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さとけんさんの北海道〜神奈川県の旅行記

【下北半島から】旭川を訪ねる旅。2018年9月【函館経由】

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神奈川から下北半島の付け根まで高速道路に乗り、下北半島を観光しながら北上、大間に自分の車を留め置いて津軽海峡フェリーで函館まで行き、函館フェリーターミナルでレンタカーを借りて一般道を一路旭川まで向かいます。旭川は遠いですね。

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 40代

1日目2018年8月30日(木)

厚木パーキングエリア(外回り)

厚木市

「厚木パーキングエリア(外回り)」を   >

時刻は21時半少し前、圏央道の厚木パーキングエリア外回りにやってきました。想像していたよりも混雑しています。ここから国見サービスエリアでの給油を挟んで八戸自動車道の折爪サービスエリアまで、680kmのロングドライブが始まります。

2日目2018年8月31日(金)

折爪サービスエリア 下り

軽米町(九戸郡)

「折爪サービスエリア 下り」を   >

4時30分、八戸自動車道の折爪サービスエリア下りに到着です。トイレ、水分補給、仮眠をして7時20分に出発し、下田百石インターチェンジで高速をおりてガソリン補給です。

根岸の大いちょう

おいらせ町(上北郡)

「根岸の大いちょう」を   >

8時3分、おいらせ町の大イチョウの前にやってきました。案内板によれば、昭和63年度の「全国巨樹巨木調査」によると全国で12番目、東北北海道では1番目の巨樹巨木で、いちょうの木としては日本一とのことです。仰ぎ見る立派な樹にご挨拶しました。

日本一の自由の女神像

おいらせ町(上北郡)

「日本一の自由の女神像」を   >

こちらはおいらせ町のいちょう公園にある日本一の自由の女神像。

氣比神社

おいらせ町(上北郡)

「氣比神社」を   >

立派な境内のケヒ神社にお詣りです。いちょう公園から車で13分ほどです。

小川原湖公園

東北町(上北郡)

「小川原湖公園」を   >

9時半過ぎ、東北町の小川原湖公園にやってきました。しばらくぶらぶらと歩き周ります。

小川原湖

東北町(上北郡)

「小川原湖」を   >

小川原湖の展望台からの光景。小川原湖は西の湖畔も東の湖畔も、綺麗に整備された公園となっていて、この近辺に住む人々の憩いの場、レクリエーションの場となっているようです。

大塚甲山の詩碑

東北町(上北郡)

「大塚甲山の詩碑」を   >

小川原湖公園の北の端、大塚甲山の詩碑が建っています。

大塚甲山の詩碑

東北町(上北郡)

「大塚甲山の詩碑」を   >

「我は何ぞや 散る焔 我は何ぞや 匂ふ花 我は何ぞや 湧く泪 焔と花と泪とを 或は経に はた緯に 我が世の綾を織り成さん」という詩でございます。自分の人生は自分でデザインしたいという強い意志を感じます。

六ヶ所村立郷土館

六ヶ所村(上北郡)

「六ヶ所村立郷土館」を   >

六ヶ所村の郷土館を見学です。折よく職員の方に説明を受けることができて、少しお話をしました。好きなこと・興味のあることを仕事にして一生をかけてそれに取り組むというのは、羨ましくもあるがまた、相当の覚悟を持って彼はここにいるのだろうとも思います。こちらの郷土館にはしっかりした研究員がいると感銘を受けました。

ほたて観音

横浜町(上北郡)

「ほたて観音」を   >

12時53分、国道279号線沿いのドライブインに立ち寄ります。ほたて観音なる観音様をお参りです。こちらでお昼にしましょう。

トラベルプラザサンシャイン

横浜町(上北郡)

「トラベルプラザサンシャイン」を   >

やはり横浜町では菜の花ラーメンをと思い、これがなかなかおいしくて良かったです。御馳走様でした。

田名部神社

むつ市

「田名部神社」を   >

時刻は15時、むつ市の田名部神社にお詣りです。拝殿前にて二礼二拍手一礼のお詣りをしまして、少し距離をとって社殿を眺めると、何か、顔に見えてまいりました。

田名部神社

むつ市

「田名部神社」を   >

ああ、一度、顔に見えたものはどうにもこうにも顔に見えてしまいますな。むふふ。

北洋館

むつ市

「北洋館」を   >

時刻は15時半、北洋館にやってきました。北洋館とは『明治35年の帝国海軍大湊水雷団開庁から現在までの、「北方の海上防衛」をテーマとした、貴重な史料約1000点を展示』している海上自衛隊の展示室ということで、海上自衛隊大湊地方総監部に隣接して建っています。

