1. 宿・ホテル予約TOP >  みんなの旅行記 >  高野山へ四国八十八ヶ所巡礼結願お礼参り

すみっこさんの大阪府〜和歌山県の旅行記

高野山へ四国八十八ヶ所巡礼結願お礼参り

  • 夫婦
  • 2人
  • 史跡・歴史
  • 自然
  • グルメ
  • 乗り物
  • その他

高野山へ四国八十八ヶ所巡礼結願のお礼参りに行きました。帰りに九度山も散策し,翌日は堺市に立ち寄り,仁徳天皇陵古墳を眺めてきました。

高知ツウ すみっこさん 女性 / 60代

1日目2024年7月13日(土)

ホテルルートイン橋本

「ホテルルートイン橋本」を   >

橋本に前夜泊まり,6時45分開始の朝食をいただき,徒歩15分の紀伊清水駅から8時6分発の南海高野線の列車で高野山へ向かいました。

南海電鉄極楽橋駅

高野町(伊都郡)

「南海電鉄極楽橋駅」を   >

8時42分に着いた南海電鉄極楽橋駅で,8時50分発の南海高野山ケーブルカーに乗りかえ。前回は三代目のケーブルカーに乗車しましたが,今回は2019年に登場した四代目です。5分間で高野山駅に到着。

南海電鉄高野山駅

高野町(伊都郡)

「南海電鉄高野山駅」を   >

8時55分に南海電鉄高野山駅に到着。駅前の南海りんかんバス営業所のみで販売している一日フリー乗車券(1100円)を購入し,お土産や飲食の割引クーポンなども利用。

高野山

高野町(伊都郡)

「高野山」を   >

結願お礼参りをするため奥の院めざし,高野山駅からバスに乗り,約14分の一の橋口で下車し,約2kmの高野杉に囲まれた参道を歩き御陵へ。

水向地蔵

高野町(伊都郡)

「水向地蔵」を   >

御供所で塔婆に供養したい人の芳名を記載してもらい,地蔵菩薩の足元に置きました。その塔婆に3回水をかけながら真言を唱え供養するそうです。

御廟橋

高野町(伊都郡)

「御廟橋」を   >

弘法大師様が御入廷されている聖地の高野山奥の院を前にして,御廟橋で脱帽し,服装を正し,合掌して一礼。ここから先は撮影禁止区域の神聖な場所。

御供所

高野町(伊都郡)

「御供所」を   >

奥の院でお参り後,御供所で御朱印や御影をいただきました。弘法大師に捧げられる一日二回の生身供(しょうじんぐ)も拝見しました。

織田信長墓碑

高野町(伊都郡)

「織田信長墓碑」を   >

参道の復路では,墓所などお参りしながら一の橋口まで戻りました。織田信長墓所は御陵橋にほど近い所にあります。さすが天下人。

豊臣家墓所

高野町(伊都郡)

「豊臣家墓所」を   >

織田信長に続く天下人の豊臣家の墓所も,御陵橋から近い高台の広い敷地にありました。案内板は往路向きになっているので復路では見つけにくかったです。

芭蕉句碑

高野町(伊都郡)

「芭蕉句碑」を   >

雉の声に亡き父母への思慕の情をかきたてられて詠んだ「父母のしきりに恋し雉子(きぎす)の声」の句碑は,御陵橋と中の橋の参道の中程にあります。

姿見の井戸

高野山奥の院参道の中の橋そばの汗かき地蔵奥にあります。こうや七不思議の一つで,井戸を覗き込んで顔が映らなければ3年以内に死んでしまうと言い伝えられているそうです。

明智光秀の墓

高野町(伊都郡)

「明智光秀の墓」を   >

明智光秀供養塔は,178cmの五輪塔。空,風,火,水,地を表していて,それぞれの石に梵字(サンスクリット文字)が刻まれているそうです。

石田三成の墓

高野町(伊都郡)

「石田三成の墓」を   >

天正18年(1590年)の石田三成30歳の生存中に造立されたもののようで,267mの砂岩製の五輪塔です。石田三成は,母の菩提を弔うために,弘法大師御陵東側に経蔵も建立したそうです。

薩摩島津家の墓

高野町(伊都郡)

