5分で味わう新潟
文/加門 七海
作家写真かもん・ななみ
東京生まれ。美術館の学芸員を経て、1992年に『人丸調伏令』で作家デビュー。『晴明。』『蠱』『おしろい蝶々』『環蛇銭』など、妖しのものどもを流麗な文体で描き出す作品で著名。都市に仕組まれた風水を独自に解き明かす『大江戸魔方陣』『東京魔方陣』や、ご自身の趣味である寺社めぐりを描く軽妙なエッセイ『うわさの神仏』など、小説以外の著作も数多い。
今回の執筆にあたって
抱擁する山

いつかの新潟
加門七海さんが訪ねた ほくほく線沿い
室野神楽
棚田風景
あさひの里「庄屋の家」
越後バッカス街道
秋山郷
じゃらんオンラインガイドブック
十日町
 早過ぎる雪が紅葉に降って、不思議にきれいな風景だった。しかし地元の人にとって、この紅白は生活の災いにしかならないものだ。
「野沢菜が雪の下になった」と、お婆ちゃんの眉がハの字を描く。けれども、行きずりの旅人に、この風景はご馳走だ。
 旅行者という存在は一種、身勝手なものである。生活の苦労がないからか、その地方の出来事すべてを「つまらなかった」「面白かった」と得手勝手に分類し、思い出袋に詰めてしまう。自戒し、反省すべきだが、その勝手が許されるのが旅人という存在でもある。
 雪は山を白く装い、私の心を歓喜に導く。眼前に並ぶ料理の品も、紛れもないご馳走だ。
 ふっくらと艶やかな炊きたてご飯に、秋ならではの茸の数々。生でも甘い大根の鮮烈な歯触りもさりながら、山の幸には心が躍る。
 鍋に入った赤肉は、近くの畑にいた熊だ。鹿と山菜は裏の山から。水も山からもたらされ、宿も山の中にあり、温泉、空気、すべてがすべて、この土地なくては得られない。
 終日、山に包まれて甘やかされているような、優しい幸福感がある。それを何の屈託もなく甘受できるのはやはり、旅だからに違いない。黄金の雫を集めたような美酒に陶然としていると、「ほら。お神楽が始まる」と誰かが私を急き立てた。
「お神楽?」
「獅子舞と手踊りと」
 連れ出された夜の中、川沿いをずっと歩いていくと笛や太鼓の音が聞こえた。明々と点いた電灯の下、村人達が艶やかな衣装を着けて笑っている。
「どうぞ、上座に」「遠くから来て、疲れたろ」
 促されるまま席に座ると、私以外にも数人の旅人が畏まっていた。中のひとりが、恐縮しきった顔で囁きかけてきた。
「僕達は今、神様の席に座っているんです……」
 神楽は、神のためのもの。それを見せて頂ける、私達の立場は神に等しい。上座は神座、と彼は語った。驚いて神楽の舞台を見やると、獅子頭を被った青年が真っ赤な口を開けながら、こちらに迫ってくるようだった。笛と太鼓が鳴り響く。
 酒に酔って、舞いにも酔ったか。畏れ多いを通り過ぎると、眼前はただ、神秘に染まる。
 とりどりの衣装の錦が、山の紅葉に変化した。囃子は谷を渡る風。一座をまとめる男衆が凛々しい山神に姿を変えて、それに従う若い衆は獣や木々の精霊となる。
 清流の化身のような女性が、穏やかな声で語ってくれた。
「ここの鎮守は奴奈川姫という女神様。女神は村の脇にある川をここまで上って、戻っていったの。鎮守の社は姫神のそんな魂を愛おしみ、村人達が祀ったのです」
 どうして、この山に来て、女神は帰っていったのか。ぼんやり考えている隙に、通る声が辺りに響いた。
 ー先に立ったるは天照皇大神、後へ立ったるは春日大明神。悪魔祓いのご祈祷始まり
 獅子が私達の影を祓った。同時に、私は姫神の気持ちがわかったような気がした。
 気分転換でも遊山でも、旅に出掛ける人は皆、充ちたらぬ思いがあるゆえに、あちこち彷徨い歩くのだ。私自身、気づくところはないが、顧みるなら確かに何か、辛いものがあった気がする。悪魔として祓うべき、陰気が日常の澱として心に溜まっていたと感じる。
 女神もきっと、断ち切りたい何かを持っていたのだろう。そして旅人となり、ここに至って、優しい神々にもてなされ、心に潜む魔を断った。今の私と同様に。
「存分に甘えていいんだよ」
 どこかで声が聞こえた気がした……。
 翌日、私は神楽を見た旅人達と、女神を祀った神社に詣でた。思ったとおり、女神の社は山に抱かれ、まどろむようだ。
 奴奈川姫は翡翠の女神。春が来れば、この山は瑞々しい翡翠の葉で充ちる。
 旅人達も山神に甘えきったそののちに、踵を返して、それぞれの土地で小さな春を育む。

島村 洋子「いつでも私を待つ夕日 牧野 修「白く降り積もるもの 乙 一「祝福された水
狗飼 恭子「神様の仕事 加門 七海「抱擁する山」 古川 日出男「ルート350
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