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さとけんさんの愛知県〜和歌山県の旅行記

【18きっぷ】紀伊半島を周る。熊野三山・紀三井寺・金峯山寺・橿原神宮、そして法隆寺【2024年4月】

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18きっぷを利用して、1日目は神奈川県から和歌山県の新宮まで移動し、2日目は熊野三山を参詣し新宮に泊まり、3日目は新宮から紀三井寺の桜をみて和歌山・橋本と移動して学文路の地を訪ねその日は和歌山に泊まり、4日目は吉野の金峯山寺をお参りして下千本と中千本の桜をみて、橿原神宮をお詣りし、法隆寺を拝観してから大和八木で泊まり、5日目は大和八木から新宮までの日本一長い路線バスを乗り継いで十津川村の資料館と温泉、そして沿線の桜を楽しみ新宮に泊まり、6日目は新宮から豊橋へ移動して熱田神宮を参拝し豊橋に泊まり、7日目は豊橋から飯田線を乗りとおして上諏訪経由で神奈川へ帰ります。(旅行記は1日目から4日目までの前編と、5日目から7日目までの後編に分かれています。この旅行記は前編です)

神奈川ツウ さとけんさん 男性 / 50代

1日目2024年3月31日(日)

JR亀山駅

神奈川を早朝に出発し、6時22分小田原発・熱海着6時45分、6時49分熱海発・浜松着9時17分、9時23分浜松発・豊橋着9時58分、10時2分豊橋発・名古屋で10時58分に降車、関西本線に乗り換えて、11時5分名古屋発・亀山着12時9分。名古屋からの関西本線は2両編成で桑名あたりまで立ち乗りです。写真は亀山駅にて、加茂行きの列車を撮っております。私が乗るのは12時16分亀山発の鳥羽行きで、途中の多気駅で新宮行きへ乗り換えます。多気発13時22分・17時4分新宮着の列車は多気駅から新宮駅までのほとんど全区間に渡り、乗客が少なくて、ローカル列車の良い雰囲気を味わうことができました。

JR紀勢本線

多気からの紀勢本線は、まずは山の中を走って山桜などを楽しみ、紀伊長島あたりから海が時折見えてきます。写真は新鹿駅(あたしか駅)を出てすぐの、新鹿海水浴場の砂浜です。

JR新宮駅

17時4分、新宮駅に到着です。小田原駅6時22分の東海道線・下りに乗ると、鳥取駅は19時55分着ですので、新宮駅17時4分というのは、随分と早い・速いような気がしますが、どうなんでしょうね。距離は小田原・鳥取間は660km、小田原・新宮間は522kmです。ちなみに、17時4分に新宮に着いてから17時9分発の紀伊田辺行きに乗り継ぎますと、紀伊田辺着が20時9分、小田原・紀伊田辺間は627kmですね。速いのはむしろ鳥取行きの方ですな。まだまだ行けそうな、そんな余力を残しての新宮駅到着です。

かつ田

さて、本日は新宮駅至近のステーションホテル新宮に素泊まりですので、まずはチェックインの前に夕食です。駅から徒歩1分の「かつ田」という和食のお店に直行して、マグロ丼です。漬けのマグロが美味しぃのぅ。本日、飲まず食わずで列車に乗っていた甲斐があるというものです。

かつ田

そしてこちら、カキ酢であります。うまーい。これは旨い。ビールがうまい! 食事を楽しみまして、駅から徒歩3分のステーションホテル新宮にチェックイン、本日のまとめ、明日の日程などを確認して、就寝です。

2日目2024年4月1日(月)

JR紀勢本線

さて本日は熊野三山を参拝します。まずは列車で新宮から紀伊勝浦へ行き、あとはバスで紀伊勝浦から熊野那智大社へ行き、新宮に戻って熊野本宮大社を参拝、新宮に戻りながら熊野速玉大社をお詣りするという計画です。18きっぷは使わず、その代わりに、熊野御坊南海バスの悠遊フリー1日乗車券(3,000円)を購入し、バスで周ります。このフリー乗車券はとても便利でした。私は1日券でしたので、お得になったのはバスを使わなかった場合の差額・1,700円くらいだったと思いますが、一番楽だなと思ったのは、運転手さんに見せるだけで(整理券を出すだけで)降りることができることです。2日券は3,500円、3日券は4,000と、お得度はグンと上がります。朝一番でバスに乗りたいときは営業所の開店前ですので営業所での券の購入が出来ませんので、私はスマホでチケットを事前に購入して、スマホの画面を運転手さんに見せました。新宮発6時53分の始発に乗って紀伊勝浦着が7時15分、7時30分紀伊勝浦発のバスに乗って大門坂到着は7時49分の予定です。画像は新宮・紀伊勝浦間の列車の中から見えた海です。

熊野古道 大門坂

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野古道 大門坂」を   >

紀伊勝浦駅からバスに乗ったのは5人で、そのうち4人がこの大門坂で降車しました。大門坂でバスを降りますと、熊野古道の一部を歩いて熊野那智大社へ参拝することになります。この画像の左手の道を歩いていきます。時刻は7時52分、いい天気ですねー。

熊野古道 大門坂

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野古道 大門坂」を   >

大門坂の熊野古道にある夫婦杉です。立派です。樹齢は800年とのこと、この800年、この杉はどんな人々を見てきたのでしょうね。また、どんな人々が、この杉を見て、通過して、熊野那智大社と青岸渡寺をお参りされたのでしょうか。決して会うことのない人々ですけれども、同じ道を歩く不思議を感じます。