北洋館

むつ市

「北洋館」を   >

入館は無料、16時までということで、興味深い資料が沢山展示されているにも関わらず、時間が足りなくて、ほとんど見学できなかったのが残念でございます。北洋館と道を挟んで対面にある水源地公園へ向かいます。

水源池公園

五戸町(三戸郡)

「水源池公園」を   >

水源地公園に展示されている海上自衛隊護衛艦・ゆうばりの主錨です。

旧大湊水源地水道施設(水源池公園内)

むつ市

「旧大湊水源地水道施設(水源池公園内)」を   >

こちらは沈澄池堰堤(ちんちょうちえんてい)です。明治42年完成の施設で、川から集めた水に含まれる土砂をここで沈めて、上澄みの綺麗な水を送水する施設です。

北の防人大湊海望館

むつ市

「北の防人大湊海望館」を   >

水源地公園にある展望台です。停泊している護衛艦が見えました。夕方の公園内には夕餉の良い匂いがいたします。ガーリックを炒めているような良い香りです。今日は金曜日ですから、カレーがいいですな。海軍のカレーはいつも金曜日でございます。というわけで・・

北の防人大湊安渡館

むつ市

「北の防人大湊安渡館」を   >

水源地公園内の安渡館にあるカフェ・憩(ikoi)にて、海軍カレー・728円を食べました。下北半島の形をしたご飯に白波の立つカレー、そしてホタテの揚げ物に錨型のポテトと、おいしかったですね〜。ごちそうさまでした。この後、むつ市のホテルニューグリーンににチェックインし、翌日は5時起床の5時40分出発です。

3日目2018年9月1日(土)

恐山

むつ市

「恐山」を   >

時刻は6時4分、むつ市市街から恐山まで25分ほどでしょうか。車を停めドアを開けると硫黄の匂いが強くします。

三途の川

むつ市

「三途の川」を   >

恐山菩提寺に至る数百メートル手前に三途の川があります。奪衣婆(だつえば)懸衣翁(けんえおう)の像があります。そういえば東京・新宿を歩いた時に、奪衣婆が綿のおばばと呼ばれていた寺を思い出します。正受院でしたな。

三途の川

むつ市

「三途の川」を   >

三途の川に架かる太鼓橋です。今は立入禁止のようですね。三途の川はとても綺麗な色をしています。そして護岸されています。宇曽利山湖からの唯一の流出河川だそうです。

恐山菩提寺

むつ市

「恐山菩提寺」を   >

6時13分、恐山菩提寺にやってきました。このお寺の開門は6時です。既に何人か、参拝客がいらっしゃってるようです。

恐山

むつ市

「恐山」を   >

恐山菩提寺の特徴は、自然の造形とお寺がとてもよくマッチしていることです。硫黄の香りとか、熔岩が固まった荒涼とした情景とか、雲が低く垂れこめた宇曽利山湖の湖面などなど、自然と人工がマッチして、神々しさを感じさせます。

恐山賽の河原

むつ市

「恐山賽の河原」を   >

宇曽利山湖の方へ行ってみましょう。なお、境内は「順路」と書かれた札に従って歩くようになっていて、その通りに歩くのが良いと思います。

宇曽利山湖

むつ市

「宇曽利山湖」を   >

こちらは東日本大震災の犠牲者を慰霊する地蔵菩薩です。

恐山賽の河原

むつ市

「恐山賽の河原」を   >

石が積まれた恐山の賽の河原や、白や硫黄の黄色が現れる宇曽利山湖の湖畔など、信仰と自然が相まって、美しい光景を作り出しています。

イタコの口寄せ

東通村(下北郡)

「イタコの口寄せ」を   >

時刻は7時14分です。恐山と言えばイタコ、イタコと言えば恐山という印象を私は持っていたのですが、イタコは口寄せを行う巫女としての職業であり、恐山菩提寺に属しているというわけではなく、イタコが恐山にいる時はそこで口寄せを聴くことができるが、寺に属しているわけではないので、当然、山にいない時もあるということを今回初めて私は知りました。恐山の7月の大祭の期間と10月の秋詣りの期間には必ずイタコが山に登ってくるので必ず口寄せを聴くことができるということで、その時には朝から大行列ができるそうなのですが、その期間外にも不定期で、イタコが恐山にいる場合があり、その時には口寄せが聴けるとのこと。そして私が訪れたのは9月初めの土曜日・朝6時でしたが、朝一番からイタコさんがいらっしゃった模様で、この7時過ぎに、先ほど境内でお見掛けした背広姿の男性がイタコさんの前に座って口寄せを聴いておられました。

