5分で味わう新潟
文/牧野 修
作家写真まきの・おさむ
作家。1958年大阪生まれ。SFとホラーの両ジャンルで活躍、99年には『スイート・リトル・ベイビー』(角川ホラー文庫)が第6回日本ホラー小説大賞長篇賞佳作に選ばれた。そのほかの著書に『傀儡后』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)、『呪禁官』(祥伝社ノン・ノベル)、『病の世紀』(徳間書店)、『王の眠る丘』(ハヤカワ文庫)など。ゲーム『かまいたちの夜2』にシナリオで参加している。
今回の執筆にあたって
白く降り積もるもの

いつかの新潟
牧野修さんが訪ねた 南魚沼
しおざわのコシヒカリ
塩沢町立今泉博物館
山菜・町の宝もの
小説『雪国』の世界
湯沢高原アルプの里
じゃらんオンラインガイドブック
湯沢・塩沢・苗場
 なんでこの男は不安な顔で俺を見ているんだろうと思いながら目が覚めた。上越新幹線の中だ。で、旅に出たその理由がお決まりの「人生に疲れて」だったりするのだ、俺は。
 その俺は一人旅で意外な出会いと意外な出来事を求めていたりもするのだけれど、雪国に向かったつもりが夏だった、というのはどうだろう。これは意外な出来事なのか、それとも単なる俺の思慮不足か。俺の思慮不足だよな、普通に考えて。おっと越後湯沢に到着だ。
 ああ、あそこらへんに雪が積もっていたら絶景であろうな、あそこに雪が積もっていたらスキーには最適だろうな、と雪国を頭の中で構築しながら湯沢の旅館へと向かう。意外な出来事、とか言いながらも家を出る前に電話で予約していたのだ。つまり小心者は意外な出来事に向いていないということだ。
 それにしてもどうして湯沢に来ようと思ったのだろうか。それをさっぱり思い出させない。所詮鄙びた温泉にでもつかろうかといういたって通俗的な欲求に従っただけのことだろうが。
 しかし四十四歳の中年男ほど一人旅に似つかわしくないものもないだろう。これが二十歳前後の女性であれば傷心の旅であろうと誰もが思ったであろうが。しかしそんなことを思われると、旅館に気軽に一人で泊まることができなかったりするらしいから、四十四歳のオヤジであって良かったとも言えなくもない。いや、実際オヤジであることが悪いことばかりとも思えないのだけれどね。とはいえ中年太りは進行していく一方だし、日毎に老眼も進んでいく。ついつい老い先のことを考えたりし始める頃なんだろうなあ、俺の年頃って。
 それにしても空気というものは行くところに行けば美味しいものであるよなあ、とこれまたありきたりの感想を抱いてしまうのだが、本当に快適で美味しい空気というものがあるのだから仕方ない。深呼吸を二つ三つ。
 で、腹が減ったので適当に食事処を探して入る。ふと旅に出る直前に妻と喧嘩をしたことを思い出す。旅に出るというと笑い出したから俺もついついムキになって出ていくなどと怒鳴って外に飛び出して――。
「米、美味いでしょ」
 男が話し掛けてきた。どこかで見た男だ。そうだ、さっき夢の中に出てきた男じゃないか。
「塩沢の米ですよ。日本一美味い白米じゃないかなあ」
 確かに美味い。美味い美味いと山盛りにした飯ばかりを食う。
「じゃ、あれ見ましょうか」
 男に手を引かれて外に出る。どこに行くんですかと尋ねるが答えもせず男はどんどん腕を引っ張り俺を連れ歩いて、ほらあそこですよ、と指差したら、雪が降ってきた。
「雪を固めて舞台をつくるんですよ」
 男は言う。その指差した先には確かに舞台があり、演じられているのはどうやら歌舞伎のようだ。
「地芝居というものですよ。昔はこの辺りにも専属の役者がたくさんいたもんですがね」
 きらびやかな衣装を着た役者の顔は雪のように白く、そこにくっきりと表情が描かれている。そして雪は延々と降っていた。歌舞伎などテレビの中継でちらりと見ただけだ。何を喋り何をしてるのかもわからない。ああ、そうだ。旅に出たかったんだ。テレビで地芝居のことを言っていて、柄になく雪中の歌舞伎というのはきれいだろうなあなどと想像して今行ったって夏だから見られないのはわかっているのに、急に行きたくなって準備して一人旅に出るんだと家族に言ったら喧嘩になって――。
「家を飛び出たらいきなりトラックが」
「私があのトラックを運転してたんですよ」
ああそうだ、確かに俺を抱き起こしたのはあんただ。あんた、湯沢の出身だったのかい。ほら雪が降っているよ。だから俺の身体はこんなに冷え切ってしまって。雪が降る降り積もる。どこもかしこも白く煙って霞んで目を擦っても何も見えないや。一面の雪景色ってやつだね。ありがとうありがとう。親切にしてもらってありがとう。

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