熊野古道 大門坂

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野古道 大門坂」を   >

本日は季節外れの暖かさで、夫婦杉の傍らにて、既に汗をかき始めております。蛙が鳴いておるのか、大門坂・登りへ向かって右側から、カエルの声が聞こえてきます。

熊野古道 大門坂

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野古道 大門坂」を   >

おお。いいですね、鳥の声、カエルの声(?)などの自然の音以外は聞こえてこない静けさです。石畳を登りながら、朝早くお参りする気分の良さを感じておりますが、そのうち、この登りがいつ果てるともなく続くことに不安を覚えるようになります。私はアップダウンは苦手なんだよなーなどとぼやきながら、ハァハァと息を切らしながら登ること17分あまり、ようやく平坦な開けた場所に出ます。ああ。良かった。

熊野那智大社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野那智大社」を   >

あぅ・・。またでございますな、また、登りが続くのであります。ここからも結構登りますので、ゆっくりと自分のペースで歩くのが良いでしょう。

熊野那智大社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野那智大社」を   >

おお、鳥居じゃ、鳥居が見えてきたぞ。もうそろそろ、お社が・・・。

熊野那智大社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野那智大社」を   >

じゃーん、いやー、さすが熊野那智神社。容赦のない登りに驚くも、すでにゴールは見えております。あとひと踏ん張りでございます。時刻は8時31分です。

熊野那智大社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野那智大社」を   >

いやー、登った登った。いい景色ですね。桜も咲き始めております。礼殿にて二礼二拍手一礼のお詣りをいたします。清々しい気分です。朱色なのか丹色なのか、私にはちょっと区別がつかないのですが、自然界の色とはまた違う鮮やかな色を見てお詣りすると、安心感というか、達成感というか、ああ来て良かったなと思いました。

熊野那智大社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野那智大社」を   >

おお、あちらには胎内くぐりができる大楠ですな。くぐらせていただきますか。

熊野那智大社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「熊野那智大社」を   >

こちらの護摩木(300円です)の裏に、願い事を書いて大楠の胎内くぐります。入り口はけっこう狭いですよ。入り口を一目見て、ちょっと躊躇しました。身体をくねらせるように入って、階段というよりはハシゴですね、だから両手は自由な感じで入った方が良いと思います。梯子を上って、大楠を出で、護摩木を大楠を出てすぐ右手に絵馬が結んであるところへ奉納します。

那智山青岸渡寺

那智勝浦町(東牟婁郡)

「那智山青岸渡寺」を   >

さて、熊野那智大社のすぐ隣に青岸渡寺(せいがんとじ)があります。こちらの本堂は1590年建立ということで、このお堂も、世の中の変化をこの位置で見守ってきたのですな。お堂に上がって合掌一礼のお参りをいたします。ご本尊は如意輪観音で秘仏とのこと。

那智山青岸渡寺

那智勝浦町(東牟婁郡)

「那智山青岸渡寺」を   >

お堂の外観をじっくりと見学します。本来の色彩が剥げ落ちて現在に至る柱の風格が、厳しい気候の中を1590年以来この場所に建ち続けていることを端的に現わしています。しばらくお堂の外観を見学します。

那智山青岸渡寺

那智勝浦町(東牟婁郡)

「那智山青岸渡寺」を   >

おお。青岸渡寺の境内から那智の滝が見えますね。桜が咲いて綺麗だなー。あの三重塔の脇を抜けて那智の滝へ行ってみましょう。

那智山青岸渡寺

那智勝浦町(東牟婁郡)

「那智山青岸渡寺」を   >

こちらの三重塔は青岸渡寺の三重塔で、1972年に再建されたそうです。8時30分から拝観できるようなのですが、この写真は8時54分に撮った写真ですが、拝観は行われていないようでしたね。滝と三重塔の景色がとても良いですな。

那智山青岸渡寺

那智勝浦町(東牟婁郡)

「那智山青岸渡寺」を   >

本日は桜も彩りを添えて、良い季節に参拝できました。

那智山青岸渡寺

那智勝浦町(東牟婁郡)

「那智山青岸渡寺」を   >

三重塔から飛瀧神社へ向かうルートには、「伏し拝み」と呼ばれる遥拝所や画像のような石段があります。この石段は鎌倉積みの石段の原型を残しているとのこと、鎌倉時代からこの石段はあったのですな。しかしけっこうな段差があって、下りも危ないけれど、上りは上るのが大変だろうなという石段でしたよ。

飛瀧神社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「飛瀧神社」を   >

さて、飛瀧神社の鳥居まできました。ここからは神社の参道が続きます。

飛瀧神社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「飛瀧神社」を   >

またしても下るのであります。ということは帰りは上るのだな。おお、滝が近づいてくる気配がしますな。

飛瀧神社

那智勝浦町(東牟婁郡)

「飛瀧神社」を   >

おおお。これは壮観です。落差の大きなまっすぐな滝が御神体になっています。300円を支払ってもう少し滝の近くへいきますと、滝の飛沫が降りかかって、涼しいです。今日は暖かい上に登ったり下ったりで汗をかきましたので、この飛沫は気分が良かったです。さて、時間をみると9時30分ですね。バスの時間は那智山9時42分発と10時22分発(滝前はそれぞれ9時44分発と10時24分発)のどちらに乗ってもいいように、それぞれの計画を立てて熊野那智大社・青岸渡寺・飛瀧神社に臨んだのですが、この感じだと9時42分のバスに乗れそうです。参拝客の少ない午前の早い時間を狙って那智山へ来たのは正解でした。とても良いお参りができたと思います。9時42分に那智山からバスに乗り、那智駅9時59分着。那智駅からは列車でもバスでも新宮へ行くことができる時間なのですが、列車の方が接続が良いので10時11分那智駅発・10時29分新宮駅着の列車に乗り、新宮駅ではバス停の前で少し待って、10地50分発の本宮大社行きのバスに乗りました。

熊野御坊南海バス(株)