宇曽利山湖

むつ市

「宇曽利山湖」を   >

7時18分、そろそろ恐山をおいとまします。自然の光景の中に、人々の信仰が積み重ねられて、神々しい美しさを自分の頭で感じ取る、そんな場所であったように思えます。このあと大畑町経由で下風呂温泉郷へ向かいます。

海峡いさりび公園

風間浦村(下北郡)

「海峡いさりび公園」を   >

9時少し前、下風呂温泉郷の海岸沿いにある「海峡いさりび公園」にやってまいりました。こちらは井上靖文学碑です。井上靖さんは、昭和33年に下風呂温泉に宿泊して小説「海峡」の終局を書かれたとのこと。その際、渡り鳥の声を聴かれたそうで、その時を思い出して書かれた詩です。『暫くすると、再び海峡の闇の中に、アカエリヒレアシシギ の集団は、その啼き声と一緒に吸い込まれ始めた。小さい生命が、四、五十、ひと固まりに なって、一定の間隔を置いて、次々に、海峡の闇の中に突入し、突入している。私たちは生涯で、そう度々、立ち合おうとは思われぬ、可憐な生きものの、凄烈極まりない渡海の式典に列していた。風間浦村の荒磯に立ったまま、寒さも忘れ、一言も発しないで、耳を澄ませていた。ひどく高く感じられる天の一角、そこだけに幾つかの、小さい星が輝いていた』一読して、小さなアカエリヒレアシシギが闇へ突入する様が思わず脳裏に浮かぶ、そんな体験をしました。

幻の大間鉄道アーチ橋「メモリアルロード」

風間浦村(下北郡)

「幻の大間鉄道アーチ橋「メモリアルロード」」を   >

下風呂温泉郷には立ち入ることのできる大間線の跡があります。下北半島の下北と大畑を鉄道で結ぶ大畑線、大畑と大間を結ぶ大間線、さらに対岸の函館・戸井と五稜郭とを結ぶ戸井線の工事が着工されたのが1937年、開通したのは大畑線のみ、大間線と戸井線は1943年に工事が中断し、さらに戦後、青函トンネルの計画においても、津軽半島を通る西ルートと下北半島を通る東ルートが検討され、ご存知のように東ルートは成らず、結果、大間線は開通することなく現在に至る、その施設の一部(アーチ橋)が整備されて、メモリアルロードになっています。途中には硫黄の香り漂う足湯もありまして、私は手で湯加減を見たのですが、かなりぬるかったですな。

西吹付山展望台

大間町(下北郡)

「西吹付山展望台」を   >

10時2分、いよいよ大間町へ入ってきました。西吹付山展望台、牛が沢山見え、その向こうに大間崎、そして津軽海峡が見えます。

大間埼灯台

大間町(下北郡)

「大間埼灯台」を   >

10時24分、大間崎にやってまいりました。向こうにみえるは大間埼灯台、大間崎は「崎」、大間埼灯台は「埼」とは、クチコミや旅行記を書いていなければ気が付かなかったかもしれません。なぜ、字が違うのでしょうね?

本州最北端の碑

大間町(下北郡)

「本州最北端の碑」を   >

こちら本州最北端の碑でございます。

大間崎

大間町(下北郡)

「大間崎」を   >

本州最北端の碑からブラブラしますと、石川啄木の歌碑がありました。ぶらぶらとしておりますと時刻はやがて11時が近くなります。大間崎周辺の飲食店は11時開店のお店が多いようで、少しずつ観光客の数も増えてくる、そんな感じでした。私は大間崎から大間フェリーターミナルの方向へ南下して、大間町大間77の「馬い家」という食堂へ向かいます。

馬い家のホタテ丼1600円でございます。大きいホタテがたっぷりのった、美味しい美味しい昼食でございました。ご馳走様でした。

津軽海峡フェリー・大間フェリーターミナルへやってきました。本日は自分の車はここの「留め置き」専用の駐車場に停めておき、函館フェリーターミナルでレンタカーを借りる予定です。大間から函館へ向かうフェリーは一日二便、私は14時大間発、15時40分函館着のフェリーに乗船します。函館に着いた後は、旭川まで夜通しのドライブが控えておりますので、1時間半ほどの乗船ですが、睡眠時間に充てたいと思います。ぐう。

