トシローさんの岐阜県〜宮崎県の旅行記
九州東部(宮崎・大分)の名城と史跡巡り
- 1日目2023年12月20日(水)
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08:00-09:00
朝、羽田空港を飛び立ち宮崎ブーゲンビリア空港着、天気は快晴でしたが最強寒波到来とあって関東より寒い。隣の田吉駅で日南線に乗り換えて飫肥駅へ向かいます。
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10:00-11:00
田吉駅から日南線を下り約1時間で飫肥駅に到着、駅から歩いて飫肥城跡を目指します。途中飫肥藩の藩校であった振徳堂に立ち寄り見学、小村寿太郎もここで学んだそうです。
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10:00-11:00
振徳堂の直ぐ奥には田之上八幡神社が鎮座し、石段途中右手には注連縄を回した巨木が。推定樹齢400年超、幹回りが何と9m超えの見事なクスノキの大木です。
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11:00-12:00
飫肥城は日本百名城の城、大手門には既に新年の立派なお飾りが備えて有りました。この大手門は重厚感が有り歴史も感じますが、実は昭和後期の復元建築だそうです。
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11:00-12:00
大手門を潜り飫肥城歴史資料館までの道、ここが最も飫肥城跡らしい景観だと思います。飫肥城歴史資料館の前を進み、小高い丘の上に本丸跡が在りました。
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11:00-12:00
飫肥城の本丸跡には杉の木が数多く並び生えていました。飫肥は杉の名産地でもあり、本丸跡も飫肥杉がしっかり護っています。
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11:00-12:00
飫肥城の周辺地域は美しい城下町の景観が見事に保存され、広範囲に維持されています。当然の事ながら重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、これだけ自然な形で残る江戸時代も珍しい。
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12:00-13:00
飫肥の名産グルメと言えばおび天、おび天とは魚のすり身の揚げ物ですが薩摩揚げとは似て非なり。豆腐が入るのでふわりとしていて、黒砂糖を加える事により甘味も有ります。おび天蔵さんでは店内で製造実演販売もしていました。
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12:00-13:00
飫肥城下町案内処横には四半的射場が在り、実際に弓を射る事も出来ます。四半的とはかつて武士の間で行われていた宴会の余興で、四間半先の的を弓で射る娯楽競技。歴史的文化遺産として、的を見るだけで十分です。
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12:00-13:00
商家資料館
日南市
飫肥城下町の国道222号線沿いに建つ商家資料館、元は飫肥の山林王だった地元名士の屋敷だそうです。内部は飫肥杉をふんだんに使った豪壮な造りでした。
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12:00-13:00
飫肥出身の明治の外交官であった小村寿太郎、飫肥藩士の家に生まれ振徳堂で学びハーバード大学に留学もした逸材。駅近くの竹香園グラウンド奥には、ポーツマスの方角を向いた銅像が建っていました。
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15:00-16:00
飫肥駅から日南線を戻って宮崎神宮駅で下車、宮崎神宮を参拝します。宮崎神宮駅から西へ徒歩5分、東参道から入り先ずは国の天然記念物オオシラフジの木を見学。推定樹齢400年、白藤では日本最大だそうです。花は無くとも、見事な枝ぶりは龍の如くでした。
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15:00-16:00
宮崎神宮は地元では「神武さま」と呼ばれる、由緒正しき古社。敢えて手を入れない自然の森に囲まれていて、大神社には珍しい境内環境です。
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15:00-15:00
宮崎神宮の本殿裏手には宮崎県総合博物館と民家園が在り、民家園には宮崎県内各地の特色を持つ古民家4棟が移築復原されていました。
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15:00-16:00
民家園には4棟の茅葺古民家が建ち、その内の旧黒木家住宅は国の重要文化財に指定されています。約200年ほど前に建てられた建築物で、県南西部の分棟型農家の典型だそうです。
- 2日目2023年12月21日(木)
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08:00-09:00
二日目は宮崎駅から日豊本線を上りながら旅します。朝は美々津の駅で下車し、駅から歩いて美々津の町へ向かいます。20分程歩くと美々津海岸が見えてきました。
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08:00-09:00
美々津の町並みも重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、日向灘に面した海運で栄えた町です。かつては「美々津千軒」と呼ばれるほど、商家が建ち並んでいたそうです。