新宮市

「熊野御坊南海バス(株)」を   >

新宮駅から本宮大社まではバスで1時間です。乗客は新宮駅から私を入れて3人、途中から乗った人が2人ということで、思っていたより混雑していませんね。登り下りと歩きまわった我が足は、早くも疲労しているようですので、この1時間のバスでゆっくりと足を休めます。

熊野御坊南海バス(株)

新宮市

「熊野御坊南海バス(株)」を   >

昨日の鉄道沿線では咲きかけの桜が多かったが、今日の暖かさで開花状況が進んでいるようですね。日に日に、満開の桜をみかけるようになりました。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

本宮大社に到着は11時49分、もうお昼ですので、さすがに参拝客は多い状況です。まずは本宮大社にお詣りしましょう。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

おお。また現れたる石段よ。こちらの階段は右側通行ということで右をよっこらよっこらと登っていきます。神門をくぐり、社殿の前にて、二礼二拍手一礼のお詣りをしました。神門前には参拝客が多かったのですが、神門内は人の密度が薄くて、落ち着いた良い参拝が出来ました。神門内は、拝する場所が4つあるのですが、社に向かって右から2番目の拝所が一番先にお詣りするところで、次いで右から3番目、4番目とお詣りして、四番目にお詣りするのが一番右の拝所ということのようです。本宮大社の公式サイトでは「五番目は満山社にお詣り」するとなっています。せっかくですので、公式サイトでおさらいしてから参拝するといいと思います。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

熊野三山のお社や神門内の写真撮影については、それぞれに少しずつ違うようで、また事前に入手していた昔の情報とも少し違うようで、ここ本宮大社は、個人的な撮影はOK、ただしネットへの掲載は控えてくださいという内容と理解しました。他の熊野那智大社・熊野速玉大社については何がOKで何が禁止なのかは、ハッキリとした情報は手にできなかったのですが、本宮大社にならって、那智大社と速玉大社についても、この旅行記ではお社の画像は遠慮しました。それから、大斎原の鳥居をくぐるあたりからも撮影禁止らしいので、これは入り口に「無断撮影禁止」という看板が立っていまして、私は見過ごしてしまったのですが、撮影できないと、いうことらしいですね。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

本宮大社でお詣りをした後は、社殿の左側を後ろへ抜けると熊野古道に出ますので、熊野古道を歩いてみることにします。しばらく歩くと画像のような道になりまして、道を歩いていると空気がひんやりとしてくるのが良く分かります。先ほどの本宮前での賑やかさから一瞬にして静寂で清浄な空間にやってきたような、そんな気がいたします。とても静かです。空気もひんやりとして気分が良いですな。登りもそんなにきつくない。この道が高野山までこの様子で続いているならば、この道を歩いて高野山へ行くのもいいかもしれない、そんなことを考えます。まぁ実際は、道中にキツイ場所があるに違いないよな、良く調べてからじゃないと、迂闊に歩けないなと思いなおしたりします。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

大門坂のような石畳ではありませんので、雨が降ったりしてぬかるんでいない限りは、こちらの方が歩きやすいかしらん、足には優しいねと思いました。古来、覚悟を持った旅人たちが、この道を踏みしめて歩いたのかもしれないと思うと、地面の様子も風格を持った佇まいに見えてきます。もともと、旅は歩きが基本であって、その道中は決して安全ではなく、命を失う覚悟を持って旅に出たそうですし、その覚悟をもって歩くことをも追体験できるのが、この熊野古道なのかもしれないと、そんなことを考えました。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

本宮大社から40分ほど歩いて、熊野古道を脇にそれたところにある展望台を折り返し地点にしました。熊野古道は気持ちよく歩けましたが、展望台への登りの道は、直線的に山を登っているからでしょうか、心臓にこたえてハアハアとします。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

登るのは大変でしたが、展望台からの見晴らしがいいですな。スカッとしている。ベンチに腰をかけて呼吸を整えます。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

おお、大鳥居が見えるではないか。あれが「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居ですな。ここを降りてあそこへ行ってみましょう。再び熊野古道を歩いて本宮大社へ向かいます。

熊野本宮大社

田辺市

「熊野本宮大社」を   >

この石段は158段あるそうです。右端を歩いて登り下りするルールになっていました。

熊野本宮大社旧社地大斎原

田辺市

「熊野本宮大社旧社地大斎原」を   >

大斎原(おおゆのはら)にやってきました。あの鳥居をくぐって、その先、明治22年の大水害が起こるまで本宮大社があった場所(旧境内)へ行くと、桜が綺麗に咲いていて芝の緑が柔らかで、とても穏やかな空間に我が身を置くことが出来ました。ああ、極楽浄土とはこのような穏やかで静かな場所なのかもしれないと思わせる、そんな場所でした。そもそも熊野三山とは平安時代から「浄土への入り口」として認識され、熊野三山すなわち浄土の入口にお詣りして帰ってくるのは「よみがえり」を現わすそうですが、この大斎原の旧境内地の雰囲気は、私にとっては、まさに浄土そのものでしたね。暑くもなく寒くもない気候も良かったし、桜も満開に咲いていたし、芝の緑も柔らかかったし、その空間に人が少なかったこともあるし、すべての条件において、良い体験ができました。

熊野速玉大社

新宮市

「熊野速玉大社」を   >

本宮大社前14時45分発のバスに乗って、新宮駅の手前、速玉大社前でバスを降ります。速玉大社と新宮駅は歩いて15分ほどの距離で、熊野三山のなかでは一番市街地に近い神社です。こちらでも神門をくぐりますと拝所がいくつかあり、それぞれ二礼二拍手一礼のお詣りをしました。

