5分で味わう新潟
文/古川 日出男
作家写真ふるかわ・ひでお
1966年福島県生まれ。2002年に『アラビアの夜の種族』(角川書店)で第55回日本推理作家協会賞、第23回日本SF大賞をダブル受賞。幾層にも重なり合いループする幻想的世界観の構築と魅力的なキャラクターと巧妙な語り口で、評論家を始め世の中の多くの読者を驚愕させた。その他の著書に『13』(角川文庫)、『沈黙』『アビシニアン』(ともに幻冬舎)がある。
今回の執筆にあたって
ルート350

いつかの新潟
古田日出男さんが訪ねた 佐渡・新潟
加茂湖の牡蠣
佐渡の能
尾畑酒造
佐渡金山
にいがた 冬 食の陣・下町めぐり
朱鷺メッセ
じゃらんオンラインガイドブック
佐渡新潟
 海の上に国道が走っている。国道三五〇号線。佐渡行きのフェリーに乗っているさなか、船内ロビーの航海図にその表示を見かけて、あまり驚かなかった。僕たちは(というのは僕とフミだ)乗船する前に港湾内をぶらぶらしていて、偶然にだけれどもフェリーの”自動車搬入口“を目にしていたから。これはカーフェリーだ。僕たちは何十、何百という車輛といっしょに日本海を渡っている。新潟市から佐渡につづいている、この航路、それ自体が国道三五〇号線なのだ。
 僕たちは船上であまり会話しない。フミはうとうと眠るか、テレビ画面をぼんやり眺めるかしている。僕はあの”自動車搬入口“について考えている。たまたま目撃したけれども、暗示的な光景。船首に大きな口が開いていたみたいだった。埠頭から路はえんえん続いていて、そこに車が吸いこまれる。そして僕たちといっしょに海を渡る。意外だった。僕は行きどまりのドコカをめざしていると思ったのに、誰もがそこにむかっている。
 二時間と二十分弱でフェリーは佐渡の両津港についた。レンタカーを借りる。地図を見て、こんどはハッとした。三五〇号線は終わっていない。カーフェリーの航路の終点となった両津港を起点に、国仲平野をすうっと抜けて、佐渡島の南端・小木まで走っていた。
 当然のように車をむかわせるルートは決定された。そもそも僕たちに目的なんてない。
 ただ、途中で右折する。フミが「金山は見ておきたい」という。徳川初期からの史跡である佐渡金山。その坑道の入口が視野に入った瞬間に、僕はあっと思う。それこそが”自動車搬入口“が暗に示していた情景、ずばりのように感じられて。だから僕はシリアスに地中に下る。当時の採掘を再現しているロボット、というか人形たちの一挙手一投足にも、目を凝らす。それから水の音を聞いた。坑道を掘り進めば進むほど地下水は涌きでて、その排水の事業が最大のトライアルだったという。滴り落ちる水幻の音だったかもしれない。
 けれども。
 深いところで気持ちが澄む。まるで地中と対話しているかのように。
 その晩は相川町に泊まる。徳川幕府の財政を支えつづけてきた金山の土地を後にして、ふたたび三五〇号線に乗る。徳川という”国“が終わるみたいだな、と考えていたら、ふしぎな国境を通過した。国府川を渡ったところに『アルコール共和国に、ようこそ』といった表示がある。一瞬、目に入った。フミが助手席でガイドブックを捲っている。
「この真野町は」とフミが読みあげる。「酒造りの里として、二十年前に独立を宣言したんだって」
「アルコール共和国?」ふざけているのかな?
「あ、蔵元で、無料の利き酒というのができるらしいよ」
 だったら寄ろう。どうせ三五〇号線ぞいだ。
 造り酒屋なんて見るのも初めてだ。いい匂いがする。空気がきりきり澄んでいる。利き酒コーナーのスタッフは親切に、何種類もの銘柄を勧めてくれた。運転に支障がない程度に”利き酒“してみる。僕は舌端にスウッと走った味わいや香りに感動して、思わず初心者っぽい感動を口にした。その言葉に、たぶん蔵元の経営者なのだろう、はっぴを羽織った男の人が反応してくれた。
「日本酒は、ふだんから飲みますか?」
 いいえ、と僕は正直に答える。あまり機会がないので。
「そうですよね。だから、その機会を増やしたいんです」と彼はいった。「日本にしかない醸造酒ですから、スシのような日本料理とおなじに世界に広めていきたい。いろいろな国に。そして日本の若い人たちにも、もちろん。逆輸入でもいいですからね」と笑った。
 車に戻るとき、いったい何カ国を僕たちは通過してきたんだろう、と考えた。いったい何十カ国の可能性が、このルートに国道三五〇号線に乗っているんだろう。
 やり直せないかな、と僕はフミにいった。

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