やんまあさんの宮城県〜奈良県の旅行記

大阪ミナミI◆1400年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」&天王寺周辺
- 1日目2021年10月5日(火)
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なら博に続く聖徳太子展。なら博『◆奈良P◆なら博「聖徳太子と法隆寺」!戒壇堂&通常非公開・千手堂特別公開!』は参照。
- 2日目2021年10月6日(水)
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◆聖徳太子 日出づる処の天子◆聖徳太子没後1400年記念として、大阪市立美術館で天王寺中心の聖徳太子所縁の宝物がこれでもか!と展示された。
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◆聖徳太子 日出づる処の天子◆詳細は3日目参照。
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大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-8。大通りに面しているにもかかわらず境内に入ると杜に抱かれ静かな空気に包まれる。祭神は第32代「崇峻天皇」で配神に「小手姫皇后」、「蜂子皇子」、「錦代皇女」を祀る。物部氏との戦いに勝った蘇我氏側に着いた天皇だが、時は流れ蘇我氏の横暴により暗殺された天皇である。境内は狭いが末社に熊野第一王子之宮があった。もともとは現在の天満橋付近にある「坐摩神社@一宮」に祀られている窪津王子を分霊したようだ。分霊した理由は熊野三山詣はここから始まるとされたためだそうだ。京都にも天皇の熊野詣により分霊した神社が数多くあるが、平安京前から熊野詣をされていたということか。第33代・推古天皇の時代、四天王寺建立と同時期に、聖徳太子が叔父の第32代・崇峻(すしゅん)天皇を偲んで茶臼山に建立したと伝えられ、四天王寺七宮のひとつに数えられる神社です。
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堀越神社
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堀越神社
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堀越神社
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大阪府大阪市天王寺区逢阪1-3-24。少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社です。大坂夏の陣で戦死した真田幸村の記念碑が建てられています。少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社です。昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母の覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)しました。当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらいました。これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれています。安居神社は、その道真の死後の天慶5年(942)、道真の霊を祀るために村人たちが建てたものです。また、当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、「安井」が「安居」になったといいます。境内には、道真も口にしたといわれる天王寺七名水のひとつ「かんしづめ(癇鎮め)の井」のほか、大坂夏の陣で徳川方に討たれて戦死した真田幸村の記念碑が建てられています。
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現在の大阪城付近に生島神・足島神を祀ったのが始まりで延喜式名神大社。一般的には「いくたまさん」と呼んでいるが、正式名称は「いくくにたま」で「難波大社」とも称される。大阪城を築く際、現在の地に移転し「生國魂造」様式という唯一無二の社殿。とにかく摂社・末社が多い。
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祭神は「生島大神(いくしま)」と「足島大神(たるしま)」で、相殿神に「大物主大神」。 生島大神と足島大神は、古事記に登場しない神で、一説には、難波の地主神ではないかと言われているが、平安時代の宮中では、大八洲(日本国土)の神霊、国土にあるものを生成し充足する神様として、別格の扱いを受けていたよう。
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階段を下りてすぐの左手にある。祭祀はオオクニヌシの長男坊「事代主神」と「比メ大神」。元々は弁財天とのことから、比メ大神は「市杵嶋姫命」と考えるのが妥当と思われる。
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「近松門左衛門」をはじめとする、文楽(浄瑠璃)関係者」が祀られているという。
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祭神は、「手置帆負神(たおきほおい)」、「彦狭知神(ひこさし)」。岩戸隠れ神話で、岩戸から出た天照大御神が入ったという「瑞殿みずのみあらか」という御殿を建てた神様。工匠守護の神とされる。
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祭神は「天目一箇神(あめのまひとつ)」、「石凝ド売命(いしごりどめ)」、火の神「香具土神」と珍しい神様が。
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「きたむきはちまんぐう」と読む。当時は大阪城の方向を向いて鎮座していた。すなわち北向き。であるからして、城方向と書いて北向きと読むそうな。祭神は八幡大神(応神天皇(ホンダワケ)、神功皇后、玉依比売命)である。