五稜郭公園

函館市

「五稜郭公園」を   >

そして函館着、予約していたレンタカーを借ります。ナビの操作がなかなか慣れず、その点大変ですが、とても運転しやすい車でした。時刻は16時40分、五稜郭へやってまいりました。

武田斐三郎顕彰碑

函館市

「武田斐三郎顕彰碑」を   >

五稜郭公園内に、武田斐三郎顕彰碑があります。部分的に輝いている碑なので発見しやすいかと思います。なぜ輝いているかと言えば、皆さんが武田さんの頭、もしくは顔を撫でさするからなのですが、なぜ撫でさするのかと言えば、武田さんは五稜郭を設計した方でもあり、また、函館の諸術調所跡では教授を務め幕末から明治にかけての日本の秀才たちに影響を与える頭脳を持っていた方ということから、この顕彰碑の頭、もしくは顔を撫でさすると頭が良くなるという噂があるのですな。緒方洪庵の適塾の塾頭を務められた方、と言えば、その優秀さが想像できる気がします。

五稜郭跡

函館市

「五稜郭跡」を   >

五稜郭公園内に復元された箱館奉行所です。

五稜郭タワー

函館市

「五稜郭タワー」を   >

17時過ぎ、五稜郭タワーへ昇りました。いい景色ですね〜。展望室内を歩いているとブロンズ像があります。

五稜郭タワー

函館市

「五稜郭タワー」を   >

五稜郭タワーの展望室内、こちら、どなたかお分かりでしょうか。豊玉宗匠です。

五稜郭タワー

函館市

「五稜郭タワー」を   >

五稜郭タワーからは史跡・五稜郭の姿を一望でき、周囲には高い建物もなく景色も良い、ということで、函館の夕暮れを五稜郭タワーで過ごしたのは我ながら良い選択でした。

中島三郎助父子最後の地碑

函館市

「中島三郎助父子最後の地碑」を   >

こちらは函館税務署前のロータリーにある中島三郎助父子最後の地碑でございます。中島三郎助は1821年生まれの幕臣で、1853年の黒船来航の際には、役人として黒船に乗り込んだ日本人の一人です。戊辰戦争の最終局面である箱館戦争、その箱館戦争の最後の戦闘と言われる戦いで戦死しました。ここ中島町の町の名称の由来です。

土方歳三最期の地碑(若松緑地公園内)

函館市

「土方歳三最期の地碑(若松緑地公園内)」を   >

時刻は17時54分、若松町の土方歳三最期の地碑前にやってきました。私が訪れた際には、私の少し後から、多分お父様を連れた娘さんが来られて、手を合わせておられました。土方歳三と言えば、様々な作品において登場する実在した人物、しかも写真が残っている、そしてそれが文句なしの二枚目、さらに数々の修羅場を先頭に立ちながらも生き抜いたという実績が彼の剣の腕前がどの程度であったのかを端的に示しているということで、多くの方に支持されている人物であることは私も知っておりますので、あの娘さんの土方さんは、いったいどんな土方さんなのかなと興味が湧きました。そして、私の土方さんは司馬遼太郎の「燃えよ剣」や「新選組血風録」に登場する司馬・土方に依るところが大きい人物像であり、その人物像をこの25年ほど追っていたわけですので、本当の土方歳三は、どんなお人であったのだろうかと、この場所かあるいはこの函館のどこかで箱館戦争終結6日前に亡くなった土方歳三という人物を思い、手を合わせました。この後、夕食を済ませ、一般道を一路旭川へ向かいます。旭川の「道の駅・あさひかわ」着1時43分、4時過ぎまで仮眠をします。

4日目2018年9月2日(日)

道の駅・あさひかわは、深夜の1時43分に着いた時、かなり混雑していまして、駐車場が運よく一枠空いていて車を停められた、というような状況でした。2時間ほど仮眠をとり、4時20分に道の駅を出て、東旭川方面へ向かいます。21世紀の森・キャンプ場の方向へ向かいます。旭川市街地は深い霧が立ち込めていましたが、時刻は4時55分、東旭川付近は綺麗なあけぼの色の空です。

時刻は5時、今回の旅の目的地はこの一帯です。いつもと変わらない朝、ずっと繰り返されてきた朝、『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(略) 生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る』合掌。写真の時刻は5時53分、6時20分ごろまで滞在し、一度旭川市街へ向かいます。

