有明山
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有明山の口コミ一覧
1 - 10件 (全13件中)
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- 友達同士
有明神社から、有明山を経由して有明荘までを縦走しました。
有明山の表参道は、沢沿いの道でしたけど、道が流されてる箇所がいくつもありましたが、道標は豊富にあり迷うことなく歩けました。
2箇所に大きな滝があり、岩を越える箇所もあったりで、とても険しいコースでしたけど、歩きごたえはあり、とても良い山でした。- 行った時期:2022年7月3日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:3時間以上
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2022年7月11日
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- 一人
登山道は、ひたすら急斜面が続きます。
登山道の土は濡れると滑りやすく、しかも木の根がたくさん生えていて、
大変滑りやすくなっています。ロープは張られていますが、それを使わないと、
とても下山することができないほどに滑りやすくなります。- 行った時期:2022年7月5日
- 投稿日:2022年7月8日
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- 一人
登山口(裏参道)は、燕岳の駐車場のうち、第3駐車場の端っこにあります。
ここから登るのですが、『整備されていません』という注意書きがあります。
実際そうなので、登るには覚悟が必要です。- 行った時期:2022年7月5日
- 投稿日:2022年7月8日
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- 一人
鎖を伝って、山を下って、また登るところまで来ました。
ここまでの登山道で、一度、峰を下った後、再度登るのは、
雨も降っているので、引き返した方が賢明と考え、引き返すことにしました。
今でも、良い判断だったと思っています。- 行った時期:2022年7月5日
- 投稿日:2022年7月8日
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- 一人
足場のない鎖場もあります。足を置けるのは岩に打ち込んだ鉄の棒のみです。
足場が非常に不安定なので、ある程度の技術がないと進むことはできません。
初心者の方は、入山しないようにしてください。- 行った時期:2022年7月5日
- 投稿日:2022年7月8日
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- カップル・夫婦
有明山は標高が低く頂上まで森林が続くので雪が降っても白く覆われる状態にならない。全体を俯瞰すると背後の山に溶け込んで存在に気づかないが、いったんその存在に気づくと「安曇富士」「信濃富士」と呼ばれるように優美な姿は和歌や民謡にも取り上げられる。- 行った時期:2022年1月28日
- 投稿日:2022年3月1日
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- 友達同士
この山は有明山であるが、川会神社の「泉小太郎の碑」にはこの地に「有明の湖(うみ)」があったとしている。九州から来た海人族:安曇族にとって「有明の湖」とは有明海に他ならない。有明海はかつてはもっと広かったが、筑後川などの土砂が堆積し、海が後退している。九州の八女地方にいた磐井氏は、磐井の乱に敗れ屯倉を明け渡し許されたとされるが、磐井の乱に加担して信濃に逃亡したともされる安曇族は、この地の湿地帯のような湖を「有明湖」としその山を有明山としたのではないか。その後、朝廷側となった安曇族は「岩戸伝説」の有明山神社を創建したのではないか。最後まで川と共にあった。高瀬川が氾濫する度に湖が埋まり現在地まで来たのではないか。高瀬川に三つのダムができるまではアルプスの冷たい水と洪水が度々大町地方を襲っただろうし、ここを開拓した仁科氏の功績は大きい。今は大町、安曇地方は県内有数の田園地帯となっているが、江戸時代までは筑摩郡とともに石高が少なく、アルプスから流れる夏でも凍るような水では稲も育たなかったに違いない。- 行った時期:2018年2月18日
- 投稿日:2020年6月28日
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- 友達同士
古代安曇族の聖なる山有明山。信濃富士、安曇富士とも呼ばれる。有明山もこの山と姨捨十三景にもある。古来歌が詠まれており、後鳥羽院は「かたしきの衣手寒くしくれつゝ有明山にかゝるしら雲」と「過きぬるか有明の嶺のほとゝきすもの思うときもいとやはせん」と二首を残している。平安末期には安曇地方でも荘園が造られており後鳥羽院の所領もあったのか。また、西行法師は「信濃なる有明山を西にみて心細野の道をいそぎぬ」と、松川村細野と旅する心情をかけて詠んでいる。優美な姿だが、修験の場所でもあった険しい登山道と同じく、幾多の伝説を残している。左手の木立は安曇族の創建とみられる川会神社の社叢である。- 行った時期:2018年2月18日
- 投稿日:2020年6月28日
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- その他
安曇野へ来て有明山の姿を見るとなんだか落ち着きますね。背後にそびえる山々が雲に隠れていても、手前の有明山は姿を見せていることが多く、親しみがわきます。かなり昔に燕岳登山をした時は、中房がスタート地点でした。聞いたところによると、かつて信州池田町周辺に住む若者たちは槍ヶ岳に登るのにも家から(!)歩いて行ったとか。その際には有明山が目印だったのかもしれません。有明山自体は実はかなり登山路が厳しいというのは意外。ちなみに地元の人は「ありあけさん」と呼んでいました。- 行った時期:2018年4月
- 人数:3人〜5人
- 投稿日:2018年7月19日
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- その他
天照大神が岩戸にこもった際に、手力男命が岩を投げた時にここに落ち天下が明るくなった山であるとの伝説が山名の由来。古来から麓の人々に「信濃富士」と呼ばれ、霊山として崇拝されていた。西行法師が「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」と詠み、藤原定家が「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」と詠み、多くの詩で有明山が詠われた。民謡「安曇節」にも詠われる。(写真は前日)- 行った時期:2018年2月12日
- 投稿日:2018年2月19日
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