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08:00-09:00
美々津海岸に鎮座する立磐神社は、初代天皇である神武天皇が東征の際に戦勝と安全を祈願したと伝わる由緒ある神社。
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08:00-09:00
美々津海岸の立磐神社の直ぐ横には日本海軍発祥の碑が建っていました。何故美々津港が?と思いましたが、神武天皇の東征が日本初の海軍だったとの説明に渋々納得。
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08:00-09:00
美々津は耳川が日向灘に注ぐ河口に栄えた海運の町、京阪神との交易により繁栄したので町並みにも京都や大阪の町屋造りを取り入れています。
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08:00-09:00
美々津の町には上町・中町・新町通りが在り、各々の通りに歴史的建造物が並びます。中町通りに復元された大商家「河内屋」が、日向市歴史民俗資料館として開館しています。
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10:00-11:00
美々津駅から延岡駅へ、延岡駅からはバスに乗り市役所前バス停で下車。市役所庁舎横の北大手門から延岡城址である城山公園に入ります。
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10:00-11:00
北大手門から入ると、いきなり目の前に巨大な石垣が迫ってきます。「千人殺し」という物騒な名の巨大石垣、礎石を外すと崩れ落ちて千人の敵を倒すと伝わっています。礎石はどうやって外すのでしょうか?
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10:00-11:00
内藤記念博物館は延岡城址西の高台に在り、館からは延岡城址が良く見渡せます。立派な真新しい記念館で、旧延岡藩主であった内藤家の邸宅跡に昨年リニューアルオープンしたばかり。
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10:00-11:00
内藤記念館内には日本庭園も整備されていて、旧藩主邸宅跡の名残を遺しています。古井戸や石灯籠は往時のまま利用されていました。
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11:00-12:00
延岡城址からは歩いて延岡駅に戻る途中、今山八幡宮に参拝しました。延岡市の中心部に在り、今山の山上に鎮座する延岡随一の大社です。
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13:00-14:00
延岡駅から日豊本線を上り、県境の宗太郎峠を越えて大分県の佐伯駅へ、この区間は青春18きっぷの難関区間で、普通列車は早朝と夜遅くの2本のみ。仕方なく、「宗太郎越え」は特急にちりんを利用。佐伯駅前の観光案内所で、佐伯城跡へのアクセスをチェック。声優さんの様な可愛い声の女性から、途中の見所も含めとても丁寧にガイドしてもらいました。
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13:00-14:00
「歴史と文学のみち」は養賢寺からで、養賢寺は佐伯城藩主であった毛利家の菩提寺。とても大きな寺で毛利家の墓所も見学したかったのですが、修行の寺ですので一般の拝観は不可との事で断念しました。
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13:00-14:00
佐伯城跡へ向かうには「歴史と文学のみち」を散策しながらがお勧めと観光案内所で聞いて大正解。美しい石畳の道沿いは、石垣と白壁が連なり、城下町の風情を色濃く遺しています。
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13:00-14:00
歴史的建造物が連なる「歴史と文学のみち」の途中には、明治時代に国木田独歩が下宿していた旧坂本家の屋敷が国木田独歩館として公開されています。
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13:00-14:00
国木田独歩館の先には茶室汲心亭が在り、庭園は自由に見学出来ます。茅葺の草庵「五味庵」は趣が有り、お茶を味わうには最高の場かなと思います。
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13:00-14:00
佐伯城跡に着くと三の丸櫓門が出迎えてくれます。佐伯城跡における唯一の現存建築遺構であると共に、佐伯城跡最大のシンボルです。
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14:00-15:00
三の丸櫓門を潜ると城山公園の広場、特別の施設も無くグラウンドの様になっています。地元の名士である政治家の銅像だけが目立ちました。
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14:00-15:00
三の丸櫓門から佐伯城本丸跡に登るルートは三つ有りますが、一番無難な独歩碑の道を選びました。それでも登り甲斐は充分でしたので、他のルートは更にきつい登山道の様です。本丸跡にはしっかり石垣が遺っていました。
- 3日目2023年12月22日(金)
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08:00-09:00