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一番奥に「しぎの神社」が鎮座する。一見して「蛇神」もしくは「龍神」が祀られていると思わせる雰囲気である。もともとは大阪城の北東「弁天島」という中州にあったらしい。現在のOBP辺りであろうか。淀殿の信仰ことのほか篤く、頻繁に参拝されたと聞く。
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祭神は「源九郎稲荷大明神」と「八兵衛大明神」である。源九郎稲荷大明神大和郡山市の「源九郎稲荷神社」からの分霊と思いきや、「奈良県吉野からの分祠」とある。ご利益は、五穀豊穣・商売繁盛とのこと。
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鴫野神社の裏手に、「御神木」があった。前述の通り、祠に近づくにつれて、明らかに「蛇神」もしくは「龍神」が祀られていると思わせる雰囲気(水気、湿った土の香り、まとわりつく湿気的な雰囲気)この御神木、白蛇の棲み処なので「巳さんの御神木」と言われている。やはり「蛇神」であった。
- 3日目2021年10月7日(木)
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「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」「聖徳太子童形半跏像」が登場!太子像で半跏像は珍しい。
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院恵・院道作「聖徳太子摂政坐像@重文」が展示されていた。
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「 聖徳太子勝鬘経講讃坐像@重文」が展示されていた。
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白毫寺
奈良ではなく、兵庫でもなく、京都にある白毫寺から、「聖徳太子二歳像(南無仏太子像)」が展示。お馴染みの2歳像ですね。
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奈良時代に推古天皇・聖徳太子・行基等が開創と伝えられるところが多い。「聖徳太子童形立」。
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「聖徳太子童形坐像・二王子立」が展示されていた。太子三尊形式も珍しいが、太子が坐像と立像の三尊見比べができるようになっているのが面白い。◆注目の「聖徳太子童形立像(植髪太子)」も展示。ロン毛の珍しい仏像が厨子に守られ展示されていた。
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「聖徳太子童形立像・二王子立」が展示されていた。太子三尊形式も珍しいが、太子が坐像と立像の三尊見比べができるようになっているのが面白い。◆第3章 大阪・四天王寺の1400年──太子が建立した大寺のあゆみ⇒四天王立像も展示。
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善春作「聖徳太子童形立像@重文」登場!孝養像と呼ばれるもので、太子16歳の時、父用明天皇の病気平癒を祈る姿。
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「聖徳太子童形立像@重文」は胎内に納入されていた『法華経』『勝鬘経』などの経巻から1286年作である。
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「菩薩半跏像」展示。
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「如意輪観音半跏像」は平安時代から桃山時代作という不思議な如意輪。周りには四天王が安置されていた。
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よさげな「救世観音半跏@重文」だなと思い、どこの寺だとみると「三千院」。どこの?と思うと京都とあった。こんなの安置していたっけ・・。
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施行院
「聖観音立像」が現れた。どうも四天王寺の古材からできているらしい。日本は昔からリユースしていますね。
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「阿弥陀如来坐像・両脇侍立像@重文」は平安時代作で脇侍の足が特徴。一方、脇侍像は、片足を後ろに蹴上げ、腰を大きく捻る特異な姿から、供養菩薩のような仏像であったのではないかと考えられる。
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「地蔵蔵菩薩立像・阿弥陀如来立像」が展示されていた。この二尊形式は初めて見た気がする。左甚五郎作「虎像伝」が展示。やはり社殿の彫師と言えばこの人ですね!
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666年白鳳時代の有名仏「弥勒菩薩半跏像@重文」も来ていた!やはり小さいが惹きつけられる何かがある。また江戸時代ながらも「聖徳太子童形倚坐像」という珍しい仏像も。別名「中の太子」とも呼ばれる「河内三太子」のひとつで「やちゅうじ」と読む。その他の河内三太子は太子町・叡福寺の「上の太子」、八尾市・大聖勝軍寺の「下の太子」とならぶ
- 4日目2021年10月8日(金)
大阪ミナミI◆1400年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」&天王寺周辺
1日目の旅ルート
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