熊野速玉大社

新宮市

「熊野速玉大社」を   >

この樹は御神木のナギの樹ではありませが、苔むした幹の風格が良い樹でした。熊野三山へのお詣りを終えまして、新宮駅近くのホテルへ歩いて帰ります。

かつ田

一度ホテルに戻り荷物を置いてから、昨日と同じ「かつ田」で夕食です。刺身定食とカキ酢のお夕飯に満足です。今日は登ったり下ったりして疲れましたな。ゆっくりと寝て、明日は紀勢本線を和歌山へ向けて乗り継ぎます。

3日目2024年4月2日(火)

JR紀勢本線

新宮駅6時53分の紀伊田辺行きの列車に乗ります。紀伊田辺到着は9時13分ですから、2時間20分、2両編成の列車から、車窓の景色を楽しみます。

JR紀勢本線

ロングシートですが乗客が少ないので、外の景色もよく見ることができます。8時13分ごろに停車した「和深駅」が海に近くで良い景色でしたね。お客さんが増えてきたのは白浜駅あたりだったと思います。常に海岸線を走っているわけではないのですが、時折り見える海の車窓を時間を忘れて楽しみました。

JR紀勢本線

紀伊田辺駅からは9時17分発の和歌山行きへ乗り換えました。紀伊田辺始発・転換クロスの5両編成だったか、車両数が増えて、またガラガラの車内になりました。

JR紀勢本線

紀伊田辺から紀三井寺へ向かう車内でも車窓を楽しみます。初めて乗る路線はとにかく車窓が楽しいですな。紀三井寺駅には11時2分に到着です。紀三井寺駅から紀三井寺までは歩いて10分とかからないので、紀三井寺への参拝客が大勢降りるものと予想していたのですが、駅で降りたお客さんはあまりなく、寺へ歩く道すがら振り返ってみてもどうやら寺へ向かっているのは私だけの模様です。

紀三井寺

和歌山市

「紀三井寺」を   >

11時10分、紀三井寺に到着。車で参拝される方が多いのでしょう、お寺は賑わっています。ケーブルカーがあるのですが、これは行列ができています。私は階段には熊野で慣れたので、階段を昇りながら桜を楽しむとしましょう。この門は護国院楼門で、1509年に建立され1559年に修理が為されたという門です。

紀三井寺

和歌山市

「紀三井寺」を   >

しかし、けっこうな階段でございますな。231段あるそうです。桜が8分咲きぐらいでしょうか、計画を立てたのは1月ごろですから、桜が観られるのかどうかはわからない時に立てたプランで旅行をしているわけでして、これはいいタイミングで来られたと喜びます。

紀三井寺

和歌山市

「紀三井寺」を   >

ふぅふぅと階段を昇り切って本堂をみたところです。御本尊は十一面観音で秘仏とのこと、本堂裏手の大光明殿に安置されているそうです。本堂前にて、合掌一礼のお参りです。

紀三井寺の桜

和歌山市

「紀三井寺の桜」を   >

さて境内には綺麗な桜が至る所に植わっていますので、桜の見物で境内を周ってみましょう。この階段を昇っていきますと、多宝塔が現れます。

紀三井寺の桜

和歌山市

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こちらはエレベーターへの通路上からみた紀三井寺の桜です。ケーブルカーは階段の途中までしか行きませんが、そこから平らな道を横に通ってエレベーターに至り、エレベーターで本堂前に来ることが可能です。

紀三井寺

和歌山市

「紀三井寺」を   >

急階段を昇っただけのことはあって、地上をみると、かなり高いところに境内があることがわかります。

紀三井寺

和歌山市

「紀三井寺」を   >

こちらは多宝塔です。寺伝によれば1441年にそれまであった仏塔が倒壊して1449年に再建の勧請が行われているそうで、そのころの建立であろうということです。桜とお似合いですね。

和歌の浦海岸

和歌山市

「和歌の浦海岸」を   >

そして和歌浦(わかのうら)の眺めです。

紀三井寺の桜

和歌山市

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これは仏殿から眺めた紀三井寺の桜です。まだ8分咲きですが、満開になると薄ピンクのじゅうたんが敷かれたようになるのでしょうか。

紀三井寺

和歌山市

「紀三井寺」を   >

皆さん、思い思いに桜を楽しまれているようです。このあと、歩いて駅へ戻り、和歌山を経てJR和歌山線で橋本まで出て、南海鉄道に乗って学文路(かむろ)へ行きます。

南海電鉄橋本駅

橋本市

「南海電鉄橋本駅」を   >

橋本駅にてJRから南海鉄道へ乗り換えます。極楽橋行きですな。高野山はもうすぐそこという場所にいることを実感します。今回は高野山へは行かないのですが、私の中ではそろそろ高野山へ行きたいなという気持ちになってきております。

南海電鉄橋本駅

橋本市

「南海電鉄橋本駅」を   >

時刻は14時2分、この時間の列車は空いていますね。外国人の観光客が目立ちます。この時間に高野山へいくとなると、今晩は高野山の宿坊へ泊まられるのかなと想像します。今日の高野山の桜はまだ3分咲きぐらいかもしれませんね。

南海電鉄・学文路駅

橋本駅から2つ目の学文路(かむろ)駅で降りました。学文路と書いて「かむろ」はなかなか読めないですね。

南海電鉄・学文路駅

学文路駅から苅萱(かるかや)にゆかりのある「西光寺」へ向かいます。私の母方の祖先を自分で調べた時に、自分の戸籍をずっと辿っていくと、ここ学文路出身の方がいらっしゃったようで、いつか訪ねてみようと思っていた場所です。

橋本市・学文路界隈

いかにも、いにしへの道といった風情の道を歩きながら、御先祖様がみていた景色と今の景色は同じであろうか、山や川の景色は変わらないのであろうか、御先祖様が現在にひょっこり現れて未来の世界の中に自分が住んでいたころの跡を見つけられるだろうか、などと考えながら歩いていきます。