旭川中央郵便局脇の時間貸し駐車場に車を停めて、平和通買物公園を歩いてJR旭川駅にやってきました。現在の駅舎は2010年から一部開業、2011年に全面開業した新しい駅舎です。

日曜日の朝7時半少し前、JR旭川駅・駅舎内には窓際やコンコースに座る場所があって、写真の、コンコースの一部には机の前の椅子に座って勉強?している青年達もいて、さらに土曜日から日曜日の早朝にかけて徹夜をされたのでしょうか、窓際のベンチに腰をかけて目をつぶっている方々もチラホラという感じ、旭川駅・日曜朝の景色を眺めます。

蜂屋 五条創業店

旭川市

「蜂屋 五条創業店」を   >

駐車場に戻りがてら、蜂屋の五条創業店を訪ねます。いや〜、20年前に来た時と同じ店構えと、私の記憶が確かならば蜂屋は変わっていませんね〜。今日の夜にラードたっぷりのラーメンを食べにくる予定です。

旭橋

旭川市

「旭橋」を   >

石狩川にかかる旭橋です。存在感のある橋です。

旭橋

旭川市

「旭橋」を   >

この橋は昭和4年(1929年)に着工し昭和7年(1932年)に竣工しています。

旭橋

旭川市

「旭橋」を   >

おぉ、旭橋は汽車製造株式会社が制作したのですな。昭和6年となっています。旭川の歴史を見守ってきました。

常磐公園

旭川市

「常磐公園」を   >

常盤公園の入り口です。銅像は永山武四郎さんの銅像です。旭川では知らぬ人がいないほどの有名な偉人とうかがっております。旭川の原野に広がる樹木を切り倒し開墾し、旭川の礎を築いたのは名も残さぬその他大勢の、屯田兵をはじめとする多くの人々であることは間違いのないところですが、この永山氏の果たした役割もまた大きなものに違いありません。。日曜日の朝の旭川・常盤公園をのんびりと散策しました。

北海道護国神社

旭川市

「北海道護国神社」を   >

時刻は9時半、陸上自衛隊旭川駐屯地の対面にある北海道護国神社にやってまいりました。となりの花咲スポーツ公園でテニスの試合や陸上の試合が行われている模様で、周辺の駐車場が大変に混雑しておりましたが、神社の駐車場に車を停められましたので、ゆっくり参拝することができました。

北海道護国神社

旭川市

「北海道護国神社」を   >

ひと気のない静かで立派な境内です。

北鎮記念館

旭川市

「北鎮記念館」を   >

時刻は10時、北鎮記念館にやってきました。陸上自衛隊旭川駐屯地の南端にあります。戦前・戦中は第七師団の駐屯地でした。こちらは私の父にゆかりのある土地でもあり、今回の旭川訪問でぜひ訪れたかった場所です。

北鎮記念館

旭川市

「北鎮記念館」を   >

こちらの記念館には昭和7年竣工の旭橋の上を兵士が出征する写真がありました。戦中にこのような景色を見たであろう或る少年は、戦争が終わって青年となった後、戦争で亡くなった方に申し訳ないと、昭和25年に設置された警察予備隊に入隊し、日本の治安維持と防衛に命を懸けようと考えたそうでございます。なんという生真面目さなのだろう、今の私には真似の出来ないことだけれども、当時の日本人は同じような生真面目さを持った人々が沢山いらっしゃったに違いないとも思います。

北鎮記念館

旭川市

「北鎮記念館」を   >

旭川の第七師団駐屯地にゆかりのある方々です。作家の井上靖氏は、お父様が旭川で軍医をされているときに旭川で誕生しました。1907年(明治40年)5月6日です。北鎮記念館を出たあとは、旭川駐屯地の北の端近くにある井上靖記念館を訪れます。

旭川市井上靖記念館

旭川市

「旭川市井上靖記念館」を   >

旭川の井上靖記念館へやってまいりました。こちらの館内には、東京世田谷の井上靖邸に在った書斎と応接間がそっくりそのまま移設されています。「わが母の記」という映画で登場したあの書斎と応接間です。映画撮影当時は世田谷に在り、その後にこちらに移設されたそうでございます。あの「わが母の記」という映画は、私はとても好きな映画でして、静岡県長泉町の井上靖文学館を訪れた際には、「あの映画は、少し設定が映画用に変更してあるのです、井上靖はお父さんもお母さんも大好きな人です」と伺いましたが、私はあの映画の樹木希林さんと役所広司さんをはじめとする俳優・女優の演技もまた、大好きです。私も母の認知症の介護を5年ほどでしたが、しております時に、あの映画を見るたびに自分の気持ちがリセットされて母に対して優しく接することができたという思い出があります。「一見、報われぬことをしている者」に対する井上靖氏の高い評価から感じる慈しみ・労りというものが、親の子に対する慈愛や応援と同質のものを連想させ、己の琴線の在りかに届いてくる、私にはうまく表現できないけれど、井上靖氏の言葉が私の感情をしばしば揺さぶるのは、そのような理由かもしれないと思いました。