3日目朝は大分駅から臼杵駅へ、駅から歩いて臼杵城跡の在る臼杵公園に。公園東側の警察署前から入ったので、最初は高台の普通の市民公園の様に見えました。
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08:00-09:00
公園中央に行くにつれてしっかり遺る石垣が確認され、ここが臼杵城跡だと判ります。臼杵城はあの有名なキリシタン大名・大友宗麟の居城でした。
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08:00-09:00
復元天守は有りませんが、天守台の石垣は天守の存在を想像させるに充分な形状です。三重の天守だった様で、周囲の櫓も30基程有ったというから城郭の豪壮さは想像を絶します。
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08:00-09:00
今も臼杵公園から臼杵湾は見渡せますが、明治時代の廃城までは城下まで海だったそうです。今は埋め立てられて市街地となっていますが、海際の絶景の城だったのでしょう。
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08:00-09:00
大門櫓は臼杵城跡で最も大きな建築物、復元遺構ではありますが臼杵城跡の顔とも言えるシンボルです。現存建築物としては、畳櫓と卯虎口門脇櫓が遺っていました。
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09:00-10:00
臼杵城跡を出て城下町を散策、二王座歴史の道は臼杵城下町を東西に抜ける石畳の道。東側は武家屋敷が続き、西側は寺院が並ぶ寺町と大きく二分されます。
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09:00-10:00
寺町地区に入ると旧真光寺が在り、現在は観光用の休憩所として利用されています。休憩所として使用するには勿体無い位綺麗に保持されているので、靴を脱いで上がるのは躊躇しました。
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09:00-10:00
元々、二王座は阿蘇山の火山灰が固まった凝灰岩の丘で、その凝灰岩を削って道を通したそうです。ですから寺町付近は切り通しが多く見られ、石畳と切り通しの坂道は特に風情が有ります。
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09:00-10:00
二王座歴史の道を西に抜けて、臼杵川近くに出ると浄土宗の龍原寺が在ります。創建から400年以上の古刹で、臼杵の代表的な寺院の一つです。
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09:00-10:00
龍原寺の三重塔を見るのを楽しみにして来ましたが、残念ながら修復工事中でした。九州には数少ない貴重な木造の三重塔、経年劣化に加え近年の大雨や台風の被害による損傷も大きいのでしょう。
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11:00-12:00
上臼杵駅から大分駅を経由して久大本線で由布院駅へ、大分は晴れていましたが徐々に曇り由布院駅近くになると雪模様。駅前は風も強く、雪が吹付けていました。
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11:00-12:00
とりあえず由布院駅改札横のツーリストインフォメーションセンターに退避し、風の弱まるのを待ちながら市内観光に出るタイミングを窺いました。
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11:00-12:00
暫く待つと風も弱まり雪も小降りになったので、湯の坪街道へ向かいました。湯の坪横丁にもしっかりと雪が積もり、観光客も疎らになっていました。
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11:00-12:00
由布院駅からは皆さん湯の坪街道を歩きますが、国内と海外からの観光客は約半々位。海外からの観光客の中には、大きなスーツケースを引き摺りながら歩く家族もいて大変そう。
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11:00-12:00
昭和回顧ブームなのでしょうか、湯布院にも昭和館が在ります。昭和30〜40年代を再現した、正に私の少年時代真っ只中の風景が再現されていました。よくもまあこれだけの展示品を集めたものだと感心しきり、意外と海外観光客にも人気でした。
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12:00-13:00
雪の中でも観光用の人力車は営業中、さすがに乗る客も居ないかなと思いきや海外からの観光客で乗る人が多く見られました。ガイドも兼ねて観光スポットを周るには便利なのかも知れません。
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12:00-13:00
湯の坪街道の終点は金鱗湖、一番の人気撮影スポットです。湖の周囲には散策路が整備されているので、湯の坪街道とは一変して自然の風景が新鮮です。
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12:00-13:00
金鱗湖の直ぐ近くにはぬるかわ温泉、湯布院に来たら温泉に入らずには帰れないと思っていましたが混んでいたのでここでの入湯は断念。
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12:00-13:00
ぬるかわ温泉は諦めて駅に近い乙丸温泉館さんに入館、入湯料は超格安の¥200。賽銭箱に料金を入れて、雪で冷え切った身体を溶かすように名湯に首まで沈めました。かじかんだ手を温泉に浸けて、痺れる様な感覚を久し振りに感じました。
