淀姫神社
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淀姫神社の口コミ一覧
1 - 7件 (全7件中)
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淀姫神社には狛犬ではなくて、青磁器のシャチホコが対でありました。そのシャチホコが鉄格子で囲まれ、盗難防止の厳戒態勢でした。淀姫神社の関係者のやもおえない選択だと思います。- 行った時期:2017年5月
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2018年3月12日
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- カップル・夫婦
齢約300年のイチョウの大木があり、秋には綺麗に色付いて綺麗です。樹齢約280年のムクの木は、いずれも「佐賀の名木」に指定されています。- 行った時期:2016年11月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年10月14日
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- カップル・夫婦
境内のイチョウの木は樹齢推定300年、ムクノキの木は樹齢推定250年で歴史がありそうな古い感じの神社です。- 行った時期:2016年10月
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年9月29日
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- 一人
神社よりも「吉村家住宅」の看板が目立つ。同じ方向なので、これを目印に進む。吉村家駐車場もある。駐車場先の橋を渡って左折すると、直ぐに神社が見える。社殿入口に立つ大銀杏は樹齢300年、奥の椋木は280年という。
文久3(1863)年に1350年祭を執行した記録があり、これが正しければ513年創建。継体天皇の御宇であり、磐井の乱が起きる前となる。大和町川上の與止日女神社(欽明天皇25(564?)年創建)よりも古いことになるが、肥前國風土記に記すのは「川上」であった。
「此の川上に石神あり、名を曰く世田姫、海の神なり。年常(わに、鰐魚)逆巻く水を潜り上りて此の神の所へ至る。海底の小魚多くこれに相従へり。或る人は其の魚を畏みて殃(わざわい)無く、或る人は取り喰らひて死す有り。凡そ此の魚、二三日を経て海に還り入る。」
佐賀県内に点在するヨドヒメ神社は、このヨタヒメが元だろう。当社の前に流れる川頭川は、直ぐに神水川(しおいがわ)へ合流し、大和町川上に流れる嘉瀬川の上流に当たる。
御祭神は
豊玉姫命 玉依姫命
高皇産霊神 保食神 仁田義貞 大山祇命 句句之智命 猿田彦命 鎌倉景政
高皇産霊神外6神は(おそらく明治の)無格社合祀に因るので、元からの祭神は、海神の娘にして山幸彦の妻である豊玉姫と、その妹の玉依姫。與止日女神社の與止日女命についても、豊玉姫命とする説はある。
永禄4年(1561)領主神代勝利、川上に龍造寺氏と戦い、此の地に敗走。社内に匿われ、追兵が社務所に火を放ったけれども、神代父子は難を逃れることができた。追兵が退いて後、即座に佩刀2振を奉った。神埼郡三瀬に帰城するや、田7町5反余を奉納して神代家鎮護の神と仰いだ。
以来、当社は神代家が寄与し、社殿は何度か改築されたという。
小山の麓、こじんまりとした境内に住宅ほどの社殿、その右に土俵、奥に御神木。神代氏が逃げ込んだ当時、これより広大であった訳でもあるまい。本気で人を探して見つからなかったとも思えないので、そういうことだったか。「神恩に感謝」する筈だ。
この清浄な地は、物語の場所であっても、観光目的に押し掛けるには不向きだと思う。御神木前の狛犬代わりに馬とナマズが並んでいたり、前面の河原に降りられたり、案内役が居ると面白そうなのだが、そこまで詳しくは書かれていない。- 行った時期:2017年6月4日
- 混雑具合:空いていた
- 滞在時間:1時間未満
- 投稿日:2017年6月26日
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神社ツウ 三文詩人さん 男性/50代
この口コミは参考になりましたか?4はい