勝幡城跡
- ここに行く計画を立てよう
- クチコミを投稿する
- 写真を投稿する
- 行った
- 行きたい
- クリップ
-
- シェアする
- メールする
勝幡城跡の口コミ一覧
1 - 3件 (全3件中)
-
- カップル・夫婦
織田信長は、天文3年(1534)5月この勝幡城で生まれたと伝えられる。(近年研究者の間では勝幡城説が有力)以前は那古野城(名古屋城)で生まれたのが定説。斯波氏家臣の清洲三奉行「織田弾正忠家」当主の織田信定(織田信長のお爺さん)が築城したといわれる。信定の跡を継いだ織田信秀(織田信長の父親)は、津島の海運を中心とした商業都市として経済力を付けた。その後、現在の名古屋城にあった「柳之丸」に居城していた今川氏豊(今川義元の弟)を攻め攻略すると、那古野城を築城。織田信長が城主となった。なお、元勝幡城祉は、現勝幡城祉碑から「よめふりはし」を渡らず手前の土手を左に約5分程にあります。- 行った時期:2017年2月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年2月27日
この口コミは参考になりましたか?0はい -
- 一人
織田信長はこの城で生まれたというのが最近の定説となっているとのことです。残念ながら、江戸期の河川改修により城は跡形も無く、かつての本丸とされるところを南北に挟む形で二つの石碑が建っています。織田家はこの地で津島の豪商たちを従え、財力を蓄えていったとされています。- 行った時期:2016年8月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2016年8月11日
この口コミは参考になりましたか?1はい -
- 一人
本当の意味での「城跡」です。城が復元されているわけではなく,碑が立っているだけです。信長を含め,織田家に関心のある方は,一見の価値があるでしょう。- 行った時期:2014年12月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2015年2月19日
この口コミは参考になりましたか?0はい