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15:00-16:00
雪の由布院から大分駅に戻り、今旅2城目の百名城である府内城跡へ歩きます。大分市役所の隣、城郭内は堀の一部埋め立てられて城址公園と市役所の駐車場になっていました。
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15:00-16:00
府内城跡は大分市役所横と大分市の中心地、城跡の周囲は高層ビルも建つビジネス街。現代のビルと城郭櫓の対比もまた良しで、地元の人々にとっても貴重な憩いの場になっています。
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15:00-16:00
府内城跡見学後、大分市役所横に建つアートプラザ内も見学。建物のデザインにも魅かれて入館、市民ギャラリーには玄人はだしの作品が数多く展示されていました。
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16:00-17:00
大分駅から別府駅へ、駅前のピカピカのおじさんはサンタの衣装。直ぐ横の手湯も今年一番の冷え込みで大人気でした。
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16:00-17:00
別府駅近くのホテルにチェックインし、夕暮れの別府市内散策へ。公衆浴場も駅周辺に数多く在るので、街中を散策しながら浴場選び。別府のシンボルである別府タワーも見て、どの浴場にしようか悩みながら町ブラ。
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17:00-18:00
やはり、レトロで立派な外観の竹瓦温泉が気に入りました。この日は冬至とあって運良くゆず湯の日、思いもよらずゆずに囲まれての別府温泉は最高でした。
- 4日目2023年12月23日(土)
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07:00-08:00
宿泊したホテルの直ぐ目の前が不老泉、朝6:30〜なのは確認済。ホテルの部屋の窓からも見えるので、開館を確認して朝風呂に。朝一番の別府温泉も、これまた最高。
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08:00-09:00
別府駅から暘谷駅へ移動し、日出の城下町を散策。先ずは藩校致道館へ、9時公開ですが早めに到着し門前で立っていると管理の男性が来られて時間前に開けて下さいました。館内の説明もしながら雨戸を開けてくれて2階も見学、超ラッキーでした。
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08:00-09:00
日出城跡は暘谷駅の南方、別府湾に面しています。致道館から日出町歴史資料館への道沿いが、城下町の雰囲気を再現しています。
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08:00-09:00
日出町の歴史資料館前には、鬼門櫓が保存されていました。日出城の北東部=鬼門に建っていた櫓で、二層二階で北東隅角を欠いた特異な構造になっています。
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08:00-09:00
二の丸館は日出城下町の観光施設、観光案内のみならず地場産品の販売やレンタサイクルも扱っています。日出城下町の雰囲気を損なわない建物外観になっています。
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08:00-09:00
日出城跡内は日出小学校、隣は日出中学校と城下町は歴史と文教が一体となった地区です。日出中学校の入口に生えるサザンカの大木、自由に入って見学出来ます。
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08:00-09:00
現在、日出城址内は日出小学校が在るので、日出小学校と日出中学校の間の坂道を海側へ下ると日出城本丸の石垣が見られます。
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08:00-09:00
日出城址は海に面しているので、城跡下は城下海岸です。致道館の管理の方から、新渡戸稲造が城下海岸からの景観は「東洋のナポリ」と称したと聞きました。
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08:00-09:00
日出城址と城下海岸の狭い斜面が城下公園として整備されていて、日出城址の石垣を見て城下海岸からの景観も楽しむという一挙両得の公園です。
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09:00-10:00
日出城址を後にし暘谷駅の北側へ、龍泉寺裏の大きな「日本一の大蘇鉄」の看板を見たら見学しない訳には。看板先の松屋寺の門を潜りました。
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09:00-10:00
さすが南国九州大分、松屋寺境内の大蘇鉄の大きさに圧倒されます。松屋寺は日出藩初代藩主木下家の菩提寺、この大蘇鉄は元々大分府内城内に生えていた物だそうです。
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10:00-11:00
暘谷駅から宇佐駅へ移動、宇佐駅からはバスで宇佐神宮バス停まで。宇佐神宮は豊前国一宮であり、全国四万社以上在る八幡宮の総本社でもあります。神宮前の観光案内所で拝観ルートを教えてもらい、仲見世を通り表参道へ向かいます。