旭川市井上靖記念館

旭川市

「旭川市井上靖記念館」を   >

旭川市の井上靖記念館では、書斎と応接間を職員の方に案内していただき、繰り返すことのできない一生に一度の時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館

旭川市

「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」を   >

井上靖記念館の隣には中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館があります。2012年から建物を半解体して耐震補強をするなどの大規模改修を行っていましたが、2017年10月8日にリニューアルオープンしています。

中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館

旭川市

「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」を   >

こちらの建物は、もとは旧陸軍第七師団、旭川偕行社として建設・使用されていたものです。1902年(明治35年)の建築で、何回かの改修を施されて現在に至ります。

中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館

旭川市

「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」を   >

現在は美術館となっています。井上靖記念館との共通券を買うと割引になります。なお、館内での写真撮影はできますが、作品の著作権の関係で、その写真をネット上に発表することは出来ません。展示されている美術品は前衛的な作品が多く、それが何かはわからないが確かにそこにある何かに囲まれて、そこに自分がいるというのもなかなか面白い時間でした。

蘆花寄生木ゆかりの地碑

旭川市

「蘆花寄生木ゆかりの地碑」を   >

春光台公園にやってきました。春光台公園は自衛隊旭川駐屯地や井上靖記念館・中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館の近くにある丘陵地形を利用した公園で、もともとは陸軍の演習場であった場所です。丘の上に「蘆花寄生木ゆかりの地碑」が建っています。徳冨蘆花が1909年に著した「寄生木」の舞台になったところとのことです。

春光台公園

旭川市

「春光台公園」を   >

そして春光台公園の「蘆花寄生木ゆかりの地碑が建つ場所」が旭川出身の作家・三浦綾子氏の自伝小説「道ありき」において、寄生木ゆかりの丘として重要な場面で登場します。その場面で、「わたしはかつて知らなかった光を見たような気がした」と三浦さんは記されています。

春光台公園

旭川市

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この春光台公園には、2014年6月に三浦綾子の文学碑・「道ありき碑」が建てられました。春光台公園を辞します。

上川郡農作試験所事務所棟

旭川市

「上川郡農作試験所事務所棟」を   >

こちらは川上地方に現存する最古の建物です。1886年(明治19年)に建てられ、解体復元などを経て現在に至ります。建物内は靴を脱いでスリッパに履き替えて見学することができます。

養蚕民家

旭川市

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時刻は15時14分、東旭川町の瑞穂にある養蚕民家にやってきました。

養蚕民家

旭川市

「養蚕民家」を   >

茅葺屋根の厚い立派な建物です。1909年(明治42年)に建てられ、平成2年から3年にかけての解体復元を経て現在に至ります。4月の終わりごろから10月の末まで、建物内部の見学をすることができ、外観の見学は一年を通して出来るようです。

養蚕民家

旭川市

「養蚕民家」を   >

この養蚕民家がある旭川市東旭川町瑞穂は、米原と豊田と合わせて米飯(ペーパン・ペイパン)地区と呼ばれています。米飯とはアイヌ語の読みに充てた字でしょうね。ちなみに、旭川市教育委員会の「アイヌ語地名表示板」の説明によると、アイヌ語でペーパンとは、ぺ・パン(pe-pan 水・飲む(飲み水)の意味)という説と、ペー・パン・ペッ(pe-pan-pet 水・あまい・川)のペッ(pet 川)が略された説の二説があり、パン(pan)には、味が薄いという意味もあるそうです。米飯地区を流れるペーパン川は、旭山の東を過ぎたあたりで西からきた倉沼川と合流し、その合流河川はJR石北本線を北へ抜けたあたりで牛朱別川と合流し、牛朱別川は旭橋付近で石狩川に合流し、石狩川は札幌の北・小樽の西である日本海・石狩湾にそそぎます。