石動丸物語・玉屋宿跡

こちらは苅萱にゆかりのある「玉屋旅館」跡地です。苅萱は、高野山にて出家した父親に会いに来た息子とその母が、高野山が女人禁制であるがために母は高野山のふもとの宿に滞在しつつ、息子は一人で高野山に登り父親を探す、息子が高野山に登っている間に母御は亡くなってしまい・・・、というとても切ない展開の話です。その母御が逗留していた旅館が玉屋旅館、ここなのですという伝説があります。苅萱の話については、私がもうずっと小さいころに母親から話してもらい、その切なさに涙した話でして、「母を訪ねて三千里」と合わせて、子供のころの親を想う気持ちを思い出す、思い出のある話であります。高野山山上にも「苅萱堂」(密厳院)はあって我が母親を連れて行ったこともあるのですが、本日は高野山麓の苅萱堂ゆかりの地をお参りします。

橋本市・学文路界隈

おお。山と川、この景色、御先祖様もご覧になったのかな。どんな格好でどんな季節だったのだろうか、どのくらいの年頃であったのだろうかなどと想像します。

橋本市・学文路界隈

高野山参詣道・京大坂道とありますね。いずれ、この道を歩いて高野山へ歩かねばならぬかな、うーん、どうしようかな、やっぱり山道は無理なんじゃないかななどと考えながら急坂を登っていきます。学文路駅近くにあった和歌山県の案内板によりますと京大坂道とは「京大坂道は高野七口の一つ不動坂に至る高野参詣道で、京都・大阪・堺からの道が河内長野で合流し、紀見峠を越えて橋本で紀の川を渡り、清水、学文路から河根、神谷を経て高野山女人堂に至る。なかでも堺からの西高野街道は近世に大いに栄え、今も堺の大小路橋から女人堂まで一里毎に道標石が残る。これらは『南無大師遍照金剛』の文字とともに、女人堂までの里程が記され、高野参詣の人々はこれを見るたびに一里ずつ近づく高野に思いを馳せたであろう。(中略) 不動坂は、京大坂道の終点である女人堂の手前、距離約2.7km、高低差310mの急峻な坂道で、京大坂道の中で最難所である」とあります。

橋本市・学文路界隈

ほれ、まだ登りが始まったばかりというに、こんな急坂があるようでは、高野山まで歩いて登るなんて、よっぽど慎重に計画しないと無理であろうよ、と自分に問いかけてみます。

西光寺・学文路苅萱堂

こちらが学文路・苅萱堂です。現在は西光寺が管理をされているということで、西光寺の方にご挨拶をしましたところ、苅萱堂を開けていただきまして、堂内のお参りと見学をいたしました。苅萱物語(石童丸物語)は高野聖の一派である「萱堂聖」によって全国に広められ、江戸時代には説教節・浄瑠璃・琵琶歌となって広く世に知られたとのこと。そして庶民信仰化した結果、物語の主人公である「苅萱道心(父)」、「石童丸(息子)」、「千里ノ前(母)」、「玉屋主人」の像が造られて祀られたのが「苅萱堂」ということのようです。今の言葉で言うなら、まさに苅萱物語の「聖地」なのでしょうね。寺宝と伝わる「人魚のミイラ」をも見せていただきました。御親切にありがとうございました。西光寺を辞します。

橋本市・学文路界隈

学文路を歩いているとお地蔵さまが至る所にいらっしゃいます。道を歩いていると、地元の方とすれ違い、ご挨拶をするのですが、ひょっとしてこの方と私は遠縁の関係にあるのかもしれないなどとと空想すると、もぅ本当に不思議な気持ちになりますな。

南海電鉄・学文路駅

時間にしてわずかばかりの散策でしたが、何か、未来を覗きにきたような面白い散策でした。駅で列車を待ちながら、町石道(ちょういしみち)を歩いて高野山へ参拝する計画も、検討してみねばならぬなと自分に問うておりました。

丸美商店

和歌山市

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さて、本日の宿泊地である和歌山駅に戻りまして、夕食は和歌山ラーメンです。和歌山ラーメンらしく、ラーメンが出来上がるまでにこちらの鯖寿司をいただきます。この鯖寿司、旨かったですよー。

丸美商店

和歌山市

「丸美商店」を   >

そしてラーメンが到着。おいしいですね。10年ほど前に食べた別のお店の和歌山ラーメンは、お酢がはいっているような甘みを感じたのですが、このお店の和歌山ラーメンはハッキリした濃いめのラーメンでした。和歌山駅東口からすぐのホテルにチェックインをして、明日の計画変更について考えます。この時点での明日の天気の予報は大雨、それも場合によっては警報級の大雨です。風も強いでしょうとのこと。もともとの明日の計画は、朝早い時間から昼過ぎまで明日香村を歩き、午後は法隆寺を周るというものでした。これが直前に、吉野の桜がみられそうだということで吉野の桜を一番早く行ける時間で観てから明日香村の「橘寺」「岡寺」「飛鳥寺」に絞って明日香村を歩き、法隆寺へ行く計画に変更しました。そしてここで風雨の予報に接して、明日香村の歩きは止めにして、代わりに明後日の早朝に計画していた橿原神宮の参拝をいれて、あとは室内の奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の見学に差し替えて、午後は法隆寺へという計画に変更して、満足して寝ます。

4日目2024年4月3日(水)

