一人も見なかったのも初めてであった。
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10:00-11:00
前回は車椅子の親と一緒のために参拝を諦めたので1015段に再挑戦。橋の手前の駐車場に車を置き、土産物店・食堂を兼ねた店で杖を借りる。連日猛暑が続いていたが、本日は曇っており丁度いい。慈覚大師円仁が開いた東北四寺(瑞巌寺、中尊寺、毛越寺、立石寺)の一つだが、芭蕉の句「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」により全国区になった。芭蕉は当初寄る予定がなかったが、尾花沢で薦められ立ち寄ったよう。
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10:00-11:00
山寺:根本中堂。初代山形城主により再建されたお堂で、ブナ材の建築物では日本最古らしい。比叡山延暦寺から移された法灯が灯され、信長の延暦寺焼き討ちの際は、こちらから法灯を移したよう。
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10:00-11:00
山寺:姥堂。かつてはここで衣服を脱ぎ、白装束に着替えて奥の院を目指したよう。衣服は本尊の脱衣婆に奉納した。姥像を近くで見ると本当に怖そう。四体くらいあったがどれも片膝を立てている。妙高の関山神社でも見たが、片膝を立てて座る朝鮮の習慣と関係があるのか。
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10:00-11:00
山寺:せみ塚。芭蕉が「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」の句をしたためた短冊を納め、石塔を建てたと伝わる場所。芭蕉が訪れたのは5/27(陽暦7/13)であり蝉が鳴くには早いらしい。雨模様の本日(7/16)も全く蝉は鳴いていない。3日間の旅でもウグイスの声は聞いたが蝉の声はなく、芭蕉の句が単に情景を詠んでいないことがわかる。
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11:00-12:00
修行の岩場。岩場には修行したとされる洞窟がいくつもあり、急な崖に命を落とした者もたくさんいたようだ。岩の中から読経の声がしただろうし、その声は蝉の声のようでもあったのではないか。芭蕉が訪れた時は、本当の蝉は鳴いていなかったのではないか。「佐渡の荒海」と同じく、情景を詠んだのではないのではないか。
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11:00-12:00
山寺の奥の院・大仏殿。奥の院で1015段となる。右手が奥の院で左が大仏殿。手前の巨大な灯籠が奥の院を隠している。
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11:00-12:00
山寺:開山堂と納経堂。正面の開山堂を右手に上がると絶景ポイント「五大堂」である。
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11:00-12:00
山寺:五大堂からの眺め。
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15:00-16:00
山寺から山形市内のスーパーに行き山形米を購入してから高速で松島へ。今日の宿である老舗の「大観荘」にチェックイン。ホテル専用のシャトルバスで松島港へ。
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15:00-16:00
松島島巡り観光船「仁王丸」。じゃらんの遊び・体験予約で最終の16:00からの松島巡り。桟橋に着いた「仁王丸」。岡の上に見えるのは「大観荘」。
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16:00-17:00
丁度「塩竈みなと祭」の「神輿船パレード」が行われていた。吹き流し、のぼり、大漁旗などで飾られた漁船のパレードはすばらしいものだった。
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16:00-17:00
船団の中心に龍の舳先の豪華な船が。御座船の「龍鳳丸」か。御座船はもう一隻あり「鳳凰丸」。鹽竈神社と志波彦神社の神輿がそれぞれ奉安されているよう。
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16:00-17:00
御座船よりいくらか小さいが大漁旗などをなびかせ、いかにも漁師の祭りだ。松島湾に浮かぶ島にはたくさんの貝塚があり、縄文時代から豊かな漁労生活をしてきた。多賀城が築かれてからは朝廷の前進基地としてその役割を担ってきただろう。
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16:00-17:00
日本三景松島:鐘島。四つの穴に波が打ち寄せると鐘の音になるようである。松島湾には大小260の島があり、貝塚もあり縄文時代から人々が暮らしていたよう。
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16:00-17:00
松島湾:仁王島。自然の造形とは思えない奇抜な形。右側はドナルドダックがたばこをくわえたようにも見える。「奥の細道」の旅の最大の目的地が松島であった。芭蕉は塩釜から舟に乗り、島を回ったようだ。句も詠んだが推敲の段階で削除され、松島の句はない。松島のすばらしい風景に句が及ばなかったよう。芭蕉の句とされる「松島やああ松島や松島や」は芭蕉とは関係がないよう。しかし、「千早振る、神の昔大山ずみの、なせるわざにや。・・・造化の天工、いづれの人か、筆をふるひ、詞を尽さむ」と書き残しているよう。
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17:00-18:00
慈覚大師が「大聖不動明王」など五大明王を安置したことから五大堂。現在の建物は伊達政宗が再建したもので、東北地方最古の桃山建築様式の建物とのこと。
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18:00-19:00
松島湾から見るホテル松島大観荘。ホテルの下に東北本線と仙石線が走っている。3.11以降、津波を恐れ高台にあるこのホテルの客が増えているよう。老舗ホテルは料理も雰囲気も別格であった。
- 3日目2018年7月17日(火)
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07:00-08:00