「薩摩島津家の墓」を   >

慈眼院(初代藩主 島津家久)の五輪塔は光久が建立し,寛陽院(二代藩主 島津光久)と泰清院(光久長男の島津綱久)の五輪塔は綱久の長男で三代藩主の島津綱貴が建立したそうです。それ以降の藩主の墓も参道の他の場所に建立されているようです。

光海珈琲

高野山奥の院一の橋口の手前にあり,「湧き水で人を癒やす」をテーマに,高野山の湧き水を使用し,飲食物を提供しているお店。店主さんは,高野山で得度し「光海」の僧名を持つそうです。一日フリー乗車券のクーポン券でスイーツプラス。

梵恩舎

高野山のメインストリートにある古民家を再生したお店で,ベジタリアンやヴィーガンのオプションもあるカフェ。デザートの豆腐チーズケーキも美味しかったです。

高野山 金剛峯寺

高野町(伊都郡)

「高野山 金剛峯寺」を   >

金剛峯寺でもお参りし御朱印をいただきました。重要文化財である建物が本坊,正門,鐘楼をはじめ備えられています。

壇上伽藍

高野町(伊都郡)

「壇上伽藍」を   >

奥の院とともに高野山の二大聖地の一つ。天保14年(1843年)に消失した中門は,開創1200年を記念して,172年ぶりに再建されたそうです。

根本大塔

高野町(伊都郡)

「根本大塔」を   >

高さ48.5mを誇る根本大塔は高野山のシンボル。堂内は,本尊の大日如来の周りを金剛界の四仏が取り囲み,16本の柱に十六大菩薩と,四隅の壁に密教を伝えた八祖像が描かれ,立体曼荼羅を擁します。二度目の来訪となる今回は堂内の拝観はせずに参拝だけしました。

御影堂

高野町(伊都郡)

「御影堂」を   >

弘法大師が高野山を開山した際,初めに取り組んだ場所である壇上伽藍にある19の諸堂の一つで,弘法大師の肖像が納められているといわれている御影堂。

西塔

高野町(伊都郡)

「西塔」を   >

弘法大師が造営計画を記したと云われる「御図記」に基づき,空海の甥であり弟子の真然大徳によって建立されたそうです。

六角経蔵

高野町(伊都郡)

「六角経蔵」を   >

鳥羽法皇の皇后の美福門院が,鳥羽法皇の菩提を弔うため,紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵だそうです。一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得られるといわれているので一回りしました。思いのほか軽く回せました。

金堂

高野町(伊都郡)

「金堂」を   >

高野山の117の寺院の総本堂で,7度再建されているそうです。昭和7年(1932年)に,武田五一博士が設計し建立。高村光雲仏師造立の阿しゅく如来が御本尊。

大門

高野町(伊都郡)

「大門」を   >

高野山の総門。高さ25.8mで5間重層の大楼門。大門の両脚に構える力強い金剛力士像は高さ4.8mで,仏師康意が造った阿形像と,法橋運長が造った吽形像。

角濱ごまどうふ総本舗飲食部

高野山山上で製造され,金剛峯寺をはじめ各寺院に納められているごまどうふのお店。生身供にも使われているそうです。本店近くの飲食部ではお土産購入や飲食可能。一日フリー乗車券の割引クーポン券を利用しお土産購入。

笹巻あんぷ麩善

高野山の宿坊での精進料理に欠かせない生麩によもぎを混ぜこしあんをくるみ,熊笹で包んだ精進スイーツの笹巻きあんぷをお土産に購入。一日フリー乗車券のクーポン券でおまけがつきました。

徳川家霊台

高野町(伊都郡)

「徳川家霊台」を   >

6年前に拝観したので,今回は拝観せず,徳川家霊台の世界遺産登録20周年記念限定御朱印は,金剛峯寺で授与していただきました。

九度山 対面石

九度山駅から徒歩6分。毎月九度は和泉の槇尾山に参拝に行った弘法大師が,吉野川増水時に弁財天のお告げを聞いた場所であり,四国から訪ねる母と対面した場所。夕方になり,どこも閉館してしまいましたが,ここを皮切りに,大急ぎで九度山散策。

旧萱野家(大石順教尼の記念館)

九度山町(伊都郡)

「旧萱野家(大石順教尼の記念館)」を   >

対面石から徒歩1分。大石順教尼は,明治38年17歳の時に,養父中川萬次郎の狂刃によって六人斬り事件に巻き込まれ,両腕を切り落とされてしまい,筆を口にくわえる方法で書画の世界へ入られ,尼僧を志されたそうです。

