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空っ風くんさんの岩手県〜福島県の旅行記

東北三県の名刹(中尊寺、毛越寺、立石寺)と名城(鶴ヶ城)を訪ねる三泊四日の旅!!

  • 夫婦
  • 2人

9月19日早朝【東北三県の旅】と題して我が家を出発。東北道を一路、北へ北へと車を走らせ最初の目的地、一関ICに到着したのは正午過ぎ。昼食を済ませ猊鼻渓で舟下り、その後、厳美渓にて渓流の鑑賞。走行距離約410Kmの慌ただしい一日目が終了しました。翌日は、世界遺産の中尊寺と毛越寺を訪れ素晴らしさに感動しながらも、余韻に浸る暇もなく、山形県の立石寺(通称、山寺)へ、1000を超える石段との戦いの山登り。クタクタの二日目が終わりました。三日目は福島に出向き鶴ヶ城を見学。城の美しさにただただ驚きです。四日目の帰宅日は大内宿でゆっくり・ゆったりの宿場見学。帰宅後、何か物足りなさを感じ、ガイドブックを見直すと・・・見落とした観光場所の多さに、ガックリ。次の機会には後悔のない旅がしたいと思う毎日です。

神社ツウ 空っ風くんさん 男性 / 70代

1日目2015年9月19日(土)

猊鼻渓

一関市

「猊鼻渓」を   >

この旅の最初の訪問先“猊鼻渓”です。数日前の台風の影響で、川の水かさが増し昨日までは川下りが出来なかったとのことで・・・

猊鼻渓・舟下り

一関市

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船着き場に来ています。いよいよ、この次の舟で舟下りが始まります。結構、多くの人たちが乗り込むようで・・・大丈夫かなぁ〜??チョット心配です。

出航です。そんなこんなで舟は岸辺を離れました。ゆったりと船頭さんの舵取りで進み始めています。清らかな渓流下りを優雅に楽しみたいと思います(^.^)

約100mの高さの断崖がそびえたっています。皆さん見上げて、その独特の景観に驚きの表情を隠せない様子です。

猊鼻渓の毘沙門窟。大きな岩の根元に洞窟が掘られ毘沙門天が祀られています。奥行は約30mほどあり、鍾乳洞になっているようです。船頭さんの話では、お賽銭を入れたい人は船頭さんに渡しておくと、後で入れておいて頂けるようですが、今日は賽銭箱が見当たりません。先日の台風の影響???

こちらにも舟が・・・ちょっと小さいようです。結構、断崖の近くを下っています。気を付けていってらっしゃ〜い!!

船頭さんが、名物の「けいび追分」を聞かせてくれています。そろそろ川下りも終盤戦に入っってきたようです。楽しい舟下りを有難うございました。ちょっと、水かさが多くて怖いような気持ちもありましたが、慣れた舵取りで安心して乗っていられました。

厳美渓

一関市

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続いてやってきたところが厳美渓です。岩手県の誇る二大渓谷の一つで、猊鼻渓とは異なる美しさを持つ厳美渓です。では、心いくまで美しさを堪能したいと思います。

“渓流と豊かな緑に恵まれた岩手最南端の地”という雑誌のふれこみ通り、素晴らしい景観を見せています。既に、9月の下旬近くではありますが、まだまだ緑豊かな渓谷です。

渓流に削られて出来上がっている岩々が織りなす彫刻美は実に素晴らしいものです。これが、2Kmにもわたって続いているというのですから・・・。「日本百景」に選ばれるのも当然なのかも知れません(*^▽^*)。。。

綺麗な一枚が撮れました。西日が差し込み、やや逆光となったものですが良いものです。岩壁と水流と日の光が美しいコントラストを描いています。さ〜て、今日は朝早い出発と長距離運転で疲れてきたようです。宿泊先に行きたいと思います。