養蚕民家

旭川市

「養蚕民家」を   >

米飯地区に福島から第一回目の入植があったのは明治31年、1898年のことです。郷里の福島で養蚕が盛んであったこともあり、この地で養蚕が行われ、明治末期から大正初期にかけては北海道の中でも屈指の養蚕地になったそうです。

養蚕民家

旭川市

「養蚕民家」を   >

建物にはお蚕様を育てる工夫が施されています。写真は二階に吹き抜けた居間で、正面には壁に埋め込まれた大きな神棚がありました。

養蚕民家

旭川市

「養蚕民家」を   >

土間と囲炉裏です。古民家の香りがしますね。気候の厳しいこの地にあって、110年前の姿を今にとどめています。養蚕民家を辞し、旭川第一小学校へ向かいます。

旭川市立旭川第一小学校は道道295号線沿いの記念坂付近にあります。この坂の上には太田神社があって、秋祭りの準備が行われていました。

記念坂の坂下には東旭川農協米飯支所があり、その近くに「拓きし路」という記念碑が建っていました。「明治三十一年五月福島団体は百二十八戸を募り第一陣五十三戸が祖先伝来の地大田村と別れ北夷の新天地を目指し出発東旭川村上ペーパンに移住す空を覆う密林に挑み耕地を拓く洪水冷害のため一物の収穫なし第二次移住に憂慮あり翌年困苦の中で簡易教育所を開設打ち続く艱難辛苦の闘い同三十六年笹の実で窮状を脱す」から始まる碑文には、昭和12年に米原・瑞穂と字名が改正され、昭和20年の戦争末期からは、国の施策により拓北農兵隊や、戦後の外地引揚者復員軍人等が入植し、その後、過疎高齢化が進み21世紀の森を誘致するという内容が刻まれています。

碑文は「幾星霜開基百年を迎え先駆者の苦悶と血涙開拓魂による「拓きし路」の偉勲をしのびここにその遺徳を後世に伝え記念とす」で閉じられています。

梅の木

旭川市

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記念坂の坂下から旭川第一小学校の校庭に向かいますと梅の木が見えてきました。本日は日曜日のため、とても静かなグラウンドです。

梅の木

旭川市

「梅の木」を   >

この梅の木は1905年に植えられたとも1911年に植えられたとも伝わります。梅はこの辺りが北限のようです。今でこそ、東旭川駅から記念坂までは車で20分ほどですが、車が走らない時代には、瑞穂に住む人々は東旭川駅から何時間もかけてペーパン地区へ歩いたことでしょう。その人々は、この北限の梅を眺めたのだろうかと、ふと考えました。

21世紀の森キャンプ場

旭川市

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21世紀の森の近くへやってきました。

東旭川公民館分館の近くには鳥居だけか建つ場所があります。以前の写真や、地図サイトの画像では、少なくとも2014年の7月まではこの鳥居の先にお社が建っていたようですが、合祀されたのでしょうか、すでに社はなく奇麗に刈られた草地が夕方の陽射しを浴びています。

こちらは東旭川公民館分館、以前は旭川第六小学校の敷地でした。旭川第六小学校は1984年に第一小学校に統合されたそうです。

時刻は18時28分、東旭川の夕焼けです。

蜂屋 五条創業店

旭川市

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旭川駅前の平和通買物公園の五条からすぐの蜂屋にやってきました。「濃いめ(ラードたっぷり)」で注文した熱々のラーメン、うまいうまいとあっという間に食べてしまいました。ごちそうさまでした。ホテルへ戻って貴重な睡眠をとります。ぐう。

5日目2018年9月3日(月)

9月3日朝8時、21世紀の森近くの草地です。開拓跡でしょうか、それとも休耕中なのか、昔もこのような朝だったに違いない、いつもの朝、そしてこれからも続く朝なのでしょう。

旭川兵村記念館

旭川市

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9時40分、東旭川駅から近い旭川兵村記念館へやってきました。

旭川兵村記念館

旭川市

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私は20年ぶりの訪問になります。

旭川兵村記念館

旭川市

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20年前とは展示方法も変わり、常設展の展示資料も多いですね。特別展では1927年から1972年まで、旭川を走っていた旭川電気軌道東旭川線・東川線という路面電車の歴史を展示していて、かつての東旭川の風景を、写真やビデオで見ることができました。

