高村光雲旧居跡
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高村光雲旧居跡の口コミ一覧
1 - 4件 (全4件中)
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1852年、江戸下谷に生まれた高村光雲は1892年にここ(現住所「千駄木5-20-6」)に移り住み、
1934年に亡くなるまでの42年間をこの場所で暮らしたといいます。
彼の代表作の一つである上野の西郷隆盛像は1897年完成、皇居前の楠木公像は1900年前後の完成ですので、
ここに住んでいたころの光雲が造ったのですね。- 行った時期:2018年2月25日
- 投稿日:2018年7月4日
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街中の目立たない場所に看板があり、ここが旧居跡なんだと分かるようになっていました。今は建物は残っていませんが、ここにあったのかとロマンを感じました。- 行った時期:2017年2月
- 投稿日:2018年5月16日
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彫刻家高村光雲の長男として台東区下谷に生まれ、東京美術学校(現・東京芸大)彫刻科を卒業して欧米に留学などされたそうです。雰囲気のある跡地です。- 行った時期:2017年10月
- 投稿日:2017年12月30日
東京ツウ りーさん 女性/40代
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谷中界隈を散歩の途中に記念碑を発見しました。155番館という名のアパートメントの近くになんの記念碑?と思ってみたらここがかの老猿などの彫刻で知られる高村光雲・智恵子抄が有名な光太郎が暮らしていた旧居跡の碑でした。ここには明治45年に移り住んでから、戦火で焼ける昭和20年4月に花巻に疎開するまで住んでいたようです。ただ、残念なことに簡素なプレート以外にここに高村親子が住んでいた痕跡はなく、当時を偲ぶものは何一つ残っていません。- 行った時期:2017年10月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月5日
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