亀の井ホテル 一関

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今日の宿泊先は「かんぽの宿一関」さんです。厳美渓に近いことからこちらに決めました。明日は、世界遺産の中尊寺と毛越寺を見学し、山形の立石寺(山寺)を登る計画です。かなり強行軍なので、今日はゆっくり湯に浸かり疲労回復に努めます。

2日目2015年9月20日(日)

亀の井ホテル 一関

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9月20日午前5時30分。「かんぽの宿一関」さんの部屋から撮影しています。規律正しく区画された田の稲穂が、黄金色に輝いているようです。遠くに見える山並の稜線が綺麗です。二日目の旅が始まろうとしています。

達谷窟毘沙門堂

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)。中尊寺に向かう途中、由緒ありそうなお寺が見えたので立ち寄りました。国指定史跡で、延暦二十年・坂上田村麿公創建とのことです。

毘沙門堂。岩壁を背にして鮮やかな朱色で建立されています。毘沙門様は、寅年守本尊で、悪鬼を降し福を招く、財宝・官位・智慧・寿命の他に縁結び・子宝・学業成就。また、軍神の故勝負事等の必勝祈願、諸々の願いが叶う・・・と言われ、絵馬を奉納すると良いといわれているようです。お願いすると、全て叶いそうですヨ(^^♪

屋内も大変綺麗に管理されており見事です。合掌して「ヲンペイシラマナヤソハカ」とご真言を唱えると良いそうです。

中尊寺

平泉町(西磐井郡)

「中尊寺」を   >

中尊寺にやってきました。中尊寺は、藤原氏の初代・清衡公が、合戦で亡くなった人たちの霊を慰めるために造営されました。ただ、金色堂を除き当時の建物は、火災でほとんどが焼失してしまったようです。それにしても、広いですね〜!!どこをどのように見たらいいのか・・・。時間の関係もあるので、主だった箇所を優先して見ることとします。

中尊寺

平泉町(西磐井郡)

「中尊寺」を   >

参道の入り口です。いつ来ようかといつも思っていましたが、漸く来ることができました。奥州藤原氏の築いた仏教文化の理想郷を、世界遺産を・・・この目で見られるかと思うとゾクゾクしてきます。(^_-)-☆

参道を歩いています。月見坂(表参道)といわれています。それにしても、この両脇の杉がすごいです。一般的に、樹高30m、目通り幹囲5.1m、推定樹齢は300年以上といわれているようです。(*_*;

弁慶堂。文政10年(1827)の建立で、義経・弁慶の木像を安置しており、明治以降に弁慶堂(以前は愛宕堂と呼ばれていた)と呼ばれるようになったとのことです。

弁慶の姿・・・これは、弁慶の記念写真スポットです。記念に一枚!!

本堂の門前です。この門の“中尊寺”という文字すごく良いですね。中尊寺は、天台宗東北大本山で開山は850年になります。比叡山延暦寺の、高僧慈覚大師円仁によると伝えられています。では、本堂にお参りさせて頂くこととします。

本堂は、中尊寺一山の中心で、ほとんどの法要儀式や行事がここで行われます。中尊寺は、天台宗の天本山であることから、本尊の両脇にある灯籠に、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されています。お参りできたことの感謝の報告をさせて頂きました。

観音堂。本堂の斜め向かいにありました。本堂の向かい側と言うこともあるのでしょうか、参拝者もいない様子で、ひっそりとした佇まいでした。

中尊寺金色堂

平泉町(西磐井郡)

「中尊寺金色堂」を   >

いよいよ金色堂です。パンフレット、雑誌等でお馴染みの金色堂が輝いています(^_-)-☆。天治元年(1124)に上棟され、中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物だそうです。堂内に入ると、内外に金箔の押された金色は、まさに「皆金色」と称され、眩いばかりです。写真撮影が禁じられているのが残念でなりません(-。-)y-゜゜゜