真田古墳(真田の抜け穴伝説)

旧萱野家から徒歩3分。4世紀頃の古墳時代後期の古墳ですが,真田の抜け穴と呼ばれ,真田幸村は大阪城に続くこの抜け穴を通って戦場に出向いたという伝説が残り,真田古墳と名付けられたそうです。

善名称院(真田庵)

九度山町(伊都郡)

「善名称院(真田庵)」を   >

真田古墳から徒歩3分。真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺。御本尊に延命子安地蔵菩薩を祀ってあります。真田昌幸の霊を真田地主大権現として祀ると,昌幸の霊の顔が穏やかになり,この地を守る約束をしたそうです。

米金の金時像

真田庵から徒歩3分。明治から大正時代の陶芸家・南紀荘平(本名・井端荘平)が作った高さ2mあまりの銅像。仏像や動物など立体物や制作した茶器,香ろう,皿,壺などの器は,九度山焼,荘平焼と珍重されたそうです。

松山常次郎記念館

九度山町(伊都郡)

「松山常次郎記念館」を   >

米金から徒歩2分。16時半に閉館していました。松山常次郎氏は,実業家,政治家として活躍され,九度山町出身の唯一の衆議院議員だそうです。日米開戦を防ごうと努めた方らしい。

九度山・真田ミュージアム

九度山町(伊都郡)

「九度山・真田ミュージアム」を   >

松山常次郎記念館から徒歩1分。17時に閉館していました。2016年の大河ドラマ「真田丸」の年の3月に開館。門にある六文銭など外観を楽しみました。

慈尊院

九度山町(伊都郡)

「慈尊院」を   >

真田ミュージアムから2kmほど歩き到着。弘法大師は,お母様が篤く崇拝されていた弥勒菩薩坐像と御母公像を安置するため,お母様が亡くなった後,弥勒堂を建立。1474年にこの場所に移してあったので,1540年の紀の川の大洪水で流失しなかったそうです。

丹生官省符神社

九度山町(伊都郡)

「丹生官省符神社」を   >

慈尊院から徒歩1分上ります。弘法大師が慈尊院創設の816年に,その守り神として丹生都比売・高野御子の二神を祀った神社で,慈尊院の弥勒堂が今の位置に移された時に,この神社も神楽尾山に移され,気比,厳島二神を合わせ祀って四神とし,元からこの地に鎮座する天照,八幡,春日の三神を合わせ祀り七社明神としたとのことです。

勝利寺

九度山町(伊都郡)

「勝利寺」を   >

丹生官省符神社から860m。1773年に完成したと云われる仁王門の両脇の高さ2.4mの仁王は,1744年に高野山奥の院の明遍杉で作られたそうです。

海鮮ダイニング美蔵ルートイン橋本店

ルートイン橋本の隣にあり,和歌山のご当地メニューや,和歌山の日本酒,梅酒,果実酒を揃えたお店で夕食。

2日目2024年7月14日(日)

ホテルルートイン橋本

「ホテルルートイン橋本」を   >

ホテルでゆっくり朝食をとり,紀伊清水駅から堺東駅へ向かいました。

堺市役所21階展望ロビー

堺市堺区

「堺市役所21階展望ロビー」を   >

百舌鳥古墳群を眺める最適な場所だと思い行きました。80mの高層階ロビーからは360度の眺望が楽しめ,パネルや資料など詳しい解説もあり,無料で快適に見学できました。

百舌鳥古墳群

堺市北区

「百舌鳥古墳群」を   >

世界最大級の仁徳天皇陵古墳の大きさにまず圧倒されました。反正天皇陵古墳も近くに見えました。百舌鳥エリアでは,世界遺産の構成遺産として,23基21件の古墳が選ばれているそうです。

高野山へ四国八十八ヶ所巡礼結願お礼参り

1日目の旅ルート

みんなのコメント(0件)

投稿する

投稿に際しては、必ず観光ガイドご利用規約をご確認ください。
皆様がより快適にご利用いただくための「投稿上のルール」や、
投稿内容の利用に関して記載しております。

閉じる

この旅行記は参考になりましたか?参考になった!2

この旅行記をもとに旅の計画をつくる
この旅行記をカスタマイズして、あなたの旅の計画を作りましょう

すみっこさんの他の旅行記

(C) Recruit Co., Ltd.