近鉄吉野線・吉野駅

和歌山を5時30分の始発に乗って五条7時5分着、五条7時26分発吉野口7時38分のJRから、吉野口7時41分発吉野行きの近鉄に乗り換えます。桜の季節には吉野は非常に混むということで、朝早くの吉野を見学したかったのですが、そもそも最初の計画では明日香村の散策でしたので宿泊地は和歌山でも良いということで和歌山のホテルを予約しました。和歌山から朝一番の列車で発っても吉野の到着は8時9分となりまして、ぎりぎり混雑を回避する感じでしたね。やはり吉野の桜をあさイチで観に行くのなら、宿は橋本、五条、あるいは橿原あたりに、もしくはもっと近くの下市口、思い切って吉野、などといずれにしても6時台には吉野を歩いて、8時から9時前には吉野を離れる(あるいは1日滞在する)計画がいいかもしれませんね。画像は8時10分過ぎの吉野駅、雨が降っているからでしょうか、予想していたよりも降車した花見客は多くありません。

吉野山の桜

吉野町(吉野郡)

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改札を出ると早くも吉野の桜がお出迎えです。吉野の桜は下千本・中千本・上千本・奥千本とエリアが分かれていて、それぞれ開花や満開の時期が違うので桜のシーズンが長く、山桜の咲きぞろいなど様々な様子を楽しめるのが人気の理由の一つです。今日は下千本が八分咲き、中千本が5分咲き、上千本より上はまだまだという状況ですな。本日のロープウェイやバスの始発は8時30分を過ぎないと動き出しませんので、くねくねと曲がった坂の「七曲り」をえっちらほっちら登っていきます。道中の桜が綺麗です。なお、桜の季節の七曲りは時間帯によって車輌相互通行・車両一方通行・車両通行禁止(歩行者天国)になります。朝方や通行帯の切り替わりが近い時間帯は、通れるうちに急いで通行しようという車両もあり、歩くときは充分注意して歩いたほうが良さそうです。

吉野山の桜

吉野町(吉野郡)

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七曲りの登りも間もなく終わりという地点で、ふと山を見ると、ああ、いいですねー。山から立ち上る霧や留まる雲、ぼんやりと霞む山の端など、確かにそこに存在するがハッキリとは見えないものの手前に、くっきりと、吉野の桜が今を盛りと咲き誇っている、そんな光景です。

総本山 金峯山寺

吉野町(吉野郡)

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そして金峯山寺(きんぷせんじ)にやって参りました。時刻は8時48分、まだまだ参拝客が少なく、これは良いタイミングでお参りできそうです。画像は金峯山寺の本堂である蔵王堂(国宝)です。安土桃山時代に再建されたお堂とのこと。御本尊は蔵王権現立像が3体、普段は秘仏ですが、桜の季節には特別公開されるようでして、この日も公開されていました。早速、秘仏公開時特別拝観料の1600円を支払って、お参りをいたします。

金峯山寺本堂

吉野町(吉野郡)

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いやー大きな秘仏ですなー。7mあるそうです。日本最大秘仏本尊という呼び方もされるほど大きく、まずは外側から畳に座って合掌一礼でお参りしたのですが、3体のうち左右の2体はお顔まで拝見できても中央の1体はお顔が見えないほどの大きさです。畳から立ち上がって内側に入りますと、係りの方が「こちらへどうぞ」と案内してくださり、腰ぐらいの高さの障子で区切られた半個室のような拝所に入って、合掌一礼、御本尊を見上げますと、おお、中央の1体もお顔を拝見できる、青いお顔の権現さまでございます。蔵王権現とは、釈迦如来と千手観音菩薩と弥勒菩薩の三尊が、過去・現在・未来の三世にわたって私たち人間を救済するため、悪魔を降伏させる憤怒の表情で出現されたお姿とのこと、「権現」とは「仮のお姿で現れること」という意味だそうで、憤怒の表情をみると不動明王とよく似ていると思いましたが、不動明王ではないと私は理解しました。半個室から出て、お堂の中を見学し、本堂裏手の蔵王権現本地堂で本来のお姿の釈迦如来・千手観音菩薩・弥勒菩薩をお参りして権現堂を辞します。お堂から出てくると、先陣の団体客がお堂に入るところで、そろそろ吉野の山も混んできそうな気配がしますな。

吉野山の桜

吉野町(吉野郡)

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金峯山寺から少し中千本側へ歩いて中千本の桜の開花状況を確認します。おお、山桜が咲いていますな。

吉野山の桜

吉野町(吉野郡)

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桜色の濃淡や、たなびく霞など、はっきりしたものとぼんやりしたものとのグラデーションが吉野山独特な桜の様相を現わしています。

吉野山の桜

吉野町(吉野郡)

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さて、私もついぼんやりとこの景色に魅入ってしまいましたが、電車の時刻を考えるとここから引き返さないとなりません。急いで歩いて吉野駅へ戻る道中、雨の中を次から次へと団体客が登られてくるのに出会いまして、吉野山のシーズン中の賑わいを知り、そしてまた混む前に金峯山寺を参拝し桜を見学出来て良かったと思いました。今度、吉野へ桜を観に来るときは、日帰りなら朝6時前後に吉野へやって来て9時前には帰る、あるいは夕方にやって来て吉野に泊まって桜を楽しむ、そんなプランにしようと思います。10時7分の吉野発橿原神宮行きの電車にぎりぎりで間に合い、吉野を後にしました。

橿原神宮

橿原市

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橿原神宮駅の中央口から出て橿原神宮までは道一本、とてもわかりやすい道を歩いて大鳥居をくぐり、ひと気のない玉砂利の参道をジャリジャリと踏みしめながら本殿へ歩いていきます。

橿原神宮

橿原市

「橿原神宮」を   >

お、これはなんであろうか、なんと今日は神武天皇祭(神武さん)の最中、というかちょうど今、終了するという場面に出会います。この後、拝殿前の拝所へ近づくも、出てくるわ出てくるわという感じで約1000人の参拝客が出ていらっしゃいまして、しばらく、人の濁流をかき分ける風情になりました。