旧覆堂。金色堂を風雪から護るために、鎌倉幕府によって建てられたと伝えらています。金色堂解体修理(昭和)の際に現在地に移築されました。

「奥の細道」でお馴染みの松尾芭蕉像。句碑と一緒にありました。句碑には「五月雨の降のこしてや光堂」 “さみだれの ふりのこしてや ひかりどう”と言う句です。金色堂の素晴らしさに感動し詠んだ句と言われています。

御朱印帳を買いました。これは、東北四寺廻廊の御朱印帳です。中尊寺と毛越寺、立石寺に・・・瑞巌寺?!。さてさて、弱りました。今日と明日で三寺廻りますが、瑞巌寺だけ行けません( ゚Д゚)。どうしようか〜〜〜。

何はともあれ、中尊寺で頂いたくことに!!。頂きました(^^♪♪♪

毛越寺

平泉町(西磐井郡)

「毛越寺」を   >

毛越寺にやって来ました。毛越寺は、藤原氏の二代・基衡から三代・秀衡の時代に造営されています。かつては、中尊寺を凌ぐほどの規模を誇っていたようですが、火災によりほとんどが焼失したとのことです。

山門をくぐって少し進んだところに本堂があります。鮮やかな朱色に、白色の壁、緑色の窓格子と平安様式の建物が見事です。心を込めてお参りをさせて頂きました。

毛越寺浄土庭園

平泉町(西磐井郡)

「毛越寺浄土庭園」を   >

歩くと、大きな池と美しい庭園が目に飛び込んできました。(*^▽^*)。。。浄土庭園です。浄土世界を表現した名庭園といわれるその景観は、充分にその存在感を見せつけているようです。

この大泉が池は、東西に約180m、南北に約90mの大きさがあります。池の立石や中州のような島も、見る私たちに立体感を持たせてくれているようで良いものです。

背後にそびえる山との調和も風流な景色が感じとれます。平安時代に書かれた、日本最古の庭園書「作庭記」に基づいて作られた庭園とのことです。

池のほとりに小舟が着けられています。絵になりますね〜(^.^)。。。見てて飽きがこない・・・充実した時間が流れていくようです。

庭園の西の端に開山堂があります。校倉造りのお堂で、このお寺の開山の祖・慈覚大師をお祀りしております。お参りさせて頂きたいと思います。

遣水。池に水を取り入れる水路で、平安当時のままの姿で発見されたとのことです。そのままの姿とは・・・\(◎o◎)/!驚きです。毎年5月に当時の歌遊びを再現した、曲水の宴も開催されているとか!!。

遣水についての表記です。詳細に説明されています。

曲水の宴の案内が立てられていました。さて、引き上げるのも勿体ないようなこの美しい景色ともお別れしなければなりません。これから、山形の立石寺に行き登山(参拝)をしなければなりません。中尊寺、毛越寺とも、是非もう一度訪れたいと思います。

毛越寺で頂きました御朱印です。

宝珠山立石寺

山形市

「宝珠山立石寺」を   >

本日の最後の訪問先、立石寺(通称、山寺)の登山口にいます。このお寺は、天台宗の寺院で本尊は薬師如来。先ほど参詣しました平泉の中尊寺と毛越寺、残念ながら、今回の予定にはありませんが、松島の瑞巌寺とともに「四寺廻廊」という巡礼コースの一寺です。

根本中堂。こちらで参拝して、登山の無事をお願いしたいと思います。隣には「布袋様」が座しておりますので"なでなで"すれば、ご利益があるとか。!(^^)!私たちもご利益に肖りたいと思います。

さて、これより登山の開始です。この立石寺のゴールは「奥の院」で、そこに辿り着くには1000段以上に及ぶ石段を上がって行かなければなりません。その道は、決して楽なものではなく険しい道のりです(言いすぎかも??)。まぁ、ちょっとした山登りです。