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10:00-11:00
参道横には旧式の機関車が展示、何故ここに機関車が?と思いました。ドイツ製機関車で、昭和までは宇佐駅と宇佐神宮間を実際に走っていたとの事。県の指定文化財にも指定されていると知り納得。
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10:00-11:00
機関車の先、寄藻川に架かる神橋を渡り宇佐神宮の境内神域に入ります。真っ直ぐに伸びる広い表参道、大鳥居が見えてきます。
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10:00-11:00
参道横の大鳥居を潜り進むと絵馬殿や能楽殿、周囲は菱形池で紅葉落葉が浮かび水面を綺麗に蔽っていました。手水舎で清め、本殿に向かいます。
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10:00-11:00
春宮神社前の石段を登り、八幡鳥居を潜ると西大門が見えてきます。宇佐鳥居とも呼ばれ、扁額も無く宇佐神宮独特の形状をしています。
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10:00-11:00
西大門は修復工事中でしたが、宇佐神宮の上宮本殿は、一之御殿・二之御殿・三之御殿から成り国宝に指定されています。
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11:00-12:00
上宮本殿参拝を終え、外宮も参拝し弥勒寺跡へ。弥勒寺とは奈良時代に境内に建立された壮大な寺院跡、明治の神仏分離により廃寺となりました。
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11:00-12:00
弥勒寺跡から西参道を進むと、寄藻川に架かる朱色の屋根付き橋が呉橋。天皇陛下が宇佐神宮を参拝される時に渡る橋で、一般の人が渡る事は出来ません。
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11:00-12:00
呉橋から勅使街道を歩いて観光案内所に戻ります。観光案内所手前には極楽寺、当寺もかつては宇佐神宮境内に在ったそうで、弥勒仏坐像も宇佐神宮の弥勒寺から移された貴重な仏像です。
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14:00-15:00
宇佐神宮の参拝を終え、宇佐駅から中津駅へ。駅の観光案内所で中津城方面の案内をお願いすると、周辺マップに的確なルートを記入してくれてました。所要時間も予定通りピッタリでした。
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14:00-15:00
中津城公園は中津城本丸跡を中心とした公園で、園内には中津城の復元天守と共に中津大神宮や城井神社等の複数神社が併設されて鎮座しています。
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14:00-15:00
中津城は福岡県との県境、中津川河口に築かれた城。九州最古の近世城郭だそうで、堀の水嵩が潮の干満により上下する水城で高松城・今治城と共に日本三大水城に数えられます。
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14:00-15:00
中津城天守下には中津城を築城し初代城主となった、豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛の資料館が設けられています。秀吉の九州征伐に貢献し、官兵衛が豊前に拠点を移すスタートの地が中津です。
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14:00-15:00
中津城址近くには福沢諭吉記念館が在り、館横には旧居が復元されています。福沢諭吉は中津藩の下級武士の子、幼少期〜青年期を中津で過しています。最初はやんちゃ坊主だった様ですが、この家で次第に文武に秀で後の栄達に繋がる基礎を築きました。
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14:00-15:00
福澤諭吉記念館から中津駅方面へ向かう道は、中津城下町の風情を残した町並みになっています。今は裏通りとなっていますが、細くて少しうねりT字路も多いのは城の防衛上の役割も兼ねていたからでしょう。
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14:00-15:00
中津城下町の寺町通りには数多くの寺院が集まり、石畳の道が整備されています。その中でも一際目立つ長い赤壁の寺が合元寺。中津に入った黒田官兵衛と共に、姫路から移ってきた寺との事。
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19:00-22:00
今回の九州東部旅に出る前までは、宮崎県と大分県には有名な歴史的観光スポットが少ないと思っていました。しかし、旧日向国と旧豊前国は歴史的にも奥深く、城跡のみならず由緒ある神社・仏閣も多くまた自然も豊かな地でした。こんなに素晴らしい観光地が数多く有るのに、両県とも全国に向けての観光誘致が足りないのではと余計な心配をしてしまいます。等々を考えながら、夜の福岡空港に到着。最後搭乗予定の羽田行便が突然欠航となり、何とか最終便に振り替えてもらいギリギリ帰路に着くというハプニングで旅を終えました。
九州東部(宮崎・大分)の名城と史跡巡り
1日目の旅ルート
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