橿原神宮

橿原市

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拝所にて、無事に二礼二拍手一礼のお詣りを済ませ、社の脇へ寄りますと、ああテントが見える。今出てきた人々はあのテントの中に設置されたイスに座って参拝されていたようですね。確かに1000脚以上のイスが設置されているのがわかります。タイミングというのは不思議なものでして、あれほどの人がいた空間が、今は静かな厳粛な空間にたちまちのうちに戻っているという状況です。県立橿原考古学研究所附属博物館へ向かう途中にちょっと寄りたいところがあります。

橿原神宮

橿原市

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こちら、橿原神宮内にある「瑞鶴の碑」です。瑞鶴(ずいかく)とは、旧日本海軍の航空母艦で、私がプラモデルで持っていた「翔鶴」を1番艦とする翔鶴型航空母艦の2番艦です。太平洋戦争では真珠湾攻撃をはじめとして様々な実戦に参加しつつ無傷で戦功を重ねた幸運艦とのこと、あのレイテ沖海戦で惜しくも沈没してしまいました。ここ橿原神宮には、いきさつはわかりませんが、瑞鶴を祀る碑があると知り、本日お詣りをしました。

県立橿原考古学研究所附属博物館

橿原市

「県立橿原考古学研究所附属博物館」を   >

そして、県立橿原考古学研究所附属博物館にやってきました。様々な口コミによれば見学者がとても少ないのに内容は非常に充実していてみどころいっぱい、隠れた名所と知り、ホクホクとやってきたのに、なんじゃありは、あの人混みは。列をなしているではないか。あとでわかったのですが、令和4年度の発掘調査で富雄丸山古墳から出土した蛇行剣のクリーニングが終了したので、令和6年3月30日から4月7日にかけて特別公開していたとのこと。なるほど、それは皆さん、見学にいらっしゃるでしょうな。私は混雑した博物館を見学するのは苦手なので、この状況をみて写真を撮って見学はあきらめ、踵を返して橿原神宮駅へ戻ります。

畝傍駅

橿原神宮駅から近鉄に乗り、八木西口駅で降りて歩いて5分のJR畝傍駅にやってきました。本日はここからJRに乗って法隆寺へ行きます。博物館の見学を中止した関係上、今日の午後は比較的ゆったりとした計画になりました。畝傍駅は1940年(昭和15年)に建てられた駅舎でとても趣がある建物です。列車を待つ間、ひと気のない駅舎やホームをブラブラと見学します。

畝傍駅

しかし面白い読み方です。うねびとよみます。UNEPIではなくUNEBIですね。私はこの20年来、間違って覚えておりました。Unebiです。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

「法隆寺」を   >

JR畝傍駅から高田、王寺と乗り継いで法隆寺駅で下車、駅からはバスで法隆寺参道前までやってきました。私は法隆寺は1999年に次いで2回目の訪問です。画像は1438年に再建された南大門(国宝)です。本日の法隆寺の拝観は、西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍の順番で観て行こうと思います。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

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こちらは中門(国宝)です。奈良時代の金剛力士像が迫力ありますね。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

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そしてこの柱、中央が膨らんで上へいくほど細くなっていく柱です。回廊(国宝)は金堂と同じ飛鳥時代に建築された建造物で、この柱のふくらみは飛鳥時代の建築の特徴ということです。この柱に使われている木は飛鳥時代の木なのでしょうね、すごいなと思って見つめます。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

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この回廊の景色は、よく覚えておりますよ。この景色は私にとっては25年ぶりの景色です。私にとっては様々なことがあった25年ですけれども、この回廊にとっては、2024年から建築年ごろの670年を引いて1354年分の25年ということで、どんな25年、あるいはその前の1327年間と何も変わりがない25年間だったのかもしれませんね。もし柱が話せるのなら、訪れる人や服装や髪型、背の大きさ・鼻の高さなどや風の匂いなどが変ったよと教えてくれるかもしれませんが。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

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こちらは大講堂(国宝)です。990年に再建された建物で、その時に造られた薬師三尊像と四天王像が安置されています。薬師三尊像に合掌一礼でお参りです。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

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少し雨の降りが強くなってきましたね。雨の法隆寺もまた良いものですな。創建当時もこういう景色は見られたのでしょうか。足もとの補強(コンクリですかね)は当然無くて固い土だったのでしょうか、回廊の北側の一部(この画像でいうと画像右側に折れた部分)は創建当時は無かった(大講堂は回廊の外側にあったらしい)ということですので、そういう内容を頭の中で補正しつつ、飛鳥時代や奈良時代のいにしへのお坊さんたちも、この位置に立って「雨が降っているな」と雨に濡れる金堂や五重塔を観たのかしらんと、想像して楽しみます。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

「法隆寺」を   >

金堂と五重塔です。それぞれ国宝です。金堂の内部には釈迦三尊像がありまして、面長のお顔をされているのが特徴です。飛鳥時代からずっとここにあるってのは本当にすごいなと思います。タイムトリップをするならどこで移動したらいいかという話で、よく言われるのがタイムトリップした時代に、そこが山の土砂の中であったら、移動した瞬間に土砂に囲まれてまずいことになるとか、海の底ならヤバイとか、大勢の人が歩いている中に忽然と現れたらすぐにとっ捕まって牢屋へ拘束されるとかですね、人はタイムトラベルするにも後先のことをよくよく考えなきゃならないわけですが、この法隆寺あたりなら、移動した瞬間に土砂に囲まれるという心配はしなくていいわけですね。忽然とあの金堂の中に現れて、タイムトリップした時代に合わせた服装や髪型に化けて歩きまわるなどと考えると実に面白い。もし自分が500年先の未来へタイムトリップしたとしても、この景色はほとんど変わっていないかもしれないですな。

法隆寺大宝蔵殿

斑鳩町(生駒郡)