これが境内図っていいますか・・・案内図です。これを見る限りでは楽そうなのですが、はたして・・・(*´з`)。。。気を引き締めて出発します。

山登りが開始されました。松尾芭蕉が詠んだ有名な句があります、「静けさや岩にしみ入蝉の声」・・・。芭蕉が弟子の曾良と山寺を訪れた時に、静寂の中に蝉の鳴声だけが響き渡る様子にに感動し、残した句だと聞きました。凄いものですね(*^^)v。。

山形随一の景勝地である山寺は、奇岩、怪岩、杉木立の静寂に包まれているようです。あちらこちらに奇岩とも思われる岩壁が見られます。

松尾芭蕉が詠んだ「静けさや・・・」の名句の"せみ塚"まで来ました。せみの声はしていませんが、何処からか鳴声が聞こえてくるようです。先はまだまだです(*´з`)。。。

弥陀洞。凝灰岩が風化して阿弥陀如来弥陀の姿を形作っているというのですが・・・そして、仏様の姿に見える人には幸福が訪れるという「言い伝え」があるようなのですが、分かりません。何か文字が書かれています???

仁王門に到着しました。優雅な門に見えます。門の左右に怖そうな顔をした仁王像が睨みをきかせています。ちょっと休憩をとることとします。

仁王門の説明案内立てがあります。

大分頑張ってきました。見上げると、納経堂と開山堂が見えます。結構なところまで登ってきたようです。もうひと踏ん張り( `ー´)ノ。。。

納経堂と開山堂に到着。向かって右の開山堂は立石寺の開祖・慈覚大師の御堂です。この御堂の崖下にある自然窟に大師の御遺骸が埋葬されているとのことです。向かって左の、赤い小さな堂は納経堂といい写経が納められています。漸くここまでたどり着きました。

納経堂と開山堂を見学後、すぐ近くのこの五大堂にきました。ここは舞台式となっているお堂で、眼下に門前町と山里の景観を望むことができます。

開山堂と五大堂についての案内があります。

五大堂の舞台上から胎内堂を見ています。胎内堂は、絶壁の途中に建てられており、かつては「胎内くぐり」という数メートルの穴を這って、そこまで行けたようですが現在は入洞禁止です。

こちらは釈迦堂です。同じく五大堂の舞台上から見ています。修行の岩場(釈迦が峰)の下方に位置するお堂で、名称通り釈迦如来が安置されているといわれています。やはり立入禁止です。

漸く奥の院に到着しました。1000段とも1075段とも言われていますが、クリア致しました。達成感でいっぱいです。(^。^)y-.。o○。。。無事にこられたお礼を込めて参拝したいと思います。"有難うございました"!!。でも・・・これから下らなければならなかった・・・?!。

下りも大変ですが無事に・・・御朱印も頂きました。安心したところで疲れが一気に出てきました。本日の宿泊旅館に向かいます。

天童温泉 松伯亭 あづま荘

「天童温泉 松伯亭 あづま荘」を   >

今日の宿泊旅館は、天童市の天童温泉「松伯亭あづま荘」さんです。お世話になります( ^^) _U~~。とにかく、汗まみれ状態なので早速、温泉に浸かることとします。夕食時のビールはさぞかし美味しいことでしょう(*^^)v。。。

3日目2015年9月21日(月)

天童温泉 松伯亭 あづま荘

「天童温泉 松伯亭 あづま荘」を   >

三日目です。今日は、福島の鶴ヶ城見学と洒落こみます(*^^)v。。。ここ「松伯亭あづま荘」さんのチェックアウトを済ませ向かうこととします。が、昨日の疲れでしょうか?足が重くて怠いです。幸い、予定は鶴ヶ城だけですのでノンビリと向かうつもりです。

天童市といえば将棋の駒が有名です。そこで「ひだりうま」を買うこととしました。「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされているようです。「うま」を逆から読むと「まう」と読め、「まう」は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるとか。「左馬」は福を招く縁起のよい駒とされているとのことでした。 "福"がたくさん舞い込みますように・・・!(^^)!