朝食からメタボ大王の本領発揮。和洋混在。最後にフルーツとスイーツをこれでもかと。猛暑の中、食欲は衰えずますます肥満に。即身仏を願った行人と真逆な人生。
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07:00-08:00
山形・宮城では定番のずんだ餅。初めて山形で餅つきでずんだ餅を食べてから大好物に。
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09:00-10:00
ホテルをチェックアウトし瑞巌寺参道近くの有料駐車場に入れる。総門を抜け、新しい植栽の参道を進む。3.11の津波は参道の中間まで来たようで案内板がある。復興地蔵堂があり、震災の鎮魂慰霊と復興祈願の地蔵菩薩が安置されている。
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09:00-10:00
受付を入ると中門と本堂が見え、右手の庫裏から入る。3.11東日本大震災では国宝の本堂は無事だったようだ。松島湾の島が津波の緩衝になったよう。
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09:00-10:00
瑞巌寺庫裡(庫裏)。本来実用的な建物が政宗の美意識により優美なものに。国宝。
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09:00-10:00
瑞巌寺宝物館。国宝の本堂・庫裡(庫裏)にある襖絵などはレプリカ、模写であり、この宝物館に本物が展示されている。芭蕉が「金壁荘厳光を輝し」と記した障壁画も劣化したため、保存修理と模写が本堂に飾られたよう。
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10:00-11:00
鹽竈神社本宮(拝殿)。左宮に武甕槌神(たけみかづちのかみ)、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)。蝦夷地征服の功労者の二神を本宮とする。陸奥の国一の宮であるが延喜式神明帳にはない。奥の本殿は二つあり、各鰹木が5本、千木は外削ぎで男神。 芭蕉は松島に舟で向かう前に鹽竈神社を参詣し、社殿の荘厳さを讃えている。
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10:00-11:00
鹽竈神社
鹽竈神社別宮。本宮の手前に武甕槌神と経津主神を案内したといわれる塩土老翁(しおつちのおじ)を祭神とした別宮。本殿はやはり鰹木が5本、千木が外削ぎの男神。
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10:00-11:00
鹽竈神社境内の東端部に「延喜式」式内社志波彦神社(祭神志波彦神)がある。もとは仙台市宮城野区岩切若宮にあったが、明治4年国幣中社となり、同7年鹽竈神社の摂社とされ、昭和13年に国費で造営されたらしい。帆手祭、みなと祭などはこちらの例祭。竹の柵があり本殿は確認できなかった。
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10:00-11:00
志波彦神社前からは、金華山、牡鹿半島、松島湾の島々を見渡すことができる絶景ポイント。地元の鎮守様はこちらのようだ。
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11:00-12:00
奈良時代の陸奥の国の国府があった多賀城。蝦夷征伐の前進基地であった。
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11:00-12:00
多賀城政庁復元模型。奈良の都と全く同じような建築様式。大陸、半島の影響が瞬く間に東北地方に及んだことがわかる。陸奥の国から産出した金などにより東大寺の大仏建立が成し遂げられる。
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11:00-12:00
国重要文化財:多賀城碑。多湖碑(群馬県高崎市吉井町)、那須国造碑(栃木県大田原市湯津上)とともに日本三古碑の一つ。江戸時代初期に地中から発見され、歌枕の「壺碑(つぼのいしぶみ)」とされたことから、多くの文人に注目され、芭蕉も訪れ、「泪(なみだ)も落つるばかり」と感動している。しかし、「壺碑」ではなく、奈良時代の多賀城建設を記したものであった。「壺碑」は陸奥のおくの方にあると伝わる古い石碑で、歌枕として多くの和歌に詠まれたものだが、未だに不明。多賀城市には東北歴史博物館もあるが休館日のため見られなかった。
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12:00-13:00
3.11東日本大震災の爪痕。仙台南部道路から名取川と広瀬川の合流地域。未だに青い作物が見当たらない。松島湾は島々の緩衝により被害が少なかったが、リアス式海岸の岩手県・宮城県北部、更に長い砂浜が続く宮城県から福島県沿岸は大被害を受けた。
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12:00-13:00
仙台南部道路から名取川と広瀬川の合流地域。津波は30mを越え、内陸部の7キロまで達し、宮城県だけでも死者1万人余、行方不明1千人余。7年経っても田畑は戻っていない。
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13:00-14:00
国見サービスエリア上り線
休憩。お土産は宮城のものは少ない。宮城の土産はやはり宮城県内で。
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14:00-15:00
那須高原サービスエリア上り線
昼食休憩。国見(福島県北端)から一気に福島を縦断し栃木県に入った。人気のオムライスにクリームワッフルなどを注文。
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16:00-17:00
圏央道菖蒲PA内回り
那須高原SAから栃木県を縦断、圏央道に入ってこちらで休憩とガソリン給油。内回りと外回りが一緒のPA。東北道をかなり飛ばしたので一気にガソリンを減らした。距離数はこれまでの最長であったが、都市部の高速が少なかったのでそれ程疲れなかった。芭蕉が5か月余で歩いた「奥の細道」とほとんど同じ距離を3日で回った。
奥の細道 芭蕉の足跡を追って
1日目の旅ルート
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