JR石北本線・東旭川駅のプラットホームです。函館・旭川方面から来た乗客が降り立つホームです。

駅前には貨物線の線路が撤去され広場となった空き地があり、駅前から延びる太い直線道路を600mほど進むと旭川兵村記念館のある旭川神社の大鳥居があります。大鳥居の手前を走る直線道路を左手に2.8km(歩いて35分ほど)で旭山動物園です。東旭川駅から旭山動物園は歩いて40分ちょっとということになりますね。

旭山動物園

旭川市

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時刻は12時30分、旭山動物園にやってきました。私がここを訪れるのは実に20年ぶり、以前訪れたときは閑古鳥が鳴くほどの、朝一番で訪れると駐車場に私の車だけという、それはそれで私好みなのですが、そういう場所でしたが、今は車が沢山、迷うこともできないほどの後続車がありますので、あれよあれよという間に東門の無料駐車場に到着でございます。

旭山動物園

旭川市

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時刻は12時50分、あーもう、これが見られただけでも満足でございますな。こっこのオランウータンが、遊んでくれ遊んでくれと大人を誘うのですが、大人のオランウータンは腰が重い。こっこのオランウータンは愛くるしい顔で大人のオランウータンをチラチラと眺めたり、頭の毛をちょびちょぴと触ったりしていますと、ようやく大人も重い腰を上げ、塔を上り、上の写真の様子と相成りました。思わず歓声をあげる人々でした。

時刻は15時前、いよいよ東旭川ともお別れです。21世紀の森へ続く道には野生のキツネが住み着いているようでして、何度となくお目にかかりました。そのたびに一目散に逃げていたキツネですが、最後はヘビと格闘中のキツネくん達、ヘビを置き去りにして逃げるのは惜しいと思ったのでしょうか、車の中からカメラを構えても逃げませんでした。野生のキツネはエキノコックスという危険な寄生虫をもっていることが多いそうなので、あまり近づかないようにします。この後、16時半ごろに東旭川を離れ、函館のフェリーターミナルに着いたのが夜中の2時過ぎ、台風が近づいていましたが、私の乗る9時半の便は通常通り運航する模様でしたので安心して早朝の函館駅付近を観光します。

6日目2018年9月4日(火)

きくよ食堂 本店

函館市

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函館駅周辺を4時頃から歩き回ります。JR函館駅前の「OYAKO」というモニュメントをみたり、青函連絡船記念館摩周丸の前のイカ広場にある光のモニュメントをみたりしましたが、本日は雲が厚いということもあってか、なかなか明るくなりませんでした。4時40分ごろからは摩周丸の写真も撮れるくらい明るくなってきて、5時からは、函館朝市のお店で朝食を食べました。写真はきくよ食堂本店のうに・えび丼(税込・2376円)でございます。ボタンエビの向こうにはたっぷりのウニがご飯を覆っている状態です。いやー、満足満足、これは美味しかったですな。ごちそうさまでした。

函館

函館市

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朝の函館を歩き回ります。雲が低く垂れこめて霧雨が降り、台風が接近する中、風が強く吹いていました。まだ路面電車が走りださない時間でしたが、ひと気のないきれいな街を歩くというのもまた良かったです。函館の街を観光した後、フェリーターミナルへ向かい、レンタカーを返して、9時半函館発11時大間着の津軽海峡フェリーに乗船、大間からは国道279号線で下北半島を南下し、三沢の小川原湖畔と航空科学館を目指しました。

青森県立三沢航空科学館

三沢市

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14時過ぎ、三沢航空科学館にやってきました。台風が近づいていることもあって高速道路の通行止めも予想され、あまり長くは居られませんので、一番見たかった「十和田湖の湖底から引き揚げられた旧日本陸軍の一式双発高等練習機」をじっくり拝見しました。

青森県立三沢航空科学館

三沢市

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こちらは映画の撮影に使用された零戦21型の実物大レプリカです。この後、下田百石から八戸自動車道に乗り、東北自動車道・首都高を通って神奈川へ帰ります。台風が近くを通る際は横風が強く、雨が強く降って、なかなか手ごわかったです。

7日目2018年9月5日(水)

海老名サービスエリア(下り線)

海老名市

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夜の1時46分、海老名サービスエリアに到着、この時間でもこのサービスエリアは多くの車や人が休憩されていました。本州内1900kmほど・北海道内1071kmを走ったことになります。旭川は遠いですね。長距離のドライブは久しぶりでしたので、かなり疲れましたが、自分のルーツに感謝する良い旅になりました。

【下北半島から】旭川を訪ねる旅。2018年9月【函館経由】

1日目の旅ルート

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