鶴ヶ城(若松城)

会津若松市

「鶴ヶ城(若松城)」を   >

鶴ヶ城の城廻りの駐車場を車はゆっくりと進んでいます。会津若松の街中も結構な込み具合で、予定よりも遅れてしまいました。更に、天童で少し時間を使い過ぎたようです。

駐車場に着き、鶴ヶ城に向け歩を進めています。遠くから見るこのお城も見ごたえタップリで良い感じです。

近くに来ました。会津若松"鶴ヶ城"です。鶴ヶ城といいますと、赤瓦の美しさはこの街のシンボルではないでしょうか!!。城内に入り見学したいと思います。

戊辰戦争の激しい籠城戦に耐え抜いた名城の鶴ヶ城天守閣から、城下を見下ろしています。現在の天守閣は昭和40年に復元されたものすが、この雄姿は城下町である会津若松にはなくてはならない存在となっていることでしょう!!。

左の写真が切れてしまい、千飯櫓と南走長屋が写っていないのが残念ですが、表門から五層の天守閣へと繋がるこの全景、風格があってすごく良いです。

鶴ヶ城公園としても大変整備されています。今、千家ゆかりのお茶室「麟閣」に通じる通路を歩いています。喉も渇き始めたので、このへんで一服したいと思います。

お茶室「麟閣」。千利休は豊臣秀吉の怒りを買い死を命じられました。秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主「蒲生氏郷」は、少庵(しょうあん=利休の子)を会津にかくまい、千家の再興を願い出ました。その恩義に報い少庵が建てたのがこの「麟閣」と伝えられています。

そんな良い話を聞きながら「茶」をすするのもこれまた一興です。いい庭を見ながら美味しいお茶と茶菓子・・・心落ち着くひと時でした。さて、そろそろ旅館に向かうこととします。今日の宿泊先は猪苗代湖の畔です。時間帯によっては、渋滞が予想されますので早めの出発にします。

猪苗代湖畔の宿 志田浜温泉 レイクサイド磐光

本日の宿泊旅館「レイクサイド盤光」さんです。一晩お世話になります(^^)/(^^)/。早速、猪苗代湖の見えるお風呂に入り一日の疲れを取ることに・・・。

4日目2015年9月22日(火)

猪苗代湖畔の宿 志田浜温泉 レイクサイド磐光

旅行四日目、今日は帰宅します。その前に、大内宿でも散策することに決めました。

大内宿

下郷町(南会津郡)

「大内宿」を   >

旅館から車を走らせること二時間弱、混雑が予想されたので早めの出発でしたが結構な時間が掛かってしまいました。大内宿は、既に混みあっています。でも本日の見学場所はここだけですから慌てません。

ここは、江戸時代に会津西街道の宿場町として栄えたそうで、今でも茅葺屋根の民家が沿道に規律正しく並んでいます。

山里の雰囲気がそのまま残っている場所で、現在の民家は食事処や土産屋さんなどが多数あります。昼食時なので、腹ごしらえをすることにします。

名物の「高遠そば」を頂くこととしました。これは、一本のネギを箸代わりにして食べるもので、ネギの甘さと辛さが微妙に良いです。さて、お腹もいっぱいになり、我が家も恋しくなってきたので帰宅の準備に取り掛かります。

駐車場に向かう途中の高台から大内宿を撮っています。茅葺屋根の大内宿の民家が綺麗に並び、良い景観を見せています。今回の旅はここで終わりでが、一点心残りがあります。四寺廻廊の御朱印が、松島の瑞巌寺だけ頂いておりません。帰宅して、新しい計画を立て必ず近いうちに訪れたいと思います。

東北三県の名刹(中尊寺、毛越寺、立石寺)と名城(鶴ヶ城)を訪ねる三泊四日の旅!!

1日目の旅ルート

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