「法隆寺大宝蔵殿」を   >

さて、西院伽藍のあとは大宝蔵院の見学です。建物の中は撮影禁止で、展示されているお宝はほとんどが実物でレプリカは本当に少ないです。ここでは玉虫厨子と百済観音像がとても印象深いですな。長身面長八頭身の観音様ですね。時間をかけてじっくりと拝観いたしました。

法隆寺

斑鳩町(生駒郡)

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大宝蔵院をでますと、雨がほとんど止んでおりますね。法隆寺の桜も綺麗に咲いております。

法隆寺 夢殿

斑鳩町(生駒郡)

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東院伽藍では夢殿を見学します。夢殿は、「601年に建てられた斑鳩宮の跡地に、聖徳太子の遺徳を偲んで739年に建てられた伽藍の、中心的建物であった建物」とのことで、つまりは739年からこの地にあるということですな。偲ばれた人も偲んだ人も今は亡く、遠い遠い過去の想いですけれども、遺る想いも遺らぬ想いもまた同様に尊く、遺らぬ想いがほとんどの世の中で、遺った想いの代表格としての夢殿(あるいは奈良でいうなら正倉院なども)といった遺物に、私は心を打たれます。夢殿の中には聖徳太子等身大の秘仏・久世観音像が祀られていまして秘仏ですから見ることはできないのですが、入り口近くに久世観音像の写真がありまして、これをマジマジとみる。あれ、こういう人、見たことがありますよ、何か朝方に無精ひげを生やして・・・。ひょっとするとこの仏像のお顔は人々の記憶に残る聖徳太子さんを模して造られたのではないかと想像しますと、これまた面白いですね。法隆寺を辞し、本日の宿の最寄り駅であるJR畝傍駅で下車します。今日はまだ明るい時間ですので、今井町の見学と、夕食の柿の葉寿司の購入と、それと明日の長距離路線バスのチケットを購入しようと思います。

今井町の町並み

橿原市

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今井町を歩きます。以前来た時は夜の暗くなってから、ゆめともうつつともわからぬ町歩きをしました。本日は明るいですので、歴史的な街並みがよく見通すことができます。

今井町の町並み

橿原市

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今井町の特徴の一つとして、まさにそこに人が生活している、現代の時間があるということですかね。通りを歩いているとピアノの教室でしょうか、ピアノの練習の音が聞こえたり、学童保育なのか、子供たちが家の中で騒いでいる音がよく聞こえてきたりします。

大和橿原シティホテル

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柿の葉寿司を購入するために大和八木駅近くの近鉄百貨店の地下まで行きました。柿の葉寿司を買っていると向かいのお店の天丼も目に入ってそれも購入します。明日は大和八木駅から新宮駅まで、日本一長いと言われる路線バスに乗りますので、そのチケットも購入し、ホテル横のスーパーに入って飲物を買うついでに照り焼きチキンも購入して、宿にチェックインをした後に酒盛りをします。明日からの旅は朝の出発が遅めで乗り物に乗っていることが多いので、前半の旅の成功を祝って、満足して就寝です。ちょっと買い過ぎましたね。さて、今回の旅行の前半を総括しますと、今回は初めての熊野三山のお詣りと熊野古道の簡単な散策、紀勢本線の車窓の海や紀三井寺の桜や学文路の景色を楽しみ、吉野の桜、金峯山寺のお参りと橿原神宮のお詣り、そして法隆寺のお参りと、紀伊半島を楽しむことができました。今度は内側、つまり野迫川村や十津川村も自分の車で周ってみたいと思います。が、しかし、野迫川・十津川は一度自分の車で周ったことがあるのですが、とても道が細くて急峻な山肌を走りますので、なかなか決心がつかないというか、ちょっとためらいがありますな。多分、自分の御先祖様のことなどを再び調べ始めたら、行きたいとか行かねばならぬとかいう熱意が、ルートの難易度をもクリアするほどの熱意が自分の中に芽生えるのではないかと、ひそかに期待している次第です。

5日目2024年4月4日(木)

谷瀬の吊り橋

十津川村(吉野郡)

「谷瀬の吊り橋」を   >

この日は9時15分大和八木駅発の新宮駅行きのバスに乗って、奈良から和歌山へ紀伊半島を縦断します。詳しくは別の旅行記『【18きっぷ】紀伊半島を周る。路線バスで大和八木から新宮へ、そして飯田線【2024年4月】』をご覧ください。

十津川村歴史民俗資料館

十津川村(吉野郡)

「十津川村歴史民俗資料館」を   >

十津川村役場で途中下車をして、十津川村歴史資料館と公衆浴場の温泉を訪れます。詳しくは別の旅行記『【18きっぷ】紀伊半島を周る。路線バスで大和八木から新宮へ、そして飯田線【2024年4月】』をご覧ください。

6日目2024年4月5日(金)

熱田神宮

名古屋市熱田区

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前日はバスが到着した新宮に泊まり、朝一番の列車で今晩の宿泊地である豊橋駅へ向かいます。当初の予定では飯田線の湯谷温泉へ行って日帰り入浴を楽しむ予定でしたが、途中の永和駅で人身事故の影響で列車が1時間弱くらいとまり、計画変更をして熱田神宮のお詣りと境内でのきしめんを楽しみました。詳しくは別の旅行記『【18きっぷ】紀伊半島を周る。路線バスで大和八木から新宮へ、そして飯田線【2024年4月】』をご覧ください。

7日目2024年4月6日(土)

JR飯田線

この日は朝6時発のJR飯田線に乗って飯田線を乗りとおします。沿線の桜が綺麗でした。詳しくは別の旅行記『【18きっぷ】紀伊半島を周る。路線バスで大和八木から新宮へ、そして飯田線【2024年4月】』をご覧ください。

【18きっぷ】紀伊半島を周る。熊野三山・紀三井寺・金峯山寺・橿原神宮、そして法隆寺【2024年4月】

1